原田ゼミ3回生の長崎合宿(2018年6/25~27)の報告

[ 編集者:経済学部・経済学研究科      2018年7月23日   更新  ]

 幕末・明治維新の社会経済史・社会経済思想史に関する、長崎大学経済学部南森ゼミとの合同ゼミと、長崎市内での現地調査とを目的として、以下のようにゼミ合宿を行った。

I 長崎大学での南森ゼミとの合同ゼミと合同コンパについて

小林和佳

1.合同ゼミ

① 南森ゼミの報告

 南森ゼミからは、以下の3つの小報告がなされた。
a.シーボルトと日本
 シーボルトは江戸時代後期に日本で活躍したドイツ人医師である。また長崎に「鳴竜塾」を開設し、全国から集まった多くの医者や学者に西洋医学の講義を行うなど、日本での自然科学の普及に貢献している。このようにして日本に学業や、技術をもたらした一方でシーボルトのスパイを疑う説もある。今後とはこの背景を究明していく。
b.変わりゆくグラバー像の真実
 旧グラバー邸が明治日本の産業革命遺産として世界遺産に登録され、観光資源として注目される中、グラバー園のパンフレットと歴史資料を比較すると相違した部分を多々発見する。グラバー邸を観光資源としていく中とで、歴史的事実が捻じ曲げられていると推測し、今後は歴史的グラバーと観光資源としてのグラバーの比較をさらに進め、グラバーの真実について追及する。
c.岩崎弥太郎
 岩崎弥太郎(三菱)は大隈重信、大久保利通の後ろ盾があって政商へ成り上がったのではないかと推測するし、『大久保利通文書』、『大久保利通日記』などから大久保、大隈、岩崎との関係を調査していく。

② 原田ゼミの報告

 「吉田松陰の思想と弟子たちによるその実現――150周年のいま思想の時代として明治維新を考える」というテーマで共同の報告を行った。思想が社会を変えることの少ない現代、いったい思想とその実現ということはどういうことなのかを、それを通じて考察する。その典型例として、吉田松陰の思想を明らかにするとともに、富永有隣・木戸孝允・山県有朋・高杉晋作・久坂玄瑞といった彼の弟子たちがいかにそれを実践に移していったのかを探っていく。
 構成は、「はじめに」、「序章 吉田松陰自身の思想」、「第1章 木戸・山県・高杉・久坂・富永による西洋列強への対決と討幕運動」、「第2章 木戸・山県・伊藤による体制確立と富国強兵および対外進出」、「結論」である。また、「補論 幕末・明治維新期の女性たち」においては、幕末から明治維新にかけて活躍した3名の女性たちに注目し、女性像の変遷を追うなかで、激動の時代を生き抜いた力強さを認識し、現代に生きる女性との関連を考察した。

①
    

(左上)長崎大学経済学部正面玄関で、向かって左端が本学ご出身の南森茂太准教授              (右上)合同ゼミの風景 
               (左下)合同ゼミ後、安堵感とともに           (右下)帰りぎわ正門で、両教員と両ゼミ長

2.合同コンパ

 合同ゼミ後は、めがね橋などの観光名所を眺めながらコンパ会場向かった。地域、そして大学の垣根を越えて、学業から私生活の話題まで幅広い会話を楽しみ、有意義な時間を過ごすことができた。

②

 (左)めがね橋あたりで            (右上)後列奥の中央の彼が、抜群のコンパ委員
                         (右下)前列向かって右は、原田先生の旧友の林徹先生(長崎大学経済学部教授、経営学)

