2021.03.29.
平松理事長しのび、しめやかに学院葬・お別れの会

関係者ら約700人参列、献花

 学校法人関西学院は3月28日、昨年12月に73歳で亡くなった平松一夫・関西学院理事長の学院葬・お別れの会を西宮上ケ原キャンパスの中央講堂で執り行いました。新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から参列者が密になることを避けるため、3部に分けて実施。小雨が降る中でしたが、合わせて約700人が参列し、関西学院や会計学分野の発展に尽力した平松理事長の功績と、穏やかでおおらかな人柄をしのびました。

 式辞で学院葬実行委員会委員長の村田治・理事長代行は、平松理事長が学長時(2002年~2008年)に関わった国連ボランティア計画(UNV)や国連難民高等弁務官駐日事務所(UNHCR日本)との協定、教育学部や人間福祉学部、国際学部の新設などに触れながら、「平松先生の関西学院への貢献は極めて大きく、現在の本学の基礎を作られたと言っても過言ではございません」と功績を振り返り、「先生ほど学生と関西学院を愛し、関西学院のために尽くされた方はおられないのではないかと思います」と別れを惜しみました。 

 舟木讓・関西学院院長は「平松先生が理事長になられた時に、私も院長に就任しました。平松先生のご経験をさまざまな形で拝聴する機会を与えられましたが、苦労されたこともユーモアを交え、ご自身の経験として私に分かち合ってくださいました。学内外での多大なご功績にもかかわらず、『いろんな人に助けてもらって、できたんや』と常に感謝の心と謙遜の思いで、関西学院と会計学分野の発展のためにご尽力されたことを改めて思い出します。そのご功績に改めて感謝申し上げるとともに、残してくださった大きな宝を良い形で受け継いで、さらに発展させていきたいと思っています」と述べました。

 遺族代表として挨拶に立った長男の平松燈氏(2021年4月から総合政策学部教授)は「父は関西学院のジャケットやネクタイ、タイピンやハンカチなど、全身を関西学院のグッズで揃えており、私は関西学院と父が一体になっているのではないかと思うことが多くありました。運転中やリビングで流す音楽も校歌や応援歌だったことを覚えています。仕事において父は、『できることはすべてやってきた。本当に幸せだ』と言っておりました。父がこのように仕事ができたのは、ここにご参列くださった皆様や父の仕事に関わってくださった皆様が、父を理解しご協力してくださったからこそだと思います。家族ともども感謝しております。本当に長い間お世話になり、ありがとうございました」と感謝の気持ちを語りました。

 その後、参列者一人ひとりが献花を行い、平松理事長との別れを惜しみました。

式辞 理事長代行 村田 治(関西学院大学学長)

