そうせいTIMES 第5号 無意識な日常を意識すれば、総政の学びが見えてくる(2012/07/29 発信)

[ 編集者:総合政策学部・総合政策研究科 2015年6月11日 更新 ]

異なる観点で新たな「街の可能性」を生み出す

本田教授

本田教授

街の風景といえば、「言語景観」の研究が注目されています。看板、注意書き、ポップなどの「書き言葉」から、言語と社会との複雑な関わりやメッセージ性を考察するものです。日本ではまだ研究が始められて間もないですが、例えばイスラエルのような社会ではアラビア語かヘブライ語、または英語のうちどの言語を使うか、どれを先に書くかで、市民の意識や政治的な力関係をも図れるといいます。

八木教授

八木教授

何気ない景観の一部にも、さまざまなメッセージやルールが見え隠れしている、と。

本田教授

本田教授

身近なところでいえば、総政のある神戸三田キャンパスの最寄駅の看板もそうです。三田駅は漢字の下にローマ字が表記されているのに対して、新三田駅は「Shin-SandaStation」とローマ字が上に表記されていることにも何らかの意図が隠されているはずです。

八木教授

八木教授

興味深いですね。言語景観というものをもう少し大きくとらえた先に、本当の街の景観があるのかも知れない。街の景観において、言語が次の空間や行動へと動かすきっかけになってきているのを感じます。

本田教授

本田教授

これまでは言語に「景観」という認識がありませんでしたからね。言語景観の研究上の分類としては、政府や鉄道といった公共性が高いオフィシャルなものと、企業やお店といったノンオフィシャルなものに分けられます。さらにもう一つの切り口は、情報を伝えるためのインフォマーシャルなものと、お店のイメージを伝えるようなロゴマークなどのシンボリックなものとに分けられます。

八木教授

八木教授

オフィシャルなものほど、分かりやすさと正確性が求められますよね。
現在、観光地における防災ユニバーサルデザインの調査をしているのですが、リニューアルされたばかりの大阪駅も観光客で賑わう清水寺も、サインが分かりにくい。案内が「デザイン」として美しく表現されていても、活用されなければ記念碑と変わりません。一方で、最近京都から高速に乗る時、赤地に白文字で「有料」と書かれた1×1.5mほどの大きな看板に出くわすのですが、あれは遠目からでも非常に分かりやすい。

本田教授

本田教授

そうなんです。日本の言語景観は情報量が多すぎます。本来、それ単体で情報を伝えるためのピクトグラム(絵文字)にわざわざ言葉を付け足したり、敬語表現を多用しすぎていたり。こうした利用者や顧客に対してオーバーな遠慮を感じる部分には、まさに「ポライトネス理論」が仮定していることがそのまま当てはまります。「ちゃんと書かないと心配」という日本人の気質もあると思いますが、結果分かりにくくては本末転倒です。

八木教授

八木教授

余計な言葉や説明のほか、形容詞のつけすぎで、かえって分かりにくくしているケースは多いですよね。
さらに、災害などの情報の伝達はタイムラグが気になることもありますが、私たちそれぞれの分野が協力すれば景観の中へ上手く言語を落とし込むことができると思います。今後、都心の大型モニターに瞬時にサインを出すなどシンボリックな景観が増えていくかもしれません。

本田教授

本田教授

異なる視点をもって私たちがいる街を眺めてみることは、新しい発見や可能性に繋がります。

八木教授

八木教授

そうですね。言語と建築がこのようにお互いの観点を持ち寄り協力し合えば、今までにない良好な「景観づくり」が可能になると思います。