貴戸 理恵准教授(2)

[ 編集者:社会学部・社会学研究科      2016年8月2日   更新 ]

経験を「社会学」で形に

研究者の道を進まれるようになったキッカケはありますか。

社会学のゼミに所属し、卒業論文を書きました。しかし、その時のテーマは「不登校」ではなく、横浜市の学童保育についてでした。卒論を通じて学術論文の書き方を学び、いよいよ不登校を研究する準備が整ったと感じて大学院に進学しました。自分にしか出来ない研究があるはずだという思いもありました。

研究の内容について詳しく教えてください。

不登校の子供の権利を主張する不登校運動の議論と、教育社会学の格差・不平等論を架橋したいと考えていました。
1980年代から不登校の子を持つ親などが中心となって興った不登校運動は、「学校+企業=社会」とする風潮のなかで、「不登校でも社会に出て行ける」と主張していきました。
しかし、私が大学院に進んだ2000年代は、「学校+企業=社会」という図式の揺らぎが目に見えるようになった時期でした。学校に行っていてもきちんと仕事に就けるか分からなくなった社会で、「不登校でも社会に出て行ける」という主張では当事者の経験を受容できなくなっていると感じました。他方、教育社会学の格差・不平等論は、若者雇用の劣化やフリーターのなりやすさにおける学歴による格差などを見ていました。けれどもそこでは、出身家庭の格差を助長しないよう公教育をしっかり行うという結論にいきがちです。社会全体の格差・不平等を把握した上で、かつ個々の不登校経験を大切に扱えるような研究をしたいと思いました。
それは80年代に不登校をし、2000年代に社会に出ていく者のリアリティに基づく発想でした。

担当している授業について教えてください。

「現代若者・子ども論」という授業を担当しています。若者や子どもは「この社会」に後から参入していく存在であり、異端視されやすいものです。「近頃の若者は・・・」という年長者の愚痴は古代エジプトのパピルスにも書いてあるといわれるくらい普遍的。でも翻って、異端の側から「この社会」の「当たり前」を問い直す基点にもなります。
現代の日本社会では、子どもは消費主体としては幼児期から「一人前」扱いです。刑事責任は14歳から「一人前」に問われます。一方で、大学生は民法では成人していても、教育という名のもとに庇護や管理の対象とされます。フリーターやニートの統計上の上限年齢は34歳で、政府は実質的にこの年まで「若者」と捉えています。このように、「子ども/大人」の境界は曖昧で矛盾に満ちており、社会的に日々、構築され続けているものだと知ってもらいたいです。

受験生へのメッセージをお願いします。

「生きづらさ」を大事にしてほしいと思います。
もし、あなたがこの社会へのどうしようもない違和感を持っていたら、それを消そうとせずに大事に取っておいてほしいです。今は苦しみの根源にも思えるその違和感こそが、自分のオリジナリティになって、新たなキャリアや人とのつながりをもたらしてくれるかもしれません。
「大学生になる」というと、「おしゃれをして、サークル活動やバイトをがんばって、友達や恋人を作って・・・」と華やかで楽しいイメージを持つ人も多いでしょう。それはそれでよいと思いますが、そうならない・なれない人も問題はないと思います。生きづらさは問いの宝庫。自分の経験にねざした問いが、社会学を通じて形になっていく楽しさを感じてほしいと思います。