学部長メッセージ

[ 編集者:社会学部・社会学研究s科        2020年4月1日   更新  ]

                                                                                                                                                                                                                                                               

 関西学院大学社会学部を進学先として検討している人に向けて、このメッセージを書いています。

 高校生の皆さんは、どのように受験する大学や学部を決めるのでしょうか。当然ながら、最初のステップとして、文系か理系かという選択行動があります。文系を選択した人は、多くの総合大学に設置されている文学部、法学部、経済学部、商学部などから、自分が何を勉強したいのかを考え始めるのだと思います。

 早いもので15年以上、関西学院大学社会学部に勤務し、毎年、面接でよく耳にし、志望理由書で目にするのが、「社会について幅広く学びたい」という見解です。

 この考え方、イメージは、確かに間違いではなく、社会学部が提供しているカリキュラムを説明しているとも考えられます。従って、受験生の皆さんや高校の先生方から見ると妥当なものと考えられているのだと思います。しかし、社会学部の教員から見ると、いくつか批判的に検討することができます。

 第一に、文系学部の中で、法学部への進学を消去した人がいたとすれば、その人に考えてもらいたいことがあります。

 法律や制度のことが理解できないのに、あなたは社会が理解できるんですかと。

 自分や家族が犯罪に巻き込まれ、被害に遭い、人格を傷つけられた場合、誰に相談し、どのように解決していくことができるのか。代表性という仕組みによって、自分の意見を行政の施策に反映させることがどのように可能なのか。こうしたことを理解しておくことは大切ではないですか。

 確かにそうだと皆さんは思うと思います。でも、法学部を消去した人は、本音として「法律は文章や用語が難しいそう」とか「全く興味が湧かない」というイメージで消したんだと思います。

 第二に、経済学部や商学部を消去した人に考えてもらいたいことがあります。

 はっきりいって、「この世の中はお金ですよね」と。

 お金が十分にあれば、たいていのことは、お金が解決してくれます。確かに<真実の愛>はお金で買うことはできないと思いますが、それ以外のものはだいたいなんとかなります。経済学は、人間の選択行動を研究する学問であり、具体的な財とサービスの仕組みを理解せずして、社会が見えてくることがあるでしょうか。

 確かにそうだと皆さん思うと思います。経済学部を消去した人には、本音として「数学、数式がヤバい。自分にはマジ無理」と考えた人がいると思います。

 確かに、それは正解です。身の程を知ることは大切かもしれません。しかし、社会を数字でとらえることを拒否する態度では、「社会学でも苦労しますよ」ということを、予め伝えておきたいと思います。現代の経済学を深く学ぶには、高度な数学的知識が必要です。社会学では、一般的に、そこまでは必要がないというのが確かにあります。社会調査と社会統計は、高校の確率・統計の範囲内と考えておけばまず間違いとは思います。しかし、数字で社会をとらえることの大切さは、ぜひ消去せずにおいてもらいたいと思います。

 

 第三に、文学部を消去した人に考えてもらいたいことがあります。

 日本で、大学という制度がどのように発展してきたかを考えれば、文学部の根幹である<文・史・哲>つまり、文学、歴史学、哲学の圧倒的な存在感をどうして無視できるのでしょうか。欧米の大学の組織構造を見ると、Arts&Scienceという大きな枠組みがあって、その外側に、医学、法律学、経営学、工学といった実用的な学問が別に存在する形になっています。文学部の学びは、いわば、人間の学問のど真ん中なんです。どうしてそれを消去するのですか。社会学の歴史を理解するにも、古典古代からの哲学・思想を無視することはあり得ないです。心理学は、現在では明確にScienceですから、哲学から派生した要素と理科系のセンスも必要です。文学部を消去した人は、本音として「あまり分厚い本読のははしんどそう」とか「語学力が弱いから」というイメージで消したんだと思います。

 こうした皆さんの本音の理由は、よく理解できます。

 さて、皆さんは、どうして社会学部長が、社会学部の宣伝を一切せずに、他の文系学部の良さや存在意義を語るのか、訝しく思う人もいるでしょう。その理由を説明します。

                          

       

                                                                                                                     

 私の希望は、

 他の文系学部の消去法だけで、社会学部を志望しないで欲しい

 ということです。

                                                                                             

 いや、消去法でも良いのですが、私のいう消去法は、<法学部は用語が難解でダメ>、<経済学部は数学がいるからダメ>、<文学部は分厚い本読むのが無理だからダメ>という<ダメダメ・パターン>の消去法ではなく、

 積極的な消去法です。つまり、

<法律を学んでも理解できない社会秩序がある>,<経済学で普通に想定されるように人間は振る舞わない場合がある>,<何世紀も前の話と同じことが今起きているんじゃないか>という着想です。他学部、他の学問分野では、カバーできないことを社会学部で取り組んでやろうじゃないかという心意気なのです。

 なぜなら、私たちは社会学部で、社会学を学ぶことによって、「法律学」でも、「経済学」でも、決してとらえることのできない、この社会の事実が明らかにできると信ずるからです。

 

 高校の先生方で、この文章を読んで下さった方がおられれば、「社会について幅広く学びたい」って、志望理由書に書いたら、印象悪い(少なくとも私には)と感じてもらえれば幸いです。私たちの希望は、高校生の皆さんが、社会を理解するには、法律を知り、経済活動の実態を数字で把握することが絶対に必要である。そのことを抜きに、社会なんて語れないということを一旦、きちんと理解して欲しいのです。

 もう1つの問題は、「幅広く」という副詞が、ポジティブな意味だけではないことです。「幅広く」は「広く」、「浅く」、「薄く」というネガティブなイメージがあります。中途半端ということです。しかも、繰り返しですが、ここで社会学部を第一志望にする受験生の皆さんの考える、「社会を」という目的語の中には、「法律・制度」と「経済活動」がほぼ入ってないのです。{社会-(法律+経済)}で、果たして、社会が理解できるのですかということです。これは実は、社会学部生の「弱さ」であるのだと思います。私は、これから社会学部を志す皆さんには、このジレンマを、理解した上で、社会学部を志望して欲しいと期待しています。

 その上で、法律も家族のあり方が変化すると、昔のままでは存続できなくなるとか、経済学者の予測通りに、消費者が行動しないということに気づいてもらいたいのです。法律をいくら精緻に解釈できても、また、エレガントなモデルや数式で市場を説明できても、なお、社会の本当の姿や人間の行動を描き出すことはできない。では、そこを埋めるのは何か。この問題に切り込むために、社会学という比較的歴史の浅い学問分野の存在意義が出てくるのです。消極的選択ではなく、積極的選択として、社会学部を志望する理由がここにあるのではないでしょうか。

 多くの高校生の皆さんが、積極的に社会学部の魅力や存在意義に気づいて下さること、高校の先生方が自信をもって、社会学部を進めて下さることを、心より願っております。

                                                                                      

  

社会学部長 森 康俊