沿革

[ 編集者:広報室       2017年3月10日 更新  ]

いつの時代も緑あふれる美しいキャンパスに息づくランバス・スピリッツ

 18世紀に英国で始まったメソヂスト教会。その指導者であるジョン・ウェスレーは豊かな霊性と知性をともに尊重する信仰覚醒運動を推し進め、活発な開拓伝道を展開して多くの教会を興しました。そして、19世紀、アジアへの伝道をさかんに展開し始めたのが米国の南メソヂスト監督教会です。1885年、同教会はジャパン・ミッション開始を決定し、当時、中国での医療伝道に父とともに従事していた、弱冠32 歳のウォルター・ラッセル・ランバスをその責任者として任命しました。
 翌年、彼は家族とともに来日し、神戸外国人居留地に居を構え、西日本全体を視野に入れた伝道に取りかかりました。米国の伝道局に宛てた書簡の中でランバスは、神戸の地が世界に開かれた国際条約港であり、ミッションの拠点として優れた地の利があることを報告しています。そして1889年、現在の神戸市灘区にある原田の森に土地を購入し、木造2 階建ての校舎1 棟を建設。伝道者の育成とキリスト教主義に基づく青少年教育をめざした「関西学院」が創立したのです。校名は、当時、英和学校と名づけられるミッション・スクールが多いなか、慣習を破って「学院」とし、西のリーダーとなるべく「関西」を冠しました。そして当時の進取の気風に合わせた漢音読みで「クワンセイガクイン」と呼ぶことになりました。
 関西学院はランバスの独創的で熱い志と祈りによって生まれましたが、決して彼個人の企てによるものではありません。多くの献金によって支えられながら、南メソヂスト監督教会の教育的ミッションの意図を果たすべく創立されたものであったのです。
 ランバスと5人の教師、そして19人の生徒という小さな私塾としてスタートした関西学院ですが、その基本には「全人教育」という高貴な理念がありました。ランバスはその後、朝鮮、ブラジル、アフリカ、シベリアなど世界へと伝道活動を広げていきますが、彼にとって地図とは常に「世界地図」を意味し、世界中の人はみな「兄弟姉妹」でした。つまり、世界市民として世界万人のために献身すること、またそのような人を育てることこそが彼自身の使命(ミッション)だったのです。このランバスの精神は百十余年にわたる関西学院の歴史の中に脈々と活き続けています。

関西学院の沿革

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