北スマトラ大学

[ 編集者:経済学部・経済学研究科       2015年1月15日   更新  ]

概要

私たちは、2015年ASEANにおけるインドネシアの取り組みを考えるという、メダンにある北スマトラ大学のプログラムに参加しました。内容は、小、中、大それぞれの企業に