ポーランド研修報告

[ 編集者:経済学部・経済学研究科 2015年10月8日 更新 ]

2015年6月6日~6月14日

報告書1   
プレゼンテーションinウッジ大学 ~就活について~     狩野聡汰 濱田理子

私たちは6月9日にポーランドのウッジ大学で「日本の就職活動」についてのプレゼンテーションを行った。ねらいは日本とポーランドの学生の持つ職業観や人生観の比較出会った。その内容は以下の通りである。
最初に日本の就職活動のスケジュールについて詳しく紹介した。就職活動時期が今年から大学3年生の3月からスタートになったことや、なぜそういう時期に変わったのかも紹介した。その際、就職活動の内容の写真をウッジ大学の学生に見せてイメージを分かってもらうようにした。
次に、インターンシップとは何かということを詳しくウッジ大学の学生に知ってもらうため説明した。日本においては、インターンシップは大学学部生では3年次の夏・春の長期休暇中に行くことがほとんどで、3年秋から本格化する就職活動に先駆けて職業体験を積むことで、就職活動本番でのミスマッチを防ぐ目的もあり、就活サイトでも従来の就職状況に加え、インターンシップ情報も提供するサイトが増えているということを紹介した。また次に、セミナーについての説明を行った。セミナーとは、就活サイトが主催する合同説明会、企業が大学に来て説明する学内セミナー、企業が単独で実施する個別説明会などがある。そしてそこでは、事業概要や仕事内容、選考スケジュールなどを企業側が説明し、選考を受けるには説明会に参加しなければならない企業もあるということを知ってもらった。発表後の質疑を経て、このように、学生が就職する前に企業側から仕事内容を紹介するということは日本独特の文化であると思った。
また次にはエントリーシートの書き方について詳しく知ってもらうために説明を行った。エントリーシートとは、企業が新規採用を行う場合に、人材のヒアリングしたい内容をまとめた独自の応募フォームのことをいう。パワーポイントを用いてエントリーシートを実際に見てもらいイメージを持ってもらった。企業には求人する場合、企業には数え切れないほどたくさんの応募が集中する。その際に、書式を統一することで比較内容を容易にするメリットがあるため、独自のエントリーシートを用意するということも説明した。ここで、求人した企業は、このエントリーシートの内容を見て、第1次の採用選考を行う場合もあるので、記入の際には、自分の魅力をアピールできるように、慎重に記入することが重要であるというポイントも紹介した。
その後、最終選考である面接について説明した。日本の面接には個人面接だけではなく、グループ面接やグループディスカッションなどもあるということを伝えた。個人面接だけではなく、グループで面接を行うことにポーランドの学生は驚いていて、それは日本独特の就職活動の仕方であると思った。
ポーランド人学生のプレゼンテーションの後で意見交換を行って、その中で、ポーランドは都市と地方の間に就職格差があることを知った。また、日本ならば大学や企業を紹介してくれる会社などを介して企業にアポイントメントを取ることが一般的である。しかし、ポーランドでは学生本人が直接、企業にアポイントメントを取って職に就くことが一般的であるということを知り、驚いた。このように、プレゼンテーションを行ったことでポーランドの就職状況について多くの知識を吸収できた。
 

