2023.04.11.
Vol.13 見えなかったコトが立ち上がってくる。(人間科学科 桜井 智恵子 教授)

さくらい ちえこ

人間福祉学部 人間科学科 桜井 智恵子 教授

 私たち大人の価値観というものは、相当に凝り固まっています。当たり前と思っていることが、自由に考える発想を抹殺してしまっていることがあります。とりあえずがんばることや、色んなことができる人が価値があるとか、上手に話せないよりもコミュニケーション能力は高い方がよい、とか、暗黙のうちに思い込んでいます。
 現在、アカデミズムでとても注目が高まっている人類学は、それらの当たり前と思っている「常識」をひっくり返し、いったい人間の普遍的な価値はなんだったんだろうと調べ、捉え返そうとしています。実はそれは、現代社会がとても暮らしにくく、しんどいと感じる人々が増えている点と関わっています。
 研究の中で分かってきたのは、たとえば、初期社会の人びとは共同的に暮らしており、「ひとり」だけで何かをいつもがんばることはしなかったこと。また、言葉を話すことが現在のように重視されてはいませんでした。それは、近代以降の傾向です。それよりも、むしろ「共同性」ということが生きるためにはとても大切と、実践されていたことが分かってきました。ただ、よく考えると、私たちの日常も共同性に溢れていることが見えてきます。
 先日、よくうちに遊びにくる近所の小学校1年生と一緒に『100万回生きたねこ』という絵本を読みました。私の大好きな絵本です。体格のいいどらねこが主人公です。このねこは何度も死んでは生き返り、戦争が上手な王様や、手品使いのねこなど、さまざまな人々のねこになります。死んではまた生き返り、毎回あまり楽しそうでない人生を繰り返しています。ある時、ただの「のらねこ」になり、かけがえのないパートナーと出会い、ちゃんと死んでしまえるというなかなか哲学的な絵本です。

佐野 洋子(著/文)『100万回生きたねこ』,講談社

 一緒に読んだ後、1年生にどこが面白かったか聞くと、大人が注目する場所と全く異なる場所を教えてくれました。おばあさんが一日中窓の外を見ていたことに驚いたとか、何番目かの飼い主の女の子の目つきがとても鋭いなど。その子は、自分の暮らしと重ねながら感じ、出会ったことのない経験や人物のあり方に注目して、世界を広げていました。なるほど、幼い人はこうして世界を広げているのかと私は感心しました。そして、私が逆に気になった職業のことや、あまり話さないパートナー猫のことなど、意に介していませんでした。能力主義と関わる「職業」や「コミュニケーション」からは自由だったのです。
 私の担当している「子ども学」は、現代社会の子どもが陥っている社会的な困難について、構造的に学びます。その上で、その社会的な構造がどんなに凝り固まった常識によって成立してゆくかを、毎回の授業で解きほぐしてゆきます。多くの学生たちは、なんとなく感じていたことが言語化され、データで示され、回を追うごとに授業後の質問者が増えてゆきます。
 「子どもと権利」や「家族と社会」という授業科目でも、それぞれの分野の現在を学び、矛盾や旧態依然とした社会システムも把握します。これまで自己責任と思わされてきたことが、新しく捉え返すことにより、世界が広く見えてきます。まるで、1年生が絵本を通して新しい世界へ連れ出されたように、今まで見えなかったモノやコト、そして関係が立ち上がってくるのです。

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