研究所について

「人間復興」
くらし、まち、すまい、
こころを癒し、支える力
「公」と「私」
境界を越え築いていく
連帯感と公共意識

関西学院大学は阪神大震災によって23人の学生・教職員を失いました。激甚被災地・西宮にある大学として、その直後から、学生を中心とした震災救援ボランティア活動や各学部の教員による復旧・復興の研究が行われてきました。
震災から9年が過ぎた2004年1月、学長主導の全学的な試みとして阪神淡路をはじめ全国の自治体・大学・NPOなどの復興支援関係者を一堂に集めた「災害復興制度研究プロジェクト」が開始されました。その結果、関学の強みである人文・社会科学の研究を生かし、よりよい災害復興制度を研究・提案する独立の研究所を新設することになりました。災害復興制度研究所は、2005年1月17日、阪神淡路大震災からちょうど10年の節目に誕生しました。人文・社会科学を中心にした「復興」制度の研究に焦点を合わせる点では全国唯一の研究所です。

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沿革

関西学院大学は、阪神・淡路大震災をはじめ、日本列島の各地に深い傷跡を残す自然災害の被災体験から教訓を紡ぎ出し、災害復興にかかわる新しい理念を構築するため、2004年1月に「災害復興制度研究プロジェクト」を立ち上げた。震災10年にあたる2005年1月17日には、その研究拠点として、「関西学院大学災害復興制度研究所」を設立。「Mastery for Service」(奉仕のための練達)の精神に則って、全国の被災地やNPO・NGO、他大学とネットワークを形成しながら、「人間復興」にふさわしい再生プログラムの研究を進め、21世紀への知的貢献を果たす。

研究の理念

研究の理念を「人間の復興」とする。人間復興とは、災害復興の主体を「都市=空間の再建」「全体の復興」から、「被災者の再生」「個の復興」に置き換えるパラダイム・シフトを意味する。

「人間復興」を最初に提唱したのは、大正デモクラシーの旗手にして福祉国家論の先駆者である経済学者の福田徳三(1874-1930)である。関東大震災の折、後藤新平の「帝都復興の儀」に異議を「私は復興事業の第一は、人間の復興でなければならぬと主張する。人間の復興とは大災によって破壊せられた生存の機会の復興を意味する」と主張。さらに、「今日の人間は、生存するために生活し、営業し、労働せねばならぬ。すなわち生存機会の復興は、生活・営業・及び労働機会(これを総称して営生という)の復興を意味する。道路や建物は、この営生の機会を維持し、擁護する道具立てに過ぎない。それらを復興しても本体たり実質たる営生の機会が復興せられなければ何にもならないのである」と断じた。

研究所は、この精神を受け継ぎ、2009年に災害復興基本法試案を発表し、自己決定権に基づく幸福追求こそ災害復興の第一歩だとして、復興法体系の整備を目指している。

支援の理念

支援の実定法を策定するにあたっては、「事の支援」に留意したい。「事」とは、「歩くエンサイクロペディア(百科事典)」との異名をとった和歌山出身の博物学者であり、民俗学者であった南方熊楠(1867―1941年)の造語である。南方によると、「事」とは、「心」と「物」とが接して生じる人界の現象―つまり宇宙が生まれてからすべての「事」は一度しか起きない「今」だというのだ。

被災者支援は、家を失えば「住宅再建支援」という「物」の支援、災害の恐怖にさいなまされていれば「カウンセリング」という「心」の支援という風に個別ばらばらで行われる。しかし、借家に入っていたラーメン店の経営者が家を失い、けがをして障害者となった。店の周りは区画整理で客層も戻ってこない。こういった「今」=「事」に着目した総合的支援にこそ着目して支援メニューを考えなければいけない。「事の支援」には、「今の現状」を救うということが大前提となる。「私有財産自己責任」や「焼け太りをつくるな」といったマイナス思考では真の復興支援はできない。

組織の理念

組織運営の指針を「共存同衆」とする。
 「共存同衆」とは、自由民権運動家の馬場辰猪や小野梓らが1874年(明治7年)に結成した学会=Societyの原型の一つとなる結社のことである。官製的結社で閉ざされた組織だった日本学士会院とは対極にあり、広く門戸を開いて、当時としては珍しい女性衆員の参加も認めた。モデルとなったのは、1857年に英国で結成された「社会科学振興協会」。産業革命を背景に生じた社会・経済・教育・法律・労働など、さまざまな局面の矛盾に立ち向かった。看護士で社会起業家のフローレンス・ナイチンゲールが在籍したことでも知られる。

災害復興制度研究所、さらには研究所が中心になって2008年に結成した日本災害復興学会も、この「共存同衆」をモデルとしている。基軸となるのは、毎年、阪神・淡路大震災の祈念日前後に開く全国被災地交流集会だ。研究者や復興リーダー、ボランティア、弁護士、ジャーナリストらが一堂に会し、被災地で生まれた知恵を受け継ぎ、課題を抽出して、研究者と現場支援者が思いを一つにする。いわゆる「現研融合」である。

実現の理念

人間復興の理念を実現するに当たって、私たちは「権理のための闘争」を仕掛けたい。闘争といっても実力行使という意味では当然ない。文筆活動や言論による、いわば啓蒙闘争・思想闘争である。「権理」は「権利」ではない。権理とは、「理=ことわり」の「権=ちから」である。何人によっても覆されない「ノモス(ギリシャ語で法の理念)」を意味する。18世紀の啓蒙思想家ジャン=ジャック・ルソーは、『人間不平等起源論』の中で「人間は理性を授かった唯一の動物」と規定し、理性は「安寧と自己保存」を求め、「同胞が苦しむことを嫌悪する」。このため、社会の各構成員は、身体と財産を共同の力で保護するため社会契約をするとした。また、英国の政治哲学者トマス・ホッブスは「人間は限られた資源を未来の自己保存のためにつねに争う」ことになる。つまり「万人は万人に対して狼」であるから、「生命の保存」のために契約を結んで共通権力を形成するとした。

災害復興は、まさにこの「安寧と自己保存」「生命の保存」のための契約を結ぶことなのだ。ドイツの法学者ルドルフ・イェーリングは、「法の目標は平和にあり、そのための手段は闘争である」「世界中の法は闘いとられたものである」と喝破した。わが国の憲法も12条で「自由及び権利」は「国民の不断の努力」が必要だとしている。座して権力の施しを待つのでは「権理」は獲得できない。憲法の一つの目的は「統治者を鎖につなぐこと」であるが、統治者は常に憲法をプログラム規定として遵守義務をあいまいにしてきた。そこで、憲法と実定法をつなぐ復興基本法が必要であり、さらに「事の支援」を実現できる、さまざまな実定法を私たちは提案していかなければならない。もちろん、権理の獲得は容易でない。「今日はまだ達成されていないが、明日には実現するであろうと確信する」ことこそ法制度実現の駆動力になると信じて行動を起こしたい。

研究所の使命

「復興思想の体系化」「復興思想の制度化」「復興思想の実践化」を三つの柱に、わが国の災害サイクル(防災―救急・救命―復旧―復興)の中で、制度・システム・理念ともに最も脆弱な「復興」の分野を学問的にも行政的にも厚みのあるものとし、これからの超高齢化社会・格差社会のなかで国民に安全・安心な世界を提供する足がかりとする。