◇振り返り◇

[ 編集者:経済学部・経済学研究科       2019年4月1日   更新  ]

Looking Back on the Fieldwork

2018年8月に研究調査のため赴いたセネガルでは、第6期生それぞれが、調査、実験、農村での生活、食事、ダカール大学の通訳学生との関わり、人間関係、本当に様々な充実した時間を過ごしました。セネガルの中でもティエス州組とサンルイ州組では経験したことも異なる部分があると思います。さらに各村での経験もバラエティーに富んでいます。あの8月を振り返るとき、一人ひとり思い出すこと、考えること、感じることは違います。ここでは3人の栗田ゼミ第6期生にセネガルを振り返ってもらいました。

荒井友理

セネガルでの一か月はこれからの人生で二度と経験できないような出逢いがあった。人生初のアフリカ大陸上陸は思い描いていたイメージとは少し違っていた。市街地では活気のある市場や観光客をなど人々の活動が見られる一方で、タリブの少年たちが私達についてきたのがとても印象に残った。子供のころからお金のことしか考える余裕がなく、赤の他人にお金をせがむ少年時代を過ごし、この子達は将来どうなるのだろうと思うと、やるせない気持ちになり、目を背けるしかできなかった。生まれる国や地域が違うだけで生きる世界がこんなにも違うということを初めて目の当たりにした。私の調査した村には水道が通っておらず水がとても貴重なものだった。一度村に給水車が来て一緒に水を汲みに行く機会があった。水汲みは女性の仕事で、給水車では女性達が水を得ようと必死にもみ合っていた。私が一回の水浴びで使った量の水を運ぶのに20分かかり、私より小さくて細い女の子が頭と両手に水を抱えていて、生きる力を感じた体験だった。調査中に感じたことは村全体が一つの大きな家族のようで、子供が家を行ったり来たりと、お互いの家族が助け合って生活をしていた。毎日大きなお皿の食事をみんなで囲んで、食後には大きな木の下でおしゃべりを楽しんでいた。それを見ていると、何が幸せなのか私は分からなくなった。例えば村人と日本の話をした時、私は日本の写真を見せるのをためらってしまった。すごく自分勝手な考えのような気がするけれど、きっと日本のような国で生活をすることがない彼らに、発展した先の景色を見せてどんな反応をされるのか怖かった。もっと先の広い世界を知ることは彼らにとって本当に幸せなのか、ただ知るだけで何もできないことが一番辛いことなのではないか。調査中、多くの村人に言われたことがある。「毎回いろいろな国の人が調査に来て、自分たちの情報を集めに来るけれど、一度としてその人たちが戻ってきたことがない。助けはいらない、新しい何かが欲しい。」長い調査で私たちは彼らからたくさん学ばせてもらったのに、私は彼らに恩返しができるのかどうかわからないことが不安になった。無責任に「また戻る」とも言えなかった。私たちができるのは、ここからの論文執筆そしてここで学んだ事を忘れずに生かし続けることだと思った。漁村からサンルイの市街地に帰る道が本当に名残惜しかった。やっと村のみんなと仲良くなって、名前を覚えてくれて、戻ってこいと言ってくれて、私の第二の故郷ができたような気がした。いつかまた戻れるように、戻った時に恥ずかしくないように、また明日からも目の前のことに向き合おうと思った。

