稲増 一憲 准教授(1)

[ 編集者:社会学部・社会学研究科      2015年5月29日   更新 ]

「個人」を超えた「集団」を捉える社会心理学の魅力

社会学との出会いはどのようなものでしたか?

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大学では、2年次までは様々な授業を受けて3年生のときに研究分野を選択する仕組みでした。そこで身近な分かりやすいテーマを扱いながらも実験結果を使いながら学問として実証していく社会心理学に魅力を感じました。
例えば、当時テレビゲームは「よくないもの」「悪影響をあたえる」とさかんに言われていましたが、実験では、テレビゲームで暴力性が高まるとは必ずしも実証されるとは限りません。テレビゲームと暴力性の関係は、暴力的なゲームをするから暴力性が高まるのではなく、もともと暴力性の高い人が暴力的なゲームを好むことで生じる場合も多いといった研究結果に興味を抱きました。

どのような学生時代でしたか?

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学生時代の稲増准教授(中央)

学生時代はコーラスサークルで指揮者をしたり、劇団を作って脚本を書いて演出したりしていました。
様々な人が集まることで、個人では起こらない問題が発生する一方、その問題を乗り越えて達成することに充実感を感じていました。
演劇の脚本を実現することは自分一人ではできません。演技をしてもらい、ステージを作ってもらい、それぞれの役割を演出家がマネジメントすることになります。その結果、自分がもともと考えていた脚本を超えることがあります。これは大変だけど面白くて、ほかでは味わうことのできない魅力があります。それに取りつかれていたように思います。

学生生活の魅力についてもう少し教えてください。

集団で何かをすることは好きだったのですが、スポーツは苦手でした。また、勉強は基本的に個人でするものなので集団の面白さを味わうことはできず、ましてや個々人にひとつの基準で順位がついてしまうことに違和感がありました。それと比べて演劇は、華がある人、面白い人、音楽に詳しい人、美術ができる人など、個々人の良い点を見つけて、それらを集めてよいものができる。それらをまとめるのが演出家としての自分の役割でした。集団として個人を超えるものができることに魅力を感じていました。
でもそれは、けっして容易なものではありません。作品に関わるみんなそれぞれに、やりたいことがあります。ですが作品を作る側としては、個々人の意見や思いを聞き入れる以上に、作品全体を作り上げることを中心に考えなければなりません。それはとても大変なことです。そのなかで、ほかの人は弱音をはくことができますが、自分は演出家という立場なので、たとえ疲れても弱音をはくことができませんでした。そのことは、やはりしんどかったですね。
いま振り返って考えてみると、社会心理学を研究することになったのも、そうした個人ではなく集団でなにかを作るということの難しさと面白さに惹かれていたからかもしれません。

大学ではどのような勉強をしたのですか?

3年生からは社会心理学を専攻したため、社会調査や実験の方法、専門の統計ソフトを用いた分析手法など、社会心理学の手法や方法論に関する授業を多く受けました。習得しなければならないことが多くて大変でしたが、学んだことの成果が実感として分かり、調査や実験、統計分析などの身につけた手法を用いて自分の興味のあるテーマに取り組んでいけることに魅力を感じていました。

大学院に進学したのはどうしてですか?

当時、高校生から大学生になった頃は、携帯電話やインターネットが普及しつつある時代でした。そうした技術が、自分たちの社会とどのように関わり、どのような影響を与えるのか。そのことを考えるなかで、ただ単に新たな技術が社会変革を引き起こすのではなく、技術と使い手との相互作用が社会に影響を与えていることを扱った授業に、強い興味をもちました。
例えばポケベルは、医療現場で緊急時に医者を呼びだすための道具として用いられていたのが、女子高生が数字を文字化することで若者のコミュニケーションツールになり、これが日本におけるケータイメールの爆発的な普及につながりました。
このことが引き起こした社会の変化として、それまでは人と人が出会う「たまり場」的な空間が多くあったのですが、人々がケータイを通じてダイレクトにつながることになりました。その結果、若者集団の在り方が変わったのです。こうした技術と社会の相互作用がもたらす変化に面白さを感じており、コミュニケーションの変化について大学院で研究したいと思っていました。

稲増准教授のインタビューは(2)まで続きます!
(2)では担当科目である「研究演習(ゼミ)」「世論形成の社会学」について詳しく伺います。

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