2011.03.29
岩手県野田村現地ボランティア(3/29~30)【関准教授】

日  程:2011年3月29日~30日
訪問先:岩手県野田村

今回、2回目の被災地にボランティアとして行ってきました。場所は、岩手県野田村です。青森県にほど近い、小さな村です。あまり、メディアにも取り上げられていないところですが、ここにも津波による大きな被害が出ています。

今回は、日頃からおつきあいのあるNPO法人日本災害救援ボランティアネットワーク(NVNAD)のバスに同乗させていただきました。NVNADは阪神・淡路大震災以降できた災害救援・復興支援や防災教育をおこなっている西宮に事務所を置くNPOです。

私たち(約10名)は、西宮からバスで約18時間(休憩含む)かけて野田村へ行きました。
前回の宮城県松島町は津波でさらわれた家屋・建築物はそれほどなかったのですが、野田村では沿岸部の中心市街地が根こそぎ津波でさらわれ、初めて訪れた私たちには家屋がそこに元々なかったのではないかと思わせるような風景が拡がっていました。

私たちは、NVNADの先遣隊のボランティアが足りていないという情報とそこで活動している外部からの支援グループとの連携を頼りに現地入りしました。それ以上の情報がなかなか入らないままでの出発でした。

現地では、私たちが出発した当日(29日)に最後の行方不明者が発見され、重機によるがれきの撤去がはじまっていました。また、浸水地域ではがれきなどが家屋の中から出され、所々に「解体OK」というスプレーで建物に直接書かれた文字が見受けられました(まちはがれきを処理する重機やトラックでほこりだらけです)。

災害ボランティア受付に行くと、いわゆる災害ボランティアセンターのような仕組みは整ってはいませんでした。ニーズがないわけではないですが、集約はされていませんでした。

しかし、与えられた地域を回ってみると、作業として人手が足りないところがたくさんあり、決してニーズがないというわけではありません。むしろ、ボランティアがいれば大変助かるという状態です。

いくつかの場所で、作業のお手伝いをしたり、お話をうかがいました。皆に共通しているのは、非常に疲れていることと、先が見えずに途方に暮れている姿です(もちろん、見知らぬ私たちに弱音など吐くことはほとんどないのですが、言葉の端々に感じられました)。

私たちに今できること、しなければならないことはたくさんあります。現地に行って、作業をすることも非常に重要です。たった2日間という間でしたが、現地で私たちを必要としていることを痛感しました。

また、時間をおいてすべきこともあることがよく分かりました。おそらく、作業だけではなく人と人との関係を作る活動としてのボランティアが必要となってくると思いました。

例えば、ある被災者の方に「西宮はどれくらいで復興したのか?」と聞かれました。その方は、何らかの目安や見通しがほしかったのではないかと思います。私たちがたどった復興の道筋を伝えていくことも重要だと思いました。そして、「西宮のみんなも心配して、応援しています」というと、「そうですか、ありがたい」とおっしゃってくださいました。彼らは決して見捨てられているわけではないというメッセージを発し、彼らが必要とするときにそれにこたえる準備をしておくことも重要であると思いました。