卒業論文(2016年度~)

[ 編集者:文学部・文学研究科        2020年3月23日   更新  ]

2020年度

木野ゼミ

ディズニーがグリム作品にかけた夢と魔法
―『 白雪姫 』 と 『 シンデレラ 』―

ドイツの統合政策
―「非移民国」から「移民国」へ―

ヨハネス・ブラームスの音楽について

クリスマスの歴史

ワーグナーが夢を叶えるまで

ドイツと日本の自動車産業の歴史
~ベンツ・トヨタを中心に~

ドイツにおける移民・難民との共生の試み

ドイツと日本の労働条件に関する比較

フライブルクの環境政策に学ぶ住みよい街づくり

動物愛護の日独比較

ドイツの労働形態の実態
―人生で最も大切にしていること―

村山ゼミ

映画『千と千尋の神隠し』から読む児童文学としての『クラバート』
―2つの作品の比較―

グリム童話はなぜ残酷なのか
―規則性・共通点から見る残酷さ―

宇和川ゼミ

《第九》ベートーヴェン最後の交響曲

『昨日の世界』における古き良き時代の終焉とツヴァイクの死

手塚治虫の描いた「虫的変身」
──その分類とフランツ・カフカ『変身』との比較

クライストの男女観からみる『こわれがめ』アーダムの結末

カフカ的ニヒリズムとは何か
~日本での受容のされ方を通じた比較研究~

ベルンハルト・シュリンクにおけるオデュッセイアモティーフと「過去を書くこと」

写真を編集するということ ―ベルリン・ダダから現代へ―

現代の女性と母権論
及び聖書にみる女性蔑視の起源について

エンデとイーザウ
ファンタジーの継承と記憶の文学について

エゴン・シーレ
性の画家が描いた家族像

人間と機械
ホフマン『砂男』を手掛かりに

文学でみる拒食行為
―『親和力』『断食芸人』を中心に―

小川ゼミ

ドイツに見るエコ意識とPR戦略が担う日本の意識改革について

日本とドイツの環境問題

⽇独語の発話における視点

「一汁三菜」の日本の食文化から見るドイツ人の食の位置付けと価値観について

ドイツの足育から学ぶ日本の靴教育の実態

現代社会における言語習得方法の理想像
~受動態を通して~

フリードリヒはなぜ強制収容所に連行されなかったのか

ドイツの街並みの形成と保全

三つの背景から考察する魔女像

ドイツの手話・日本の手話比較

異文化コミュニケーション
―ドイツと日本の比較から―

ドイツビールの美味しさとは

宮下ゼミ

慣用表現に見る「犬」に対する認識の日独比較

ドイツ語彙と日本語語彙の意味範囲の差について

新聞から読み取る日独の表現の違い

「鬼」と「Teufel」の比較
―ことわざ・慣用句を用いて―

色に関する言葉から見る日独英の違い

指小辞「-le」
―標準語指小辞「-chen」「-lein」と比較した意味的差異―

味の形容詞を比較することから考える日独間での語義の広がり

日独の文化と価値観

日本とドイツの住環境比較
~住宅政策と今後の課題について~

標準ドイツ語の成立の歴史から見る舞台ドイツ語

労いの言葉を使うのは日本人だけなのか

日本人とドイツ人は本当に似ているのか
-「恥ずかしい」の定義からみる、日独の国民性の違い-

身体部位を用いた慣用句における日独比較

日独の初等国語教育における
クラスメイトとのコミュニケーションの目的の比較

日本のアニメをドイツ語訳した際の日本語との言葉のニュアンスの違いについて

ケストナー「飛ぶ教室」
―読みやすさとユーモアに着目して―

日独の食品ロスについて
―フードバンクの可能性―

2019年度

木野ゼミ

Industrie 4.0 ドイツのIoT推進プロジェクト
「多民族国家ドイツ」の移民政策
『ニーベルングの指環』の題材分析 ―19世紀の社会とワーグナーの人生をもとに―
ドイツの環境政策 ―環境に配慮した生活とは―
ミヒャエル・エンデの夢見た社会
現代に生きるネオナチ
ドイツにおける難民の社会統合
フリードリヒ大王 ―彼に影響を与えた人々とその業績―
魅力あるドイツの地方都市 ―環境首都フライブルクを例に―
環境先進国ドイツの取り組みーリサイクルシステムと交通システムを中心にー
モーツァルトとベートーベン ―近代音楽家の誕生前夜―
ドイツの働き方 ―労働に関する法と労働組合について―
アドルフ・ヒトラーと強制収容所
ドイツの教育制度 ―半日制から終日制へ―
シンデレラ物語 ―グリム童話集「灰かぶり」からディズニー「シンデレラ」まで―
スワスティカはタブーであるのか ――日本のまんじ、ドイツのハーケンクロイツとの関係性――
E・T・Aホフマンの生涯と19世紀におけるホフマン受容