報告書2
 ポーランド発表まとめ                   服部知倫 山下瞬

私たちは、ポーランドウッジ大学で現地の学生と交流するために、プレゼンテーションをしてきた。「Japanese worker」日本人の仕事というテーマについて、「popular work」「traditional work」「work life balance」「women’s work」の4つのセクションに分けた発表を行った。
「Traditional work」では、日本の伝統的な職人について発表した。主に例として、陶芸家、宮大工、和紙職人を挙げた。陶芸は日本の様々なところで体験できるのに対し、寺や神社を修繕する宮大工は技術が口で伝承されるため、その数は減少傾向にある。また、和紙職人も同じく減少傾向にある。これらに限らず様々な伝統工芸の存在が薄れつつある。
「popular work」でははじめに日本人の海外で働きたいかという意識調査の報告をして日本人の多くは海外で働くということに抵抗があるということを示した。そして過去30年の新卒に人気の職業ランキングをのせて日本での人気の職業の特徴を紹介した
「work life balance」でははじめに日本の仕事の現状を紹介した。日本人は休暇や家族より仕事を優先する。日本は先進国の中で残業が最も多い国の一つであることや、生産性も低いということを挙げた。次に1990年代から現代にかけて、日本の仕事と生活の関係性を述べた。当時から様々な改革が施されてきたが、大きな効果は表れなかった。むしろ、若者には働くという事のイメージがネガティブであると感じさせてしまった。
 最後にまとめとして、自分の見解を述べた。やはり、抜本的な改革が必要で、ワークシェアリングやフレックスタイム等の制度強化が望まれる。一人一人にしっかりとした休暇を与えられる仕組みの構築が必要である。
「women’s work」では、日本人女性の日本での就職状況や環境について紹介した。30年前には日本人女性は家事のみをするのが一般的であったが、近年では女性の社会進出に際して、女性も仕事をすることが一般的になってきた。次に日本での育児休暇について紹介した。育児休暇中は休暇前の半分の給料がもらえるが、育児休暇を取ることは企業に対して、不利益をもたらすと考えられているため、キャリアアップに障害が出る。育児休暇は会社によって異なるため気をつけて仕事を探さなければならない。最後に日本の女性の管理職について紹介した。日本では管理職になる女性は少ない。しかし20年前と比べるとかなり改善している。これからさらによくなるのではないか。
そしてウッジ大学の学生のプレゼンでは、ポーランドの就活や仕事について紹介された。ポーランドと日本の賃金の違いや、日本の場合、海外に出る思考が最近芽生えたが、ポーランドでは海外に出て仕事をするのが当たり前になっている。なので、ウッジ大学の学生は、母国語のみならず、他の国の言葉も流暢にしゃべれた。日本語も無理なく会話できるレベルで身に付けていた。仕事に関する環境の違いから、学生の意識に大きな違いが生まれていることが感じられた。



報告書3
ポーランド研修をおえて(現代史について)                清水雅広 拝野晃徳

まず、初めに一日をかけてみてまわったアウシュビッツのことから書くこととする。
アウシュビッツはホロコーストと大量虐殺の痕跡を生々しく残し、当時のまま保護されている収容所は廃墟のようです。収容所は1号と2号から成り立ちます。
強制収容所1号では、人間の遺灰が撒かれた所や、ガス室、焼却炉跡、死刑執行所、絞首台など当時の悲惨な状況が見受けられます。毒ガスを利用した殺害実験、人体実験、多数の銃殺も行われ、「死の壁」と言われる場所では今も世界中から人が集まり、祈りを捧げています。強制収容所2号も、解放当時のままを保護されており、ナチスによりヨーロッパ中から連行された、約100万人のユダヤ人の大量虐殺を目的とした設備が現存しています。2号で知られているのは、やはり「死の門」と呼ばれる建物、そして移送された人々を乗せた列車が停車したホームと、線路ではないでしょうか。
「ARBEIT MACHT FREI」(働けば自由になれる)と、書かれた門をくぐると、そこからはどれだけ働いても生きて出ることはできません。ナチスはユダヤ人に結束されぬよう、ユダヤ人内でも階級や差別を用いて、お互いに憎ませ争いを起こさせるよう仕向けていました。アウシュビッツの建物もユダヤ人に作らせたものが数多くあります。
今まで3000万人以上の人々がこの地を訪れ、今も「記憶」の場所として、訪問者が常に増加し続け、変わらず祈りを捧げています。ここを訪れると、今の築かれた平和な状況は当たり前のものでは決してなく、アウシュビッツはただの歴史ではなく、今も続く「人類への警告」を感じ取らせる場所だと改めて思います。僕はイスラエルの国旗をマント代わりにして背中に掛けている人々の集団を何回も見ました。この場所は人類最大の負の遺産というだけではなく、平和を望む人々の希望の遺産でもあるということです。原爆を投下された日本に住んでいる私たちには、特に訪れてほしい場所です。
アウシュビッツの次はポーランドの近現代史の中でもワルシャワ蜂起とユダヤ人の歴史のことについて訪れた場所を踏まえて書きたいと思う。まず初めに訪れたワルシャワ蜂起博物館についてだが、この博物館ではポーランドの市民たちがドイツに対して戦った様子が展示物によって示されており、その展示は恐ろしいものであった。日本の原爆ドームや沖縄のガマのようなもとはまた違ったものであった。その当時の町でどんな音がしていたか、光景としては建物ががれきとなったものや、市民と兵士がともに話しているようなものがあった。展示で印象にのこっているのは物資を運ぶのに飛行機から落とされたものやお墓、さらに地下水道はとても印象深く、あそこを通ったのかと考えると考えさせられるものがあった。年表をみていくような展示は当時のことを深く頭に刻まれた。本当に20万人の人の生き様を見ているようであった。博物館で学んでから街を歩くと見えてくるものがあって現地に行ってこそ学べるものがあると感じた。
次に訪れたユダヤ人歴史博物館はユダヤ人の先祖からの歴史から、普通に他の人とも共生していたことから突然異質とされ避けられるようになる過程などを追うことができた。人権を考える中でこの過程は大事なことでもっと多くの人が学ばねばならないことだと実感した。文化の面でも生活の中でも何も変わらなく、普通の生活をしていたのにというのに突然かわるこのおかしな事態について私たちは遠い国の話だと終わることなく考えねばならないと思った。
歴史博物館を訪れた上で実際にクラクフのゲットーの壁をみると、こんな壁でまったく別の扱いがされていたのかと思うとおかしなことがあったものだとおもった。さらに言えば自由がほしく出ようとすれば銃殺されるとは本当におかしなことが起きていたものだ。壁と高い崖のようなもの中で外からは監視されていて、周りからは明らかに区別される環境というものの怖さを覚えた。ここでも、実際にゲットーの周りを歩いたからこそ恐ろしいことが日常で起きていたという事実を素直に感じ取ることが出来た。ゲットーに関して知識が浅い部分があったが以前より知識を深めることが出来て良かったと思う。

