2019.04.01.
【栗田ゼミ】2018夏 インターンシップ in インドネシア バリ島(バリでの生活)

インターンシップの期間中、私たちはそれぞれの勤務先の近くにあるホテルなどを拠点として生活をしていました。その生活の中で現地の人とお話をし、人の優しさや温かさをたくさん感じました。バリの文化に触れながら送った日々だからこそ感じることのできたことも多くあり、インターンシップの時間以外にも多くの学びを得ることができました。

阿部 優志

 私は、ビーチまで歩いて15秒と言う絶好の立地のサーフショップでインターンをしていた。3週間の勤務で、海に入ったのは優に20回を超える。それくらい、浜辺と海と接していた。
 綺麗な海、肌を刺す太陽の光、たくさんの観光客に、陽気なバリ人。中心地は様々なおしゃれなレストランが立ち並び、そこかしこでミュージシャンが演奏している。バリはそんな所です。と、宣言する人の多くは、観光として数日間から数週間、バリを訪れた人だろう。もちろんバリはそういった所が観光地としての売りであるし、そのような解釈が間違っていると言いたいわけではない。実際私も、上記の記述は正しいと思うし、2週間目くらいまではそんな「陽」の部分が目に映っていた。
 私が見た「陰」とは何か。それは、貧困だった。見た場所は、繁華街の路地裏や農村ではない。それは、”職場から歩いて15秒の浜辺”に存在していたのだった。浜辺には、物売りの人たちがいる。観光客相手に片言の英語・日本語・中国語で、ゴザやサングラス、帽子を売りつけている。私も、初めの頃はよく押し売りをされた。「近くで働いているから。」と言って、顔も覚えられるようになると売りつけてくることはなくなった。ある日、浜辺でぼぅっとしている時、売り子は皆同じ人で、同じものを、同じような服装で、毎日毎日売っていることに気づいた。その浜辺の目の前の海では、多くの観光客が泳いだり、サーフィンのレッスンを受けたりしている。同じ場にいて、同じ景色を見ているのにも関わらず、そこに惹かれている目に見えない境界が私を襲い、寒気がした。私も数時間前まで、その海でサーフィンをしていたのだ。それは、日常に溶け込んだ貧困だと思った。
 何が言いたいかと言うと、1ヶ月半滞在して、観光の盲目性。を私は痛感した。この盲目は、なかなか気づくことができず、実際に、私は滞在3週間にして、(つまり観光気分が抜けた時に)やっとそれに気づくことができ、同時に深いショックを受けた。彼らに、何もできない自分の力不足に、どうしようもない感情を覚えた。
 これを先生に伝えた時、「メッセージだ」と、先生は言った。帰国して半年が経つ今なお、彼らに手助けはできていない。ただ、今なお心にあの感情は引っかかっているし、原動力になっている。そんな、自分を大きく変えてくれたバリが大好きだ。彼らから学ぶことの方が多いが、これからの人生で、彼らに何かできれば。と、思っている。

2. バリ(生活①)阿部優志

寺川 楓

 私は、バリ島のタバナンという観光地とは離れた街で、日本語を教える教師として一ヶ月半インターンを行いました。周りに外国人は私たちしかおらず、完全に現地の方だけが住むようなところでした。生徒たちと同じ寮で日本人二人で生活しました。バリ島の食事は全体的に辛いものが多く、辛いものが苦手な私は初め体調を崩すこともよくありました。料理長や生徒、先生方が私を気遣ってくださり辛くないものを屋台に買いに行ったり、リクエストを聞いてくれました。料理長が、嬉しそうに日本食と言って味噌汁を作ってくれた時、私も本当に嬉しかったです。
 寮生活は生徒と近くで過ごすことが出来ました。そのため、朝6時から始まる運動・朝食作りに参加し、一緒に朝食をとり授業を行います。夕方、授業から帰ってくると運動をするのでそれにも参加しました。夜も生徒たちとご飯を食べ、その後も部屋に帰らず大勢の生徒とコミュニケーションをとりました。初めは、緊張するからと言って話に来なかった生徒も毎日私たちがいることで、次第に話すようになりました。そこで、バリの文化を知れたり、彼らが本当に日本の文化を知りたがっていることに気づきました。私は、日本語で話すことに自信を持ってもらいたかったので、彼らの質問に笑顔で頷きながら答えるように心がけました。翌日の授業の準備をしていると、一日の睡眠時間は2~3時間しかないこともよくありました。それでも、私は生徒のためになる授業がしたい、もっと一緒にいたいと思っていたので、しんどいとは全く思わず充実していると思っていました。休日も自分たちの時間より、生徒と過ごしたい・もっとバリのことを知りたいと思ったので、生徒と活動することが多かったです。ガイドブックにも載っていない、自分が今まで見たことのない景色を見て体験することが出来、毎日が刺激的でした。この日常は私にとってかけがえのないものです。
 彼らにはよく「夢」を聞かれました。私は応えるのに困りました。彼らは、日本で働いて、家族を助けたい、ガイドになりたいと大きな夢を持っていました。同い年くらいなのに何も夢を語ることのできない自分がとても恥ずかしくなりました。彼らが、日本で働くために必死で日本について学ぼうとし、大きな夢を掲げている姿を見ると、私も負けてられない、自分のしたいことは何だろうと考えるようになりました。
 この街で生活するまで、バリ島は観光地というイメージしかありませんでした。しかし、実際に訪れると、お金に苦しむ人もいるのだということに気づきました。けれど、大きな夢を掲げ精一杯努力し、宗教を大切にしている温かい心を持った人が多いということにも気づくことが出来ました。

