創立者W.R.ランバス
関西学院に受け継がれる志と理想
関西学院の創立者であるアメリカ人宣教師(南メソヂスト監督教会)ウォルター・ラッセル・ ランバスは、1854年に両親の赴任先であった上海で生まれました。祖国アメリカで医学と神学を修め、中国に戻って医療活動に携わりながら宣教師として活躍し、1886年に32歳で日本に赴きます。
1889年、牧師養成と青年への全人教育を目的とした男子校の創立を計画し、原田の森(現在の神戸市灘区)に木造校舎を建造して関西学院(くわんせいがくいん)と名付けました。始まりは教師5人と生徒19人の小さな学校でした。
ランバスはわずか4年の日本滞在期間に数々の教会や学校の創立に関わり、大きな足跡を残しました。離日後も、その圧倒的な行動力によって南米、アフリカ、ヨーロッパ、シベリア、中国、朝鮮半島など世界を駆け巡り、伝道活動を続け、特にアフリカへの伝道を人生の目標(ライフミッション)として情熱を傾けました。
ランバス家の故郷ミシシッピー州には、一家の働きを記念する碑が建っています。そこには、”World Citizen and Christian Apostle to many lands”(世界市民であり、世界各地へのキリストの使徒)という句が刻まれています。