徳永拓弥 本は、行動への第一歩

[ 編集者:経済学部・経済学研究科      2013年5月1日   更新 ]

開発経済学

何かについて調べたい時、私達は知識を得るために本を読みます。果たしてそれだけでしょうか?

私達栗田ゼミ三期生は、毎週のように先生から指定された本を読み、それについての議論を行いました。栗田ゼミに入って、読書習慣が始まる以前の私は、本に関して何の興味もありませんでしたし、読んだとしても、自分の興味ある分野の本だけでした。今になって、こうした以前の私が如何にもったいないことをしていたかに気付かされました。なぜなら、本を読む、いわゆる“読書”は、多くの知識を得るだけでなく、多くの事柄への興味が得られ、そして見たことのない新しい世界を見ることができるからです。

ただ、必ずしも全員が、そのように感じるとは限りません。読書というのは、1つの同じ本を読むにしても、人それぞれ感じ方が違います。

私達が「街場のメディア論」という本について読書し、議論を行った時、メディアの問題について私は、マスディアの流す情報が聞き手である国民の好みによって決まり、正しい情報、また、本当に必要な情報が報道されないということをこの本から汲み取って理解し、ある人は、そういった好みの情報しか受け付けない国民の意識が問題である、ということをこの本から汲み取って理解していました。このように1つの同じ、メディアの問題について書かれた本からも、人それぞれ違った観点から多くのものを得ることができるのです。つまり、本自体でなく、それぞれの「読書」自体が十人十色なのです。その点で、1つの本について読書し、議論し合うということは、大変意味のある習慣だと思っています。

読書について、私が気付いたことを前部で少し述べましたが、本を読んだだけで満足し、全てを分かった気になっていてもそれは違います。例えば、沖縄の基地問題についての本を読み、沖縄の基地問題について知った気になっても、当事者の気持ちや恐怖、風景までは分かりません。病人が書いたエッセイ、他の本にも同じことが言えます。

もう皆さんお分かりだと思いますが、実際に行動に移して初めて、それは完全なものと言えるのではないでしょうか。多くの本を読む、ということは、目の前の世界が広がり、何かに取り組む第一歩に繋がるということであって、終わりではなく、始まりだということです。

今、世の中には多くの本が出版されており、またそれと同様に多くの社会問題が存在します。それら全てに向き合い、行動を起こすのは正直不可能です。ただ、本を読むということは、私達が一歩踏み出せるフィールドを、少しでも広げる手助けになってくれると信じています。なので、私達は、これからも本を読み続け、多くの問題と向き合い、できる限り行動に移していきます。その大きな一歩がケニアでの調査になるでしょう。