2019.04.01.
【栗田ゼミ】2018夏 フィールド調査 in セネガル(セネガルでの生活)

Island Life in Senegal

私たちは、セネガルのティエス州とサンルイ州と二手に分かれました。またそこから1人1人に担当の村に、ホームステイ・調査の許可を取りに行きました。ホームステイ生活は、刺激多いものでした。寝ている近くで見たことない程大きなネズミが走っていたり、朝しばきたての鶏がすごく美味しかったり。見たことのない世界・触れたことのない文化に触れ自分の価値観が物凄く変わった貴重な時間でした。
 

川本 美早

現地に行ってみると日本では当たり前のことが当たり前ではなく生活環境の変化で班員のストレスがたまりまた仲間割れの危機に直面するのではないかと危惧していましたがそのような心配はいりませんでした。たしかに日本と全く違う環境が広がっていました。やせこけた牛、なぜ動いているのか分からないほどおんぼろな車、ハエが集った生鮮食料品。戸惑う部分もありました。しかし現地の人がフレンドリーに接してくだり、自分が調査のために来たということを忘れるほど楽しく過ごすことができました。それを表しているのがセネガルで覚えた言葉です。「ダラ セボン」ダラはサンルイ(私が滞在していたセネガルの都市名)、セボンは素敵という意味です。タバスキというお祭りが近づいていて忙しい時なのに毎日毎日通って調査をしてタンガ(日本語で飴)を渡して帰る謎の外国人、謎の黄色い肌の外人、21歳と通訳は言うが明らかに背が低い外人、しかも女(宗派によって男性は女性に触れてはいけない?と聞きました)。そんな私にはじめは怪訝な顔をしていたセネガルの人でしたが、だんだん仲良くなりました。フランス語もウォルフ語も話せない私に道ですれ違ったら向こうから挨拶してくれました。こちらからなにもできてないのに、マンゴーや鹿肉を食べさせてくれました。通訳と一緒に調査するという目的でやってきたくせに、なんとか覚えた数個の現地の言葉を駆使して一人で街に繰り出し買い物をし、英語が話せる現地の人と片言の英語で話し込みました。初めは背の低い私の年齢に驚き、私の視力の悪い事を信じずにからかっていると思われ、未婚であることに愕然としつつも現地の若者から見たセネガルについて熱く語ってくれました。それにより平和ボケした自分に気づかされました。夕暮れまで話し込んでたせいでゼミ生が心配してくれ電話をくれたような気もします。勝手な行動をしたら心配してくれるゼミ生と異国の地で勝手な真似をさせてしまうほど魅了するセネガル人。セボン。

2. セネガル(生活①)川本美早

田仲 悠介

 砂漠でキャリーケースが転がらない。全身泥まみれ。なのに、お風呂とシャワーのない村でした。1週間に1度だけホテルに帰り、シャワーを浴びます。通訳にいい匂いになったなって毎回言われていました。ホテルから村に向かう際に1週間分の水も買って行きます。一日灼熱の中調査を行う為、1番重要なものでした。
 村では子供たちが「サッカーをしよ」「捕まえて!」と元気よく後ろを付いてきます。途中で先生に間違われるぐらい空き時間があれば、体を動かしてのコミュニケーションを行なっていました。また、そうやって子供達と遊びながらも大人ともつたない挨拶や通訳を通しての会話をしてコミュニケーションを取り、帰る1日前には村のどこを歩いても「yusuke yusuke」と呼んでくれました。言語が通じない村での生活でしたが、そんな自分を受け入れてくれた村にすごく感謝しているのと同時に、たくさんの経験や価値観を得ることができ、有意義な学生生活になったと感じています。

2. セネガル(生活②)田仲悠介

中島 宇将

生活している上で、電気、水、食事のありがたさを感じたことはあるでしょうか?私は、セネガルでホームステイをするまで考えたことがありませんでした。セネガルでの漁村生活では、夜は電気がほとんどないため真っ暗であり、シャワーは雨水をかぶるだけでした。この話を聞くだけでは、過酷な村生活を想像してしまうでしょう。しかし、実際にはとても充実した生活を送ることができました。
セネガル漁村では、毎昼チェブジェン(Rice and Fish)と呼ばれる炊き込みご飯のようなものが国民食です。味は少しスパイシーでありますが、調理法的には「鯛めし」に似ています。驚くことに、チェブジェンは非常に美味しく、毎昼楽しみにしていました。魚がホクホクで、スパイシーなお米と魚の相性がマッチしていました。そして、ゴロゴロ野菜は味がしみていて、最高でしたね。
さらに、チェブジェンは、村の人と輪になり共に食べます。そして、現地流は「手で食べること」。日本で、そのような食べ方をすると怒られてしまいますよね。しかし、セネガル漁村では、スプーンなどで食べる方が無礼とされています。「手で食べるのは、簡単なようでかなり難しいです」焼き飯を食べる際などに試してみてください。他にも「玉ねぎをスパイシーに炒め、白ご飯の上にのせて食べるヤッサ」と呼ばれるものもありました。口に合わなかった食べ物は、「自家製ヨーグルト」以外なかったですね。あれは、本当にダメだったな。
生活中は、現地の人々に溶け込もうと色々なことを試しました。川に飛び込む、壊れかけの船に乗ってみる、「シィっー!」と言って猫を追いやるなどです。現地の人は「シィっー!エイ!」などと言って猫を追いやるんですね。人を呼ぶときもこういった掛け声だったような。
セネガルでの生活は、厳しいこともたくさんありました。しかし、村で出会った人々、異文化を知ることができたことは、自分の財産になったと感じます。今後も色々な国に出向き、新しい経験ができることを願っています。

2. セネガル(生活③)中島宇将

平山 励

 セネガルでの生活を経て、私はIではなくWeの視点で生きるようになった。かつて誰よりも学び経験を積み、結果を出すことに捕らわれ、自分のためだけにしか努力できなかった。誰かと比べることでしか成長を感じられず、そんな盲目な姿勢が私の成長を止めた。そんな中セネガルで生活をするにあたって、あたりまえのことに感謝する数多くの友達と出会い、人の本質に触れた。一日数ドルほどで生活する貧しい彼らが、見返りもなく自ら手を差し伸べ、私の存在にありがとうと言う。私が「なぜそんなに優しくしてくれるの?」と聞くと、ある友達は「助けた人から恩返しを求めてるのではなくて、その助けた人が、その与えた恩を他者に送らせるようにするためだよ」と言った。そうやって恩は送り送られ、人を媒介して広がっていくのだと痛烈に感じた。それ以来、私の生きる目的は人と差別化するために特別な能力を獲得するより、どれだけ相手の隣に寄り添い、分かち合える存在になれるかになった。だからこそ今、他者への奉仕のために己を練達することができ、このWeの姿勢が周りからの信頼を集めている。セネガルの日常を過ごす中で、他者を配慮する彼らの道徳律を受け継いだ今、社会人になってから周りに伝えていきたい。
 最後に、世界の三大美といわれる一つ、アフリカ人が持つ貧しい暮らしだけど美しい心は、人間関係構築にどう貢献しているかを彼らに会って知ることができたのは、お金に変えられない経験だ。ある人は二日分の給料を払い新しい靴を買い、ある人は着ている伝統民族衣装を譲ってくれた。お金や単なるものと違い、ずっと身につけるであろう衣服は、着るたびに貰った人の顔を思い出す機会に変わるだろうとの計らいだと伝えられた時は胸が激しく痛んだのは忘れられない。彼らがどれだけ私のことを大切に思っているか。私はまたいずれ再開する日を信じてやまない。

2. セネガル(生活④)平山励