報告書4
 ポーランドの都市再生について                中阪有貴 寺内郁実

今回私たちは6月6日から6月14日の間にポーランドのワルシャワ・ウッジ・クラクフに訪れました。
初めに到着したワルシャワの旧市街は戦争で一度破壊されました。その破壊された町並みを復元したものとして唯一ユネスコ世界遺産に登録された場所です。藤井先生がポストカードを購入されて、破壊された昔の町並みと今復元したものの違いを見せていただきました。できるだけ破壊されたレンガなども使われていたみたいで、いまだに工事中の場所もありました。

ワルシャワの旧市街

ワルシャワの旧市街

旧市街で感心したところは、現在工事中でも他の町並みを崩さないように、工事中のシートに復元されるであろうイラストが描かれていて町並みを保ってあった点です。

現在工事中

現在工事中

ウッジではユダヤ人のI . Poznanski (イスラエル・ポズナンスキ)が経営していた紡績工場の跡地を再開発したmanufakturaという大規模なショッピングモールがあります。この中には、スーパーマーケットやフードコート、映画館にボーリング場などアミューズメントも完備されており、家族や若者の遊び場として生まれ変わっています。一部は工場の歴史博物館として機能しています。

manufaktura

manufaktura

また違う場所では、ドイツ人のK.Sheibler(カロル・シェイプラー)が経営していた工場を今は高級マンションとして利用されているところも存在していました。工場の周りに建てられていた従業員宿舎などの建物の多くは残っており、第2のマンチェスターとしての役割を担っていたのが現代にまで伝わっていました。
ウッジの中心の鉄道駅は、現在大がかりな改修工事が始まっており、私たちが訪れたウッジ大学でも関西学院大学でいう時計台と中央芝生ぐらいの価値のある場所をつぶして、その駅に通じる道路を建設する工事が行われていました。またホテルの近くでは、住宅と地面すれすれのところに窓がある住宅がたくさんあり、かつて石炭等の貯蔵のための地下室の空間が今も残されてあり、バーや部屋などとして利用されています。ウッジは町中で道路や市電の改修工事が進んでいて、どんどん町が新しく作りかえられており再生され続けています。

ウッジ市街

ウッジ市街