2022.11.22.
論説 韓国ソウル群集事故<梨泰院惨事>をめぐって(1)
関西学院大学災害復興制度研究所
所長 山 泰幸
2022年10月29日の夜、ハロウィーンでにぎわう若者の街、韓国ソウルの梨泰院にて、群集事故が発生した。死者は158名、その多くが20代から30代の若者であり、女性の死者は100名以上、負傷者は200名に近い大惨事となった。日本においても連日詳細な報道がなされており、その衝撃の大きさを物語っている。
関西学院大学災害復興制度研究所元所長で、現在同研究所顧問の室﨑益輝教授は、2022年10月31日放送のNHKクローズアップ現代「緊急報告・韓国ソウル“群集事故" その時何が」に出演され、「群集なだれ」のメカニズムや再発防止について解説されるなど、群集事故の第一人者として知られている。事故の直前、室崎教授は全国市長会の機関紙『市政』の2022年10月号に「『群集事故』と自治体の課題」と題して寄稿され、その冒頭で、次のように述べられている。
新型コロナウィルス感染症のまん延に歯止めがかかりつつあるということで、3年ぶりに観客を入れての祇園祭や全国高校野球大会などのイベントが開催されるようになった。夏の風物詩である花火大会も今年は各地で開催されている。にぎわいと潤いを取り戻すということでは、とても喜ばしいことである。その一方で、過密な人の塊ができるために、感染症の再拡大も含めて「群集災害」や「群集事故」の発生が懸念される。大規模なイベントを積極的に開催しようとする社会的な動向が強まっていることもあり、群集事故に備えることが主催者にも自治体にも求められる(室崎2022:46)
このように群集事故の発生を懸念し、これに備える必要性を指摘された直後に、今回の梨泰院の群集事故が発生したのであり、室崎教授の専門家としての卓見に驚くとともに、同時に、この事故は決して想定外の出来事ではなく、過密な人の塊ができることが想定される場所であれば、発生が十分に予想し得る事故であった、ということに気づかされる。言い換えれば、事故を未然に防ぐことは十分に可能であったはずである。では、なぜそれができなかったのか。
11月2日付の『東亜日報』の記事によれば、梨泰院惨事の3日前11月26日、警察と龍山区庁との懇談会で、商人団体が「圧死事故を含む安全事故が発生する可能性がある」とし、対策を要請したという。また、龍山警察署112状況室は同日、安全事故の危険を警告する報告書を作成し、龍山警察署情報課の報告書にも、「予想を超える人が集まり、安全事故の恐れがある」という内容が記載され、警察内部網で共有された。しかし、警察や区庁は、事前警告を事実上無視したという。惨事当日も午後6時から400件を超える112通報が殺到し危険を知らせる兆候があったが、現場の対応は不十分だった。さらに、ハロウィーンのように主催者がいないイベントの安全管理に対する制度的整備をせず、長期間放置したことも問題であると指摘されている。ちなみに、「安全事故」とは、安全関連事項を十分に教育し熟知させていれば起こりえない事故を意味する。
このように事前から危険性が懸念されていたにもかかわらず、警察の警備体制や行政の対応が不備であったことが次第に明らかにされつつあり、この側面からの真相究明は、再発防止に向けて不可欠な手続きといえるだろう。
一方で、このような対応の不備の背景には、祭りには事故がつきものであるという認識が十分に共有されていないことがあると思われる。日本でよく知られているのは、各地で行われている「だんじり祭り」である。巨大なだんじりを大勢で勢いよく曳いて駆けたり、だんじり同士をぶつける「合戦」もあり、しばしばだんじりが横転しその下敷きとなり、曳き手だけでなく見物客も大けがをしたり、死亡する事故が後を絶たない。これらの勇壮な祭りは、それ自体荒々しいものであり、その危険性を十分に認識したうえで運営されているが、それにかかわらず、全国的に見れば、毎年のように事故が発生している。
2001年7月21日に兵庫県明石市で発生した明石花火大会歩道橋事故は、11名が死亡し、183名が負傷した群集事故であり、今回の梨泰院の事故後、日本の類例として、新聞等でしばしば言及されている。明石の事故後に、兵庫県警察本部が刊行した『雑踏警備の手引き』(平成14年度)では、雑踏事故の実例として、戦後日本の事例を兵庫県外10件、県内2件の計12件紹介している。それをみると、一般参賀、初詣、歌謡ショー、ロックコンサート、桜の通り抜け、野球大会などであり、すべて大勢の人が集まるイベント等であり、これらの群集事故も広い意味での「祭り」にともなって発生したことがわかる。
ハロウィーンという現代的な祭りには、「主催者がいない」ということから、行政が責任回避をする姿勢を見せたことが批判されているが、そこにハロウィーンは警備の対象ではないと見なす行政側の本音を垣間見ることができる。それと同時に、この現代的な祭りが持っている意味について、行政側の理解が不十分であったことを露呈している。
もう一つ見過ごすことができない点は、室崎教授が指摘しているように、「新型コロナウィルス感染症のまん延に歯止めがかかりつつある」という認識が社会的に共有され、じつに「3年ぶり」に、さまざまな祭りが再開されている点である。コロナ禍で自粛または中止されてきた祭りが再開されたことの社会的な意味は、毎年繰り返される祭りが持っている意味とは、相当に異なっているはずだ。さらに、そのような状況において、通常の祭りとは異なる「主催者がいない」とされるハロウィーンという現代的な祭りが行われているのである。その意味では、二重の例外的状況が生じているのである。この点について検討しておくことは、再発防止のうえでも必要であるに違いない。(つづく)