ルスターホルツゼミ

ビール大国 ―築き上げられたドイツビールの価値―
完全に忘れられることのないクラシック音楽の価値 ―バッハの音楽の再発見・再評価を通じて―
翻訳 ―Translation―Übersetzung
日本とドイツの名字の比較
Shall we dance? ―社交ダンスについて―
ドイツ人とペット
Eintopfとナチス政権
日独オノマトペの比較 ―Dr.スランプ』を例に―
日独の諺の比較 ―動物の諺から見える動物のイメージ―
移りゆくブライダル事情 ―日本とドイツを比較して―
言語の文法範疇における数の認識
見えない雲 ―チェルノブイリ原発事故とドイツ―
どうすれば日本のSPAはドイツで市場地位を確立できるか。
方言の可変性 ―方言の衰退・収束・影響―
そのケーキ、Kuchen?それともTorte?―18世紀以降のKuchenとTorteの境界線―

宇和川ゼミ

シュテファン・ツヴァイクのマリー・アントワネット像 ―史実と虚構―
日本・ドイツ・中国の温泉文化の歴史研究 ―湯治と娯楽の間で―
ミヒャエル・エンデ『モモ』における時間論 ―内的時間を取り戻すこと―
ヘルマン・ヘッセの幸福とは何か~『クラインとワグナー』・『幸福論』におけるヘッセの幸福感の比較~
ホロコーストにおける真偽 ――ガス室の存在について――
全体主義とアイヒマン裁判について ―悪の陳腐さとは何かを考える―
賢女と魔女~グリム童話を手がかりに~
童話における異類婚姻譚について〜グリム童話と日本昔ばなし〜
シューベルトの歌曲「魔王」について-詩と音楽の分析―
ビールの歴史ーメソポタミアから中世ドイツ、現代中国へ―
『小さな国境往来』におけるユーモアの可能性
ハプスブルク帝国に於ける皇帝像の変遷   象徴とは何か。マリア・テレジアからヨーゼフ2世を経て、フランツ・ヨーゼフまで
日本とドイツの動物保護〜殺処分の観点から考える〜

村山ゼミ

  1. フランツ・カフカ「変身」タイトルに込められた意味
  2. 両義性に垣間見る深淵 ―「金髪のエックベルト」が抱える心の闇
  3. ヘンゼルとグレーテルにおけるテクストと図像 ―グリム兄弟の挿絵本から現代の絵本まで―
  4. フケー『水の精』―魂の両義性と自然と人間―
  5. 『審判』における〈境界〉―物語内における二項対立の設定とその解釈―
  6. 移民・外国人に対するドイツにおける言語教育の考察 ―今後の日本に向けて―
  7. エリカを縛る三重の葛藤―E.イェリネク『ピアニスト』とその映画版の比較―
  8. 『朗読者』の三つの謎――戦争犯罪者を愛したミヒャエル――
  9. 『白樺」と版画 ――白樺同人のハインリヒ・フォーゲラー受容を眺めて――

山下ゼミ

音楽用語としてのドイツ語
日独の字幕翻訳の比較 ―映画『もののけ姫』を用いて―
ドイツ語の発音の”らしさ”〜タモリの話芸を用いて〜
自動詞(特にhelfen-Klasse)のbekommen受動における諸考察
日英独言語比較について
絵本における語り手の視点 ―日本語絵本とドイツ語訳版の比較・分析―
ドイツ語圏スイスにおけるスイスドイツ語と標準ドイツ語の関係について
日独ファッション誌比較
hin, herと前置詞の非結合性に関する通時的考察

2018年度

木野ゼミ

ナチス・ドイツの映画利用 ―ゲッベルスの映画政策とプロパガンダ映画―
ドイツでの動物保護
ユダヤ人差別の中でアンネはどう生きたのか
ドイツ人と森の関係性 ―森への信仰から環境意識へ―
ドイツ教育の特徴とPISAショック後の教育改革
グリム兄弟 ―生涯と童話―
マンガにおけるオノマトペ 日本語・ドイツ語のジャンル別による比較
なぜドイツは脱原発を決めたのか
ドイツと日本における働き方 ―労働時間・休暇の法と現状―
オーストリア皇妃エリーザベト ―皇妃が求めたものとは―