2. バリ(生活②)寺川楓

岩谷 桃佳

 私は1ヶ月半の間、バリのローカルの中心であるデンパサールに滞在していました。観光地で有名なクタ地域から車で30分程度離れた、観光客がほとんどいない地域です。現地の方が多く住んでおり、宿泊施設や勤務地のウダヤナ大学周辺にはショッピングモールや飲食店が多く住みやすい場所でした。しかし滞在で困ったことがあり、それは移動でした。デンパサールでは移動手段がバイクか自動車しかなく交通機関がほとんどありませんでした。道はバイクで溢れており、横断歩道を渡る時は少し怖かったです。私がインターンしていたウダヤナ大学の学生も皆マイバイクを所持していました。どんなに近い距離でもバイク移動をするため皆歩くことが嫌いだそうです。宿泊施設から学校まで毎日15分歩いていると「なんで歩いているの」と驚かれたこともありました。甲東園から関学まで毎日坂道を登る関学生にとって平地の15分はありがたかったのですが…
 またバリ人の生活を間近で見て気づいたことがありました。それはお祭りが本当に多いということです。1週間に1回は必ず何かしらのお祭りがあり、学校が休校になるほどの重要な行事もありました。学校にはお参りをする場所もあり、宗教文化の違いを感じました。
インターンシップ以外に、訪印観光客の調査を行っており有名観光地を訪れる機会があったため、観光地と現地のリアルな暮らしの両方を十分に堪能できるデンパサールでの生活は毎日が刺激的で楽しい1ヶ月半を過ごすことができました。住み慣れた場所で生活をするよりも、ハプニングもあるハラハラドキドキする場所で生活すると私は「生きている」ということをより感じることができるため好きです。バリでの1ヶ月半も非常に濃い日々を過ごせたので満足しています。

2. バリ(生活③)岩谷桃佳

竹島 梨紗

バリは本当にゆったりとした時間が流れていて、目に映る景色は常に緑がいっぱいで、非日常的な空間でした。私のインターン先はヌガラというバリの中心観光地から車で3時間ほど行った田舎で、私のバリのイメージとは全く異なるものでした。お家とヤシの木と畑がずっと続いており、少し大きなお店に行くには自転車で20分以上漕がなければならないような、そのような場所でした。
ヌガラは観光地ではないので英語をしゃべることができる人も滅多にいません。そのため外では知っているありったけのインドネシア語とボディランゲージでなんとかコミュニケーションを取ろうとしました。そこで気が付いたことは、自分が英語を話そうとしているときよりも、ほとんど知らないインドネシア語を話そうとしているときの方が何倍もリラックスしていて、楽しそうであるということです。文法や言葉の正しさにとらわれずに、「とりあえず何か相手に伝えなければ」と知っている単語を適当に並べて堂々と話すことで、意外に相手に伝わり、距離も一気に縮まりました。コミュニケーションを取るときに大事なことはどれだけ言葉を正しく話せるかではなく、相手に伝えたい、会話をしたいという気持ちであるということを、生活の中で強く感じることができました。
ヌガラでの生活は、観光地では味わうことのできないような、現地の文化がたくさん詰まっていました。子どもが1歳になったら行われるお祝いや結婚式など、観光客では参加することのできないようなものもたくさん経験させてもらいました。これはどれも、周りのあたたかい人たちがいたから経験できたことで、私はバリの文化やヌガラの人々が大好きになっていました。豊かな自然の中で自然と共に暮らすヌガラの方々の姿はとても美しくて羨ましさを感じるほどで、私の記憶の中に深く刻まれています。ド田舎で不便なことも多くありましたが、私にとってはとても幸せで豊かな生活でした。

2. バリ(生活④)竹島梨紗