2024.03.19.
2023年度司法研究科 学位授与式 研究科長挨拶

 「世界は君たちを待っている!」
 これが本日、皆さんを送り出すにあたり、私が伝えたいメッセージです。

 皆さんの前に立ちはだかる司法試験。しかし、その壁の向こうには、世界が君たちを今か今かと待っているのです。だから、できるだけ早くその壁を突破して、新しい世界に飛び込んでください。ご親族の皆さまも同じ気持ちだろうと思います。

 では、皆さんを待つ世界とは、どんな世界なのでしょうか。
 まず、壁のすぐ向こうにある法律業界は、完全な売り手市場です。法律専門職の世界は皆さんの参入を大歓迎してくれるはずです。

 また日本では15歳から64歳の生産年齢人口が急速に減少しています。2020年の約7400万人から2065年には約4500万人へと減少すると言われています(内閣府HP)。45年間で約40%もの減少です。縮小しつつある日本は、社会の屋台骨の支え手として、皆さんの働きを待っているというわけです。

 グローバルには、気候変動によって食料を含む資源を巡る紛争や大量の難民が生み出されて、戦争の原因になってきています。加えてAIなどの先端テクノロジーの急激な発展が、内外で貧富の格差を増大させています。
 欧米や日本などの民主主義国家内においても、国民の不安と不満が高まり、その分断が進んでいます。選挙を通じて破壊的なリーダーに民衆が権力を委ねてしまう、社会心理学者エーリッヒ・フロムが言う「自由からの逃走」が起こっているのではないでしょうか。
 このように、皆さんの前には、危険で困難な課題を抱えた世界が広がっています。だからこそ、さまざまな問題に立ちむかい、解決への努力を惜しまない、若い世代の法律家の登場を世界は待ちわびてもいるのです。

 こう言うと、皆さんは、とてもそのような理想、情熱、能力は自分にはありません、と一歩引いてしまうかもしれません。しかし、私はシンプルに、皆さんが各自の持ち場で法の精神を生かして活躍してほしいと願うだけなのです。そのとき、法を学び使い続ける者として、正義、寛容、そして自由を導きの星にしてほしいのです。それはマスタリーフォーサービスの実践にもつながるはずです。

 まず、正義を模索し追求する姿勢を持ち続けてください。唯一絶対の正義はないけれど何が正義かを求め続けること。ただし独善的正義はかえって危険です。法哲学者の井上達夫氏は、ある人が叫ぶ正義が本当に正義に適っているかを判断する基準として、反転可能性、reversibility、つまり立場をひっくり返せることをあげています(「世界正義論」他)。自分が掲げる正義を、仮に相手から主張されても、自分は受け容れることができるか、というテストです。たとえば、同性愛者による結婚制度は認めるべきではない、という命題であれば、自分が同性愛者側に立つ場合でもそれを受け容れることができるか、という問いになります。3月14日、札幌高裁は、憲法24条や14条を根拠に、同性婚を認めない民法等の規定は違憲だと判断しました。そこに至るまでに、裁判官たちは自分がもし同じ立場にあったらどう考えるかをとことん突き詰めたに違いありません。

 しかし、自分と相手の立場を入れ替えてみる知的態度を習慣にすることは、決して簡単なことではありません。しばしば私たちは怒りや憎しみの中で、相手もまた同じ人間なのだから、と受け止める寛容さを失ってしまいます。
 ここに一冊の本があります。
 「もしも許していただけるなら、神であるあなたに語りかけたい。(中略)
 あなたはけっして、人間どうしがたがいに憎悪しあうために人間に心をあたえられたわけでなく、人間どうしで殺しあうために人間に両手をあたえられたわけでもない。われわれがつかのまの、しかし苦しい人生の重荷にたえられるよう、われわれがたがいに助けあうようにしてください。(中略)
 戦争によるいたましい災難は避けられないことであるとしても、平和のさなかにおいては、われわれは憎みあわないようにしよう。たがいに相手を敵視しないようにしよう。そして、われわれは、われわれがこうしてこの世にいる瞬間を利用して、この瞬間をあたえてくださったあなたの善意に感謝することばを、シャムからカリフォルニアまでの千の異なる言語で唱えよう。」
 これは今のガザにも通用しそうです。しかし、実は1763年に発行されたヴォルテールの「寛容論」の一節なのです(斉藤悦則訳、195頁以下)。当時、フランスではプロテスタントとカトリックが厳しく対立していました。ある町で、息子の突然の死を悲しんでいたプロテスタントの老父が、カトリックに改宗しようとしていた息子を殺したのだと告発され、冤罪で不当にも処刑されたという事件が起こりました、ヴォルテールは勇気をもってこの書籍でその事件を告発したのです。
 寛容は、歴史に向き合って私たちの精神を鍛え続ける中でかろうじて培われるものであることがわかります。

 3番目は自由です。いくら正義を頭に描き、寛容を心に抱いたとしても、ただ沈黙しているだけでは世の中は何も変わりません。現在の日本社会は表向き上自由な社会ですが、本当に大切なことについては自由にモノが言いにくく行動しにくい社会になりつつあるのではないでしょうか。法律家は自由を大切にし、そのために独立性を重んじます。法律家がモノを言えなくなったら社会は窒息するのです。だからこそ、皆さんは、自由をそして精神の独立を大事にしてほしいのです。

 正義の模索・追求と、その行き過ぎを戒める寛容、たとえ少数派であってもそれと貫くための自由。それが法の支配の担い手としての皆さんの持ち場での指導原理になると思うのです。

 さて、冒頭に「世界は君たちを待っている」と希望を述べたのに、いつの間にか暗い世界を強調する話になってしまいました。しかし、希望に満ちた世界も皆さんの前に広がっているはずです。「What a wonderful world」、日本の曲名「この素晴らしき世界」の中で、ルイ・アームストロングはこう歌っています。

I hear babies cry
I watch them grow
They’ll learn much more
Than I’II ever know
And I think to myself
What a wonderful world
Yes, I think to myself
What a wonderful world

赤ちゃんの泣き声が聞こえる
これから大きくなって
多くのことを学ぶだろう
僕が学んできたこと以上のことを
そして一人こう思う
何て素晴らしい世界だろう(繰り返し)

(ジョージ・ダグラス、ジョージ・デヴィッド・ワイス作詞作曲、訳を含めて https://www.youtube.com/watch?v=czI0VtKsvFM より引用)

 誰の心にもストレートに届く歌詞です。
 ただ、やや皮肉屋の私などは、将来について単純に楽観できる、いい時代だったのだな、とも感じてしまいます。しかし、私たちはこの曲が作られたのが1968年、ベトナム戦争の泥沼の中だったことを思い起こす必要があります。戦争で多くの命が失われる中、素晴らしき世界を希求する気持ちをエネルギーに社会を変えていこう、そういったメッセージが込められていたからこそ、当時の人々の心に浸みこんだのではないでしょうか。希望の力を信じようと。

そこでこの歌詞をもじって11月の合格発表の日について先に歌っておきます。

君たちの喜ぶ声が聞こえる
これからもっと大きくなって
多くのことをなすだろう
私たちがなしてきたこと以上のことを
そして皆でこう思う
何て素晴らしい世界だろう
何て素晴らしい世界だろう

そのような素晴らしい世界が君たちを待っていることを、そしてそういった世界を皆さんがともに創っていくことを心から願っています。

本日はおめでとうございます。

2024年3月16日

関西学院大学司法研究科長 池田 直樹

この式辞は、同日の学位記授与式でのあいさつを修正・加筆し、引用元を明らかにしたものです。