ルスターホルツゼミ

ドイツに「馬女子」が多い理由
僕はハゲたくない ~ミヒャエル・エンデの『モモ』における灰色の男たち~
シンデレラのジェンダー的考察
ジェンダーに敏感肌ですか? 「灰かぶり」の女主人公と「鉄のハンス」の男主人公を手掛かりに
誤認識された本 ハンス・グリムの『土地なき民』について
ケストナーの『ティル・オイレンシュピーゲル』 ―ドイツの時代背景をふまえた考察―

宇和川ゼミ

日独ハンドボール交流史
1930年代ドイツにおけるラジオ論の射程 ―ゲッベルスとブレヒトを中心に―
エーリッヒ・フロム『悪について』における組織論 ―「成長のシンドローム」の概念を手がかりに―
多文化教育をどうおこなうか ドイツの多文化教育を手掛かりに
ウィーンミュージカル『エリザベート』―宝塚版とのトート表象の違いについて
映画『メトロポリス』におけるロボットの考察 ―ラング版と大友版を比較して―
個人心理学から考察する「蛙化現象」と解決策
第二次世界大戦を描いたコメディー映画 ―『独裁者』、『ライフ・イズ・ビューティフル』から『帰ってきたヒトラー』へ―
ドイツ・モダンガールと女性社会進出 ―ヴァイマル期を中心に―
嬰児殺しをいかに防ぐのか ペスタロッチ―『立法と嬰児殺し』の読解
アドルフ・ロースの装飾論 ~「現代的な服装」とは何か~
東ドイツのアート・フィルムポスター研究 ―社会主義政策と〈手書き表現〉―

小川ゼミ

lass="text_only"> ドイツ人と森の関係性と日本人と森の関係性の違い
ドイツ視点から見る第一次世界大戦と第二次世界大戦の比較
日本とドイツの地名の由来
音楽論から見るドイツ
日独オノマトペ ―音素イメージと表現効果―
日・中・独の「お笑い文化」に関する研究
ドイツ語と日本語のオノマトペ
ドイツ語特有の表現
バイエルン方言から読み解く方言の形成
日本・ドイツにおける性・名の比較
私たちの中に息づく語用論

宮下ゼミ

lass="text_only"> 日のあたらぬ場所で見つけた女子大生のホンネ ―日独比較―
日本人とドイツ人の価値観の違いについて
日本とドイツにおけるジェスチャーという行為
日本とドイツのサッカー比較 ~両リーグに着目した国民のサッカー意識と実況について~
日独間の字幕翻訳 ―映画「君の名は。」を用いて―
「どうでもいい」と「どっちでもいい」は同じ?

2017年度

木野ゼミ

ドイツの環境先進国への軌跡
ドイツ介護福祉の研究 ―日独が抱える問題―
スポーツと政治の関係の考察 ―ナチスのスポーツ利用を中心に―
ドイツの職業教育 ―デュアル・システムを中心に考察―
ドイツ・グリーンツーリズム ―農家が織り成すツーリズムの世界―
ドイツの中等教育 ―教育の質を中心に―
ヨハネス・ブラームス 4つの交響曲について

村山ゼミ

手塚治虫(ファウスト3部作)におけるゲーテ『ファウスト』の受容―なぜ手塚治虫はゲーテ『ファウスト』を3度も描いたのか―
〈笑話〉における女性像―『グリム童話』の中でしたたかに生きるヒロインたち―
ハインリッヒ・フォン・クライスト『チリの地震』についての考察
シュニッツラー『死人に口なし』について ―登場人物に映される主人公の心理―
病理学と民俗学的観点から考察する『砂男』―主人公の精神状態について―
モーゼス・メンデルスゾーンとドイツ・ユダヤ社会
なぜ昔話では長子が幸せになれないのか
ドイツと日本の戦後比較 ―戦後ドイツから日本が学べることは―
ドイツと日本における少子化 ―今の対策で少子化を止められるか―
赤ずきんはなぜオオカミの腹に石を詰めたのか

小川ゼミ

翻訳による日独の比較 ―映画翻訳を用いて―
日本とドイツ語圏の国におけるスキー交流 ―日本スキー史から学び説く―
日本人が “外国人みたいになる“ には~外国人の合理性と日本人の生産性の低さの訳を教育の視点から探る
地域通貨は地球を救うのか?―地域通貨をヒントにエンデが夢見る社会を考える―
日独比較で考える方言の一生
SO 及び SO THAT/ SO DASS に関する語学的考察
日本とドイツ 就職活動と職業意識 ―新聞広告求人・履歴書の書き方から見る日独比較―
ミュシャ ―その生涯と作品―
漫画におけるオノマトペの日独比較 ―存在しない言葉をどう表現するのか―
日独英の条件表現
見えない合図
姓名の日独比較
Geschlechtergerechte Sprache ―言語からみるドイツの男女平等―
Die sprachliche Kommunikation ―グローバルな私への一歩―

