そうせいTIMES 第4号 ポスト3.11 ソーシャルメディアが求める学び・研究~震災復興から考える「メディア・情報」の役割とは~(2012/03/17 発信)
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◆教員のステータス、担当授業科目は、2012年3月17日発行時点。
学びの現場から被災地支援のあり方を考える
山中教授
震災直後、学生達から「すぐにでも被災地に行きたい」という声を受け、学部が一丸となって動くのを感じました。関学は阪神淡路大震災の被災地の大学として、とてもうれしく誇りに思います。
私もその思いをバックアップするため、メディアを通じた被災地支援のあり方を考えるラジオ番組の制作に取り組みました。
学生たちが被災地でさまざまなボランティアを実践したり、離れた場所からの支援を通して体験したことなどを、毎週火曜日の生放送で届けるものです。これはオンデマンドで自由に聴けるようになっています。現在も、地元のラジオ番組を集めたものや外国語での災害情報メッセージを送るほか、寒い仮設住宅で年を越すお年寄りに向けて関学の落語研究会が演じた上方落語を音源ファイルにまとめ、被災地で配るなどの活動も続けています。
伊佐田准教授
私のゼミでは、社会を支えているシステムが抱える問題についてディスカッションをしました。システムデザインに関わる者は、現在あるものの将来の有り様を想定してシステムを構築する必要があります。福島原発の問題についても、「想定外だった」というのは認識不足だといえます。
自然相手であるにも関わらず、「電源が完全停止することはない」という想定で建物を作ったというシステムのデザイン自体がミスであり、人災だといえるでしょう。システムデザインの些細なミスは、今回のように市民生活を大きく揺るがす事態に直結します。
万一の事態を想定して、どのようなデザインにするべきか、目に見えない要求をいかに引き出すかが重要だと話し合っています。そのためには、「どのように想定するのか」「想定レベルをどこに置くのか」ということも重要になってきます。
畑教授
私たちメディア情報学科の役割は、今回のような未曾有の出来事の情報、体験、記憶などを、風化させずに次の世代に繋げていくことだと感じています。しかし、これは個人個人の努力や感情で実現できることではなく、社会的なシステムを新たに構築する必要があります。
東日本大震災は市民のビデオや携帯の動画が数多く残されました。そこで、新たな被災地の復興支援と地方再生への取り組みとして、防災科学技術研究所などと共に「311 まるごとアーカイブス」プロジェクトを立ち上げました。東北の防災拠点である遠野市を拠点に、住民が記録した写真や映像、津波で流された家族のアルバムなどを集めています。昨年開催されたシンポジウムでは、集まったデータをどう活用し、メディアと防災、そして教育をどのように繋げていくのかを話し合いました。
現在、これをもとに「防災マルチプル電子図鑑」を制作中です。世界中の誰もが利用できる防災学習の教材となる防災図鑑で、災害リスクなどを効果的に学ぶことができます。
小池教授
今回の震災は、総合政策学部の総合性がまさに発揮されるものでした。全国の大学の中、関学総政の学生や教職員の動きは早く、ミッションスクールたる伝統やフィールドワークが大いに生かされたことを誇りに思います。ゼミやサークルなど、あらゆる場所で学生が自発的な動きを見せており、現地へのボランティアを派遣するためのバスが出た時、私も一緒に被災地へ行きました。そこでは、学生が泥かきをし、倒れた食器棚を起こし、おばあちゃんと一緒に泥だらけのお皿を拭くといった体験を通じて大きく変わっていく姿を目の当たりにするなど、うれしい驚きもありました。
私が担当する授業でも、震災後にシラバスを急きょ変更し、原発問題を取り上げています。私自身も一人のジャーナリストとして、この震災を記憶に残すことが何より大切だと考え、そのために私たちは何をすべきなのかということを今も考え続けています。