2022.11.29.
論説 韓国ソウル群集事故<梨泰院惨事>をめぐって(2)

関西学院大学災害復興制度研究所
 所長  山 泰幸    

 コロナ禍で自粛または中止されてきた祭りが再開されたことの社会的な意味を考える際に、手掛かりになるのが、「象徴的復興」という考え方である。
 従来、被災地の復興は、都市の再開発という方向で進められてきた。しかし、都市の再開発事業というハード面の基準での復興が進んだとしても、人々が「これで復興したな」という実感が得られなければ、復興は達成できない。人々の間で醸成されつつある復興感を実感するためには、これを象徴的に表現する必要がある。筆者は、このような意味での復興を「象徴的復興」と名付けている。また、そのためには復興感を象徴的に表現する「復興儀礼」が必要となる(山2006)。

 東日本大震災以降、祭りや文化遺産など、被災地の「象徴の復興」に取り組む活動事例が増えてきている。また、こうした現象に着目した研究も盛んに行われるようになっている。しかし、「象徴的復興」の考え方の重要なポイントは、ハード面での基準のみならず、人々の間で醸成されつつある復興感にかたちを与えて、これを表現すること、つまり復興を演出するための復興儀礼をデザインして、適切なタイミングで実施することにある。その際に中断していた祭りの再開や文化遺産の再建などのイベントを復興儀礼のなかの目玉として盛り込むことは非常に有効である。それには復興計画の責任者、自治体の首長など、復興を成し遂げる立場にある者が、復興儀礼を適切にデザインし、かつ適切なタイミングで実施する必要性がある、というのが筆者の主張である(山2019)。

 梨泰院の群集事故をめぐって、本研究所では、11月8日に緊急の座談会をオンラインで開催した。その参加者の一人、全国災害救護協会災難安全研究所の羅貞一副所長は、座談会後に筆者への私信で、3年ぶりに屋外でのマスク解除と営業時間制限がなくなり、今回のハロウィーンが、これまで抑えてきた遊びたい気持ちが爆発する機会になったではないかと指摘している。
 たしかに、ハロウィーンが、コロナ禍における長い自粛と抑圧の状態から解放され、人々の間で醸成されつつある復興感を実感できる貴重な機会となった可能性が高い。ハロウィーンが自然発生的で「主催者のいない」祭りとされていることも、このことをよく示している。とするならば、人々の間で醸成されつつある復興感を実感できる復興儀礼を適切に実施することは、復興を成し遂げる立場にある為政者の責任であり、それには安全事故が起きないよう、しっかりと警備体制を敷くことが含まれるのは言うまでもない。

 従来、トップダウン式の都市再開発型の復興では、人々の復興感については視野の外に置かれて、むしろ復興の掛け声のもと、その過程において、さまざまな新たな被害、すなわち塩崎賢明神戸大学名誉教授のいう「復興災害」が被災地や被災者にもたらされてきた(塩崎2014)。一方、今回の惨事に関していえば、人々の間でコロナ禍からの復興感が醸成されつつあったことは明らかであるにもかかわらず、また今回のハロウィーンが、タイミング的にも多くの人々にとって復興感を実感するための重要な機会となることが、容易に想像できたにもかかわらず、行政側はこれを事実上無視し、警備を怠ったのである。その結果、このような大惨事を招いているのである。今回の惨事は、行政側が人々の復興感を視野の外に置いている点で、もう一つの復興災害」と呼ぶことができるだろう。

 ところで、ここで確認しておきたいことは、コロナ禍は「災害」なのか、という点である。コロナ禍が始まって以来、何度となく、同じことが問われてきた。実際のところ、感染症そのものを災害とみなす考え方は、日本ではまだあまり定着していない。むしろ、日本で問題になっているのは、コロナ禍において自然災害が起こった場合の対応である。感染防止に配慮しながら、二重三重の災害対応しなければならないからである。

 一方、韓国では、自然災害、事故、感染症まで、広く「災難」という概念で捉えて対応している。法律用語も「災難」を使っている。そのため、韓国では日本の「災害」を「災難」と訳して理解し、日本では韓国の「災難」を「災害」と訳して理解している。ところが、これが問題なのである。もちろん、日本にもおいても、「災害」という言葉は、広義には韓国と同様であるが、しかし、一般的には主に「自然災害」を連想するのに対して、韓国では、「災難」という言葉は、自然災害だけでなく、むしろ、自然災害が比較的少ないため、ビルや橋の崩落事故、地下鉄火災事故などを連想させるからである。
 2014年4月のセウォル号沈没事故の直後に、韓国のマスコミや研究機関から問い合わせをよく受けた。韓国から見れば、セウォル号の事故は、自然災害と同様に「災難」であり、大統領が弾劾される原因の一つとなったぐらい、国政を揺さぶるほどの大きな「災難」である。そのため、韓国側にとっては、大規模「災難」を数多く被ってきた日本の復興の経験を知ることは、こちらの受け止め方とは異なり、違和感はない。この問題は、コロナ禍で、より顕著になった。韓国では、当初からコロナ禍を「災難」として捉えて対応が進められたが、日本ではコロナ禍を「災害」と捉える認識が弱く、災害関連研究機関の対応が出遅れた感がある。

 コロナ禍で自粛または中止されてきた祭りが再開されたことの意味は、韓国においては、コロナ禍という「災難」からの象徴的復興と関係づけて理解できる点があると思われる。室崎教授が指摘するように、コロナ禍に歯止めがかかりつつあるという認識が広まるにつれて、この意味での、もう一つの「復興災害」の発生が懸念される。今後さらに、再発防止に向けて、細心の注意を払う必要があるだろう。(つづく)

参考文献
塩崎賢明『復興<災害>』岩波新書,2014
山泰幸「『象徴的復興』とは何か」『先端社会研究』5号,2006
山泰幸「『復興儀礼』とは何か : 『制作論的転回』と『復興コミュニティをデザインする知』をめぐって」『現代民俗学研究』11号,2019