 本日は、年度末の大変お忙しい時期に、平松一夫・関西学院理事長の関西学院葬にご参列いただきまして誠にありがとうございます。関西学院を代表いたしまして、一言ご挨拶を申し上げます。
 平松先生は、昨年12月2日未明に天に召されました。私たちはあまりにも突然に偉大な指導者を失うことになりました。平松先生の関西学院への貢献は極めて大きく、現在の本学の基礎を造られたと言っても過言ではありません。ご存知の通り、平松先生は2002年4月~2008年3月まで2期6年間、学長を務められました。この間に平松先生が直接に関わられた改革はその後の関西学院大学の発展の礎となっています。
 2004年の国連ボランティア計画との協定から始まった国連ユースボランティアは現在の国連・外交コースに繋がっています。同じく2004年には専門職大学院司法研究科(ロースクール)が開設され、2005年には専門職大学院経営戦略研究科(経営戦略専攻・会計専門職専攻)が設置されました。2006年には国連難民高等弁務官駐日事務所と協定が結ばれ日本で初めて難民を対象とする推薦入学制度が設置されました。さらに、2007年には東京丸の内キャンパスが開設されています。
 平松先生が学長の時に発議され大学評議会や理事会で創設が決定されたものには、聖和大学との合併による教育学部の開設、人間福祉学部と国際学部の新設があります。これらの学部を創られた背景には、学生収容定員増による収入増を図るという平松先生のお考えがありました。国際学部の開設は、平松先生が手がけられたサティヤ・ワチャナ・キリスト教大学との協定や2004年の国連ユースボランティアなどと相まって関西学院大学の国際化の礎となっています。「経済社会の発展を牽引するグローバル人材育成支援」(GGJ)や「スーパーグローバル大学創成支援事業」(SGU)の構想調書の執筆に直接関わった私の経験からも、国連ユースボランティアと国際学部がなければSGUの採択は不可能であったと確信しています。
 昨年もアメリカンフットボール部が学生日本一に輝きましたが、アメリカンフットボール部元部長でもあった平松先生は、関西学院の学生スポーツの発展にも大きく貢献をされました。先生は常々「学生スポーツが弱いと大学全体の勢いがなくなる」と言われていました。そのため、関西学院大学体育会を強化するために、スポーツ推薦入試制度と指定強化クラブ制度の2つの制度を提案されました。この2つの制度の創設によって、現在のKGスポーツの強さの礎が築かれました。
 また、平松先生が学長の時に関西学院大学にとって大きな試練もありました。一つは2003年8月1日に本学の学生が「原爆の子の像」に捧げられていた折り鶴約14万羽を焼いた折り鶴放火事件、もう一つは2004年2月7日に福井県の大長山で発生したワンダーフォーゲル部14名の吹雪による遭難事故です。これらの事件と事故の際に、平松先生ご自身が学長として現地に赴かれ誠実に対応されました。平松先生の関西学院への思いが関西学院大学の危機を救ったのだと考えています。
 後ほど、阪智香・商学部教授から詳しいお話があると思いますが、平松先生は研究者としても超一流でした。日本学術会議会員、日本会計研究学会会長、世界会計学会会長、金融庁・企業会計審議会会長などを務められるなど、学会役職や公職に多く就いておられました。
 平松先生への個人的な思いを語り出すといくら時間があっても足りませんが、少しだけお話しすることをお許しください。平松先生は、絶えず大局的、かつグローバルな視点で物事や関西学院を見ておられました。また、責任感が大変強く、強力なリーダーシップを発揮される一方、極めてチャーミングな方でした。平松先生の持つ強さと周囲を包み込む和やかな雰囲気やお人柄に魅了されたのは、私だけではないと思います。昨年の3月は、大学の卒業式を中止せざるを得ませんでしたが、このときも、平松理事長とご相談し中止を決定しました。平松先生から頂いたメールでは、卒業式ができない4年生を本当に気遣っておられました。平松先生ほど学生と関西学院を愛し関西学院のために尽くされた方はおられないと思います。
 現在、関西学院は創立150周年を念頭においた超長期ビジョン・長期戦略Kwansei Grand Challenge 2039 を推し進めております。平松先生は理事長になられてから、このKwansei Grand Challenge 2039 の推進にご尽力されました。平松先生は学長として大きな改革を行い現在の関西学院大学の基礎を造り上げられ、理事長として関西学院をさらに発展させようとするさなかに亡くなられました。亡くなられる間際まで、命を懸けて関西学院の行く末を案じられていたと思います。後に残された私たちは、平松先生の遺志を継いで改革を継続し関西学院をさらに発展させていく決意を新たにしたいと思います。
 平松先生、安らかにお眠りください。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

難民として入学した卒業生ら8人も参列、村田理事長代行らと懇談

村田理事長代行らと懇談する難民として入学・卒業した方たち

村田理事長代行らと懇談する難民として入学・卒業した方たち

 お別れの会には、平松理事長が学長時の2007年に全国に先駆けて導入した「UNHCR難民高等教育プログラム」の推薦入試制度によって、関西学院大学に入学した難民の卒業生や、昨年入学した学生たちも参列しました。終了後、卒業生らは村田治理事長代行と舟木讓院長と懇談し、プログラム導入の経緯を聞き、平松理事長との思い出などを話しました。

 卒業生たちは現在の状況などをそれぞれ報告し、「平松先生がおられなかったら関学で学ぶことはできなかったし、母国や日本に貢献することもできなかった。平松先生への感謝と“Mastery for Service”の心を忘れずにこれからも頑張りたい」「関学で学びの土台を作れたから、夢だった大学院で学ぶことができた。平松先生に恩返しできるように学び続けたい」「まだまだ胸を張れるような活躍はできていないけど、感謝を忘れずにこれからも頑張りたい」「お亡くなりになる直前までFacebookを通して、私に励ましのメッセージをくださった。お父さんのような存在でした」「平松先生や先輩方のおかげで、私は今、関学で学ぶことができている。皆さんの努力を無駄にしないように頑張っていきたい」などと話していました。