宮下ゼミ

食に関するドイツ語複合語の比喩表現
日独サイン比較 ―名称とイラストに注目して―
ドイツ人はおごるのか
ことわざから見る日独韓の動物観
映画タイトルにおける日独英語間の比較
外国人に対する言語対策の日独比較―ドイツの事例からみる日本の現状に対する改善策の一考察―
絵本に見られるオノマトペの日独比較
バイエルン方言の書きことばについて
地名接尾辞から見るドイツ都市
「時」と「条件」を表す従属接続詞にみるドイツ語・オランダ語の比較・対照 ―als を中心に―
日独新聞記事の表現比較
doch はやっぱり「やっぱり」と訳すのがよいか?

2016年度

倉賀野ゼミ

ワーグナーの反ユダヤ主義思想
近世ドイツの魔女狩り
ハイネの果たした役割
『ウンディーネ』物語の軸を探る
ヒトラーユーゲントとその対抗組織
ミュージカル『エリザベート』における自由とは
音楽の都ウィーンとヨハンシュトラウスⅡ世
グリム童話の神話的要素から見るゲルマン民族の信仰
ドイツ詩にみられる季節
『若きヴェルターの悩み』とその影響
森鴎外のドイツ留学

木野ゼミ

日独グリーン・ツーリズム ―グリーン・ツーリズムが織りなす社会―
パパゲーノは野人なのか ―あるいは古代・中世・ルネサンス・バロックの道化たち
『イメン湖』のユートピアと現実
人口減少時代の日独都市政策
ナチス政権下の教育
フライブルクから学ぶ環境教育 ~環境意識はどのようにして高まるのか~
近代ドイツの社会とモード
ドイツと日本のスポーツの歴史の研究
ドイツの犬文化と動物観
ハンザ同盟と中世ヨーロッパ世界
『多民族国家ドイツ』への道 ―第2次世界大戦から今日まで―
ウィーンミュージカル『エリザベート』論 ―日本で愛される理由―
モーツァルトのオペラ『魔笛』とフリーメイソン
日本とヨーロッパにおける河川対策の比較
日本とドイツのビール ―その歴史と産業―

村山ゼミ

モモの聞く力 ―カウンセリングと比較して―
「ラプンツェル」から『塔の上のラプンツェル』へ ―ディズニーはいかに昔話をアニメ化したのか
ヘルマン・ヘッセ『車輪の下』 ―<車輪>の様々なイメージの解釈―
ヴィルヘルム・ハウフ『冷たい心臓』 ―ペーターの心臓を冷たい心臓に替えたものとは何か―
『ホレおばさん』とその類語 ―グリム、バジーレ、ペローの童話より―
ハイジとシュピーリ ~ハイジを成長させた2つのこと~
『はてしない物語』からみる文字の色と鏡文字について
『飛ぶ教室』におけるエーリヒ・ケストナーの教育性について
E. T. A. ホフマン『クルミ割りとネズミの王さま』不思議なマリーちゃんと不気味なドロッセルマイアー
物語の中の現実とフィクション性 ―クライスト『チリの地震』を例に―
ドイツの造形都市の変遷
ドイツ戦争児童文学と差別のメカニズム ―ユダヤ人差別を扱った2つの作品―
グードルン・パウゼヴァング「みえない雲」 ―原発事故のシュミレーションと文学的戦略―
ミヒャエル・エンデ『モモ』 ―ジジとベッポの対照性と存在意義-

小川ゼミ

hの来た道、hの行く道 ―黙字や長音符の役割を担うh―
再帰構文におけるsichの意味拡張
オノマトペの感性 ―Mangaから見る
親から子へ das erste und ewige Geschenk
Was ist „GENDER“? ~過去から未来へ~
外来語が来た道 ―日独語を中心に―
白黒と明暗の意味論 ―日独語を手掛かりに―
人が行き来するということ ~日独語の比較~
子どものことば、国境を越えることば ―日本語とドイツ語からみる
BUNDESLIGA命
bitteの力
du oder Sie ―人と人とのキョリ―
方言の未来

宮下ゼミ

マインツの方言
ドイツ語における英語借用動詞の傾向とその意義について
ドイツ語における自由与格の役割とその特徴 ―所有の与格と代替可能な所有の対格との比較を中心に―
シュンペーターの書いたドイツ語速記
日本語とドイツ語の省略
今後のドイツ語教育のあり方 ―アメリカと日本のドイツ語教育の現状を比較して―
日本語とドイツ語の「若者ことば」の定着の特徴について