II 長崎市内での共同調査と個別調査について

 合同ゼミに加えて、幕末から明治維新にかけての社会経済史・社会経済思想史に関する現地調査として、下記のように、グラバー園の訪問および個別調査を行った。

1.グラバー園での共同調査

原田健太

 グラバー園には、学芸員松田恵さんの特別のご案内により、原田ゼミ生全員で訪問した。グラバー園は長崎県長崎市、出島のすぐそばにあり、そこからは朝鮮・中国を臨む海を見渡すことができる。グラバー園は現在世界遺産に認定されており船を修理するドッグハウスからは上海を向こうに臨む海を眺めることができる。このグラバー園に住んでいたのが、スコットランド出身のトーマス・ブレーク・グラバーである。彼は江戸時代後期から明治時代にかけての日本において、製茶業や武器の輸出、日本初の蒸気機関の運行など幅広く事業を行った。そんなグラバー園では旧グラバー住宅をはじめグラバーが外国から招いた商人たちが住んでいた住宅を見ることができ、当時の生活の様子を垣間見ることができる。
 グラバーが日本に来日したのは1859年、日本がアメリカと日米和親条約を結んだ翌年である。それまでは幕府による鎖国政策が行われていたが、この条約を機に開国へと転換していった。当時日本では鎖国の影響でオランダと唐(現在の中国)とのみ交易を行い、日本における彼ら外国人居住地を細かく限定した。その境にあたるところは明確に石碑によって示されており、その石碑は今も残っている。ここまで明確に区切れられていたことは初めて知り、当時の日本での外国人の立場もおおよそ想像することができた。この高い山の上に建てられたグラバー園からグラバーをはじめとする海外の商人は何を考えながら、大きな海を眺めていたのだろうか。

③
 

(左)旧グラバー住宅の前で                  (右上)作り物のカメの上に乗る本物のカメ
                                (右下)旧三菱第2ドックハウスから眺めた風景

2.個別調査

 幕末・明治維新の社会経済史・社会経済思想史に関係する様々な名所旧跡を、ゼミ生が個別に調査した。

a.出島跡地の訪問

山下舜介

 長崎にて行ったゼミ合宿で出島を訪問した。出島は鎖国時代、唯一世界に開かれていた貿易の窓口である。明治期には役割を終え、陸地の中に埋もれ人々の記憶から消えかけていたと言われている。しかし、今から約60年前から長崎が復元に着手し、「出島和蘭商館長」として現在では国の史跡に指定されている。ここではそれを復元・再現したものや多くの建物、資料があり、歴史的なものを感じることができた。
 和装や当時の服装に扮したエキストラの方が歩いていたので、とても面白いなと感じた。個人的に特に印象に残っているのが「カピタン部屋」だ。これはオランダ商館長が使っていた部屋を再現したもので、客をもてなす機能もあり、出島を代表する非常に大きな建物である。
 出島を見学し、当時の様子を少しでも垣間見ることができたと思う。

④

 出島内の大通りが再現されている          立札の後ろのガラス下に、かつて海に続いた石段が保存

b.亀山社中記念館の訪問

深見樹

 亀山社中記念館は坂本龍馬の亀山社中の遺構を平成20年8月1日から長崎市が整備・公開している記念館である。「薩長連合」や「大政奉還」などで幕末の歴史に名を遺した龍馬は、最も活躍した慶応年間において長崎を拠点に活動していたとされており、亀山社中をはじめとする史跡が数多く残されている。
 亀山社中とは日本初の商社であり、薩摩藩の援助により龍馬が中心となって組織された。組織のメンバーは当時反幕体制であった長州藩に対し、薩摩藩の名義で武器や艦船の購入を斡旋するなど、薩長連合につながる役割を果たした。亀山社中の名は、メンバーが最初に拠点を構えた地「亀山」と仲間・結社を意味する「社中」を合わせたとされる。
 現在の記念館では龍馬が所持していた刀と銃など様々な資料が展示されている。

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跡地を示す石碑                         龍馬の刀など

c.長崎歴史文化博物館の訪問

梶田将暉

 長崎へ合同ゼミを行うと同時に、長崎の幕末関連施設を学ぶにあたって長崎歴史文化博物館を訪問した。ここでは江戸時代の貿易の要であった出島についての史料や唐人屋敷など、当時の外国との関係性などを学ぶことができた。他にも中国や朝鮮から伝わってきた陶器や伊万里焼や有田焼を用いた陶器が展示されており、大変興味深かった。貿易に関して重要な役割を担った長崎奉行所を再現した展示物もあり、外交・軍事・行政やキリシタンや密貿易の取り締まりなど多くの役割や犯科帳といった裁判の記録も展示されていた。長崎の近現代の歴史や文化を学ぶにあたってかなり充実していると感じた。

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当時の貿易で得られた文物など            当時の様子を描いた屏風

まとめ

 他大学のゼミとの合同ゼミを行うかなで、緊張感でもって勉強ができたことは素晴らしかった。またコンパなどでは良い交流ができ、親しくなれたことは、とても嬉しいことであった。その他、現地調査を通じて、学問を現地での実感と共に深められたことは、単なる教室での勉強ではなく、意味深かった。いろいろとご準備くださった南森先生と南森ゼミの皆さんに、お礼申したい。