<追悼のことば>
脇阪聰史・関西学院副理事長
 平松さんとは関西学院高等部の同級生で3年間一緒に学びました。昭和41年3月1日の卒業式では、卒業生367名を代表して答辞を読まれました。まさに当時からエースだったのです。中学部から始まり、生徒、学生、教員、学長、理事長として61年有余、心から関学を愛しておられました。理事長就任後は、体調がすぐれない中でKwansei Grand Challenge 2039の推進にご尽力されました。残された私たちが意思を引き継いで、関西学院の未来を明るく力強い夢のある形にしていきます。独特のユーモアあふれるしゃべり、人懐っこい表情、食べることとお酒をこよなく愛され、ゼミ生、教職員、同窓の人々との歓談を大切にされ、皆さんから愛された平松さん。本当にありがとうございます。天から関西学院全体を見守ってください。平松一夫先生、さようなら。ゆっくりお休みください。

阪智香・商学部教授
 先生に教えをいただいた32年間のご恩はあまりに大きく、語り尽くすことは到底できません。大学1年生の簿記の授業で先生の薫陶を受け、先生のゼミの門をたたきました。常に世界を視野に入れた研究教育、国内外の学会や実務界の広い世界を見せていただきました。ある時から、私自身が悩んだ時、『平松先生はこんな苦労はすべて経験して乗り越えられ、全てわかったうえでいつも見守ってくださっているんだ』と思えるようになりました。私は心にドアを作り、悩んだ時にはそのドアを開けて平松先生ならどうされるだろうと、自分の中の先生の声を聞くようになりました。それが大きな力を与えてくれるようになりました。先生が安らかに旅立たれますよう、お祈りいたしますとともに、これからも心のドアの向こうからご指導をお願いいたします。

工藤稔・大同生命保険株式会社代表取締役社長(平松ゼミ松門会初代会長)
 突然舞い込んだ訃報に今でも信じられない思いでいっぱいです。こうしている今も心から悲しみがこみ上げてくるのを禁じえません。生涯の師と仰ぐ平松先生との出会いは、私が大学3年生のとき、先生のゼミナールに入ったことがきっかけでした。当時はまだ若手講師だった先生のゼミには、今では考えられませんが定員30名のなか、ゼミ生は17名だったことを覚えています。先進的なテーマについて、楽しい雰囲気のなか学ばせていただきました。まさに先生の優しく温かいお人柄にあふれたゼミナールだったと思います。私が最終学年に上がるとき、先生にワシントン大学に客員研究員としての留学話が持ち上がりました。私たちの就職活動を第一に考え、『君たちが反対するならやめる』とまで仰っていただきました。ゼミ生全員が『先生にこのチャンスを生かしてほしい』という意見で一致し、送り出しました。その際、ゼミ生全員でお金を出し合ってお贈りした時計を『一生の宝だ』と言って、アメリカに着けていってくださったことを今でも鮮明に覚えています。先生が愛した平松ゼミ松門会は、現会長をはじめとする若い人たちからの強い要望を受け、存続させていただくことになりました。今や1,000を超える名前があり、先生からいただいたご縁を次代へつなぎ、一層絆を強くしていきたいと思います。当然のことながら名誉会長は先生です。これからも私たちを見守っていてください。平松先生、今まで本当にありがとうございました。どうぞ安らかにお休みください。

徳賀芳弘・日本会計研究学会会長(京都大学教授)
 先生のご活躍はあまりに広く、膨大で、かつ偉大です。どんな仕事でも一切手を抜かず完璧にこなされて、気配りも怠らない。いったい何人の先生がおられたのでしょうか。学長及び理事長としての関西学院への貢献、国際会計研究における学術的貢献、国内外の学会へのトップまたは客員としての貢献、国際会計人育成への貢献、日本の企業会計及び監査制度改革への貢献、並びにその他の学識経験者としての社会貢献と、ここでとても挙げきれるものではありません。華やかな世界のことだけでなく、学生をとても大事にされていたことは、先生の学部ゼミと私の学部ゼミとで行ったインターゼミでよくわかりました。懇親会でも先生は、学生と酒席をともにされ大いに盛り上がっておられました。あのご多忙な生活の中でしたので、本当にすごいなと感じました。また、まだ若く、研究は一人でするものだと考えていた私に、グループ研究の有効性と楽しさを教えてくださいまして、本当にありがとうございました。偉大な先生と時を同じくして、研究活動や国際交流活動ができましたことを本当に幸せに思っております。先生の安らかな眠りをお祈りします。