5. セネガル(振り返り①)荒井友理

岩崎 桃子

セネガルでの一番濃い思い出は、なんといっても「人」です。私はティエス州のンディレンという小さな農村集落で約1ヶ月間、現地の大学生パートナー2人と私とゼミ生もう一人の4人で暮らしました。お風呂はもちろんなくて、毎日バケツに水を張って、小さなコップで水をすくって、水浴びをしていました。インターネットはもちろん繋がらないし、電話も日によって繋がったり、繋がらなかったり。家の床はむき出しのコンクリートなので、寝袋で寝るのも体が痛い毎日です。生活においても調査においても、現地大学生パートナーとはよく口論をしました。調査を正確にやってくれなかったり、時間通りに動かなかったり、金銭的なことでもたくさんもめました。人と人ですから、険悪になることもありますし、嫌いになりそうな時もあります。でも、私が1ヶ月、きつい調査と生活を頑張り、やり遂げることができたのは、一緒に暮らしていた3人の存在があったからだと、確信を持って言えます。
パートナーの名前は「マミー」と言います。彼女の凄いところは、なんでも正面切って伝えることができるところです。日本人だったらいいにくいお金のこと、ライフスタイルのこと、仕事のこと、彼女は仲良くなってもガンガン言ってきます。最初は私も驚いて、口論にならないようにやんわり話していたのですが、途中から、自分もはっきり思いを伝えないとコミュニケーションが取れないことに気づきました。それで口論になるのは当たり前なのですが、喧嘩した日の翌日、彼女は全く普段と変わらない様子で優しく、楽しげに話しかけてくれるのです。毎朝私の分のパンにバターとチョコレートを塗って、「ハイトーコ、あなたのパンよ」と言って、渡してくれます。現地のコーヒー「カフェトゥーバ」もカップに注いでくれます。こんなにサバサバした、気のいい人がいるんだな、と私は毎日驚かされて、彼女のことが大好きになっていきます。
普段開発経済学を学んでいると、途上国の悲惨さ、貧しさしか目に入りません。私もセネガルに行くまで、どこかで途上国の人々に同情のような気持ちを向けていたと思います。でも、実際行って、そこにいる人々と会うことで、確かに環境は貧しく、苦しいところもたくさんあります。水不足で農地が枯れて作物が育たない農家がほとんどでしたし、子供たちはボロボロの服を着ていました。しかし、それがセネガルの全てではないのです。彼女たちのように豊かな人間性、心を持った人たちがたくさんいる国です。もしかしたら日本よりも豊かな部分を持った国かもしれないと私は感じました。ぜひたくさんの人に直接彼らと出会い、自分の目で見つめ、感じ、考える経験を持って欲しいと思います。
実は今もパートナーとはラインやインスタグラムを使って連絡を取り合っていて、今年の夏、またセネガルに会いに行こうかな、と計画中です。世界には本当に素晴らしい場所や人がまだまだたくさんあって、人生を通してたくさんのそういうモノに触れたいと思います。

5. セネガル(振り返り②)岩崎桃子

岡本 千裕

 アフリカに行く、セネガルに行く。初めて空港でアフリカの地に降り立ったときの胸の高鳴りは今でも鮮明に覚えています。どんな人に出会えるんだろう、どんな世界を見ることができるんだろう、そんな気持ちでいっぱいでした。
私たちの班は街で生活していたため、様々な生活をしている人々に出会いました。毎日行く小さなお店の前には、いつも私たちが買い物に行く時間になると物乞いの子どもたちが待っていました。それを見て通訳は「一度何かあげたら、次もせがまれるからあげちゃだめだよ」と言いました。貧しさは見せ物ではない。別世界で起きていることでもない。なぜなら、私の目の前にいるこの子たちも、同じ生きている人間なのだから。それなのにここに来てまで何もできずにいることに対して、入国当初のあのワクワクは、気付けば罪悪感に変わっていました。
滞在中に一度、キリスト教の教会を訪れました。そこで牧師さんがしてくださった話がとても印象に残っています。「セネガルの人っていつも明るく挨拶したり、相手の気を遣ってくれたりするでしょう。でも実は貧しくて苦しい生活をしている人もいっぱいいるんだ。この国の人たちは優しいから、応える方も相手の気を遣って元気だよって無理して言っているだけ。本当はしんどいんだ。苦しいんだ。それでも、悲しい顔をして他の人に心配をかけるよりも笑顔でいる方がいいってこの国の人たちは考えているんだ。そうして、昨日まで元気だよって言っていた人が次の日には動かなくなっている。」優しいとか、陽気だとか、初めてセネガルに来た日に感じた人々の印象は、彼らのテランガ(おもてなしの文化)によるものでした。そして、1か月の調査と現地生活を通して彼らが教えてくれたのは、そのテランガによって陰になっていた、必死に生きている姿そのものでした。普段の生活で当たり前になってしまっている、生きるということ。その一方で必死に生きながらもなお、目の前にいる人への思いやりを忘れないセネガル人の心に触れて、本当の力強さとはどういうことかを教えてもらいました。

5. セネガル(振り返り③)岡本千裕