校名・校章・沿革

校名の由来


関西学院(かんせいがくいん)という校名は、関東に対する関西として西日本の指導者ともなる意味で名付けられました。1889年当時、学院という名称は非常に珍しく、そのころのミッション・スクールは○○英和学校、○○英和女学校などと呼ぶものが多く、こうした伝統を破っての命名でした。
「関西」を「かんせい」(当時はクヮンセイ)と読むのは、当時の学生気質が進取革新的で、東京をトウケイというように漢音読みする傾向があったので、本学の校名もそれにちなんだわけです。そしてそこには現在の学風につながる自由な発想がありました。
 

校章の意味

校章の三日月は私たちは今あらゆる面で不完全な者であるが、新月がしだいにふくらんで満月となっていくように、絶えず向上していきたいとの願いをこめています。また、月は自らを光を放つのではなく、太陽の光を受けて暗い夜を照らすように、私たちは神の恵みを受けて、それを地上に伝え、世の中を明るくしていきたいとの念願を表しています。学院が創立された当時、学生らが秋の宵に輝く三日月を仰ぎ、このような啓示を得たということです。
校章の意味

沿革

●いつの時代も緑あふれる美しいキャンパスに息づくランバス・スピリット

18世紀に英国で始まったメソヂスト教会。その指導者であるジョン・ウェスレーは豊かな霊性と知性をともに尊重する信仰覚醒運動を推し進め、活発な開拓伝道を展開して多くの教会を興しました。そして、19世紀、アジアへの伝道をさかんに展開し始めたのが米国の南メソヂスト監督教会です。1885年、同教会はジャパン・ミッション開始を決定し、当時、中国での医療伝道に父とともに従事していた、弱冠32 歳のウォルター・ラッセル・ランバスをその責任者として任命しました。
翌年、彼は家族とともに来日し、神戸外国人居留地に居を構え、西日本全体を視野に入れた伝道に取りかかりました。米国の伝道局に宛てた書簡の中でランバスは、神戸の地が世界に開かれた国際条約港であり、ミッションの拠点として優れた地の利があることを報告しています。そして1889年、現在の神戸市灘区にある原田の森に土地を購入し、木造2 階建ての校舎1 棟を建設。伝道者の育成とキリスト教主義に基づく青少年教育をめざした「関西学院」が創立したのです。校名は、当時、英和学校と名づけられるミッション・スクールが多いなか、慣習を破って「学院」とし、西のリーダーとなるべく「関西」を冠しました。そして当時の進取の気風に合わせた漢音読みで「クワンセイガクイン」と呼ぶことになりました。
関西学院はランバスの独創的で熱い志と祈りによって生まれましたが、決して彼個人の企てによるものではありません。多くの献金によって支えられながら、南メソヂスト監督教会の教育的ミッションの意図を果たすべく創立されたものであったのです。
ランバスと5人の教師、そして19人の生徒という小さな私塾としてスタートした関西学院ですが、その基本には「全人教育」という高貴な理念がありました。ランバスはその後、朝鮮、ブラジル、アフリカ、シベリアなど世界へと伝道活動を広げていきますが、彼にとって地図とは常に「世界地図」を意味し、世界中の人はみな「兄弟姉妹」でした。つまり、世界市民として世界万人のために献身すること、またそのような人を育てることこそが彼自身の使命(ミッション)だったのです。このランバスの精神は百三十余年にわたる関西学院の歴史の中に脈々と活き続けています。

●略年史

1889 神戸の東郊・原田の森に神学部と普通学部を持つ関西学院を創立「関西学院憲法」起草

1891 神学部から第1回の卒業生3人が出る

1894 校章を制定

1912 高等学部(文科・商科)を開設、後に第4代院長となるC.J.L.ベーツがスクールモットー“Mastery for Service”を提唱

1915 普通学部を中学部と改称

1918 ハミル館開設

1921 高等学部が文学部と高等商業学部となる

1929 上ケ原(現西宮市)に移転

1932 「大学令」により関西学院大学の設立認可、C.J.L.ベーツ院長が初代学長を兼務、大学予科開設

1933 校歌「空の翼」発表

1934  大学法文学部と商経学部開設

1943 専門部神学部が閉鎖され、日本西部神学校に統合される

1946 大学の機構を改め、文学部、法学部、経済学部の3学部とする

1947 新学制により中学部開設

1948 新学制により大学、高等部開設

1951 商学部開設

1952 文学部神学科を独立させ神学部開設

1960 社会学部開設

1961 理学部開設

1964 スポーツセンター開設

1976 情報処理研究センター開設

1979 国際交流センター開設

1992 言語教育センター開設、セメスター制実施、科目等履修制度実施、経済学部にオープン・カレッジ・コース設置、大学院飛び級入学制度実施(商学研究科)、大学自己点検・評価制度実施

1993 商学研究科にマネジメント・コース(昼夜開講制、社会人対象)設置

1995 総合政策学部を神戸三田キャンパスに開設

1996 大学基準協会相互評価に参加、経済学研究科にエコノミスト・コース(昼夜開講制、社会人対象)設置

1997 複数分野専攻制(MDS)導入

1998 関西学院大学ハイテク・リサーチ・センター完成

1999 社会学部社会福祉学科開設、大学院総合政策研究科開設

2000 K.G.ハブスクエア大阪(現・大阪梅田キャンパス)開設

2001 大学院言語コミュニケーション文化研究科開設、理学部が神戸三田キャンパスに移転

2002 理学部が理工学部に名称変更、理工学部生命科学科・情報科学科開設、総合政策学部メディア情報学科開設、研究推進機構発足

2003 文学部を文化歴史学科、総合心理科学科、文学言語学科の3学科に再編、東京オフィス開設

2004 専門職大学院司法研究科(ロースクール)開設、大学院理学研究科が理工学研究科に名称変更、日本初のジョイント・ディグリー制度を実施、アジア初の国連ボランティア計画との協定に基づき学生を途上国に派遣、学生支援センター開設

2005 専門職大学院経営戦略研究科(経営戦略専攻・会計専門職専攻)設置、災害復興制度研究所創設、ライフデザイン・プログラム導入

2006 国連難民高等弁務官駐日事務所との協定に基づき、日本で初めて難民を対象とする推薦入学制度設置

2007 東京丸の内キャンパス開設、難民を対象とする推薦入学制度による学生受け入れ開始

2008 経済・法学部連携「地域政策コース」新設、人間福祉学部・人間福祉研究科開設、初等部開設、経営戦略研究科に先端マネジメント専攻(博士課程)設置

2009 学校法人聖和大学と合併、教育学部・教育学研究科開設、総合政策学部に都市政策学科、国際政策学科増設、理工学部に数理科学科、人間システム工学科、生命科学科に生命科学専攻と生命医化学専攻を設置、社会学部が5コースから3系7領域へ拡充

2010 学校法人千里国際学園と合併、国際学部開設

2014 国際学研究科開設

2015 理工学部に先進エネルギーナノ工学科、環境・応用化学科、生命医化学科開設

2017 国連・外交プログラム/国連・外交コース開設

2019 西宮北口キャンパス開設
    理工学研究科に先進エネルギーナノ工学専攻、環境・応用化学専攻、生命医化学専攻増設

2021 理工学部を理学部、工学部、生命環境学部、建築学部に再編、総合政策学部と合わせて神戸三田キャンパスは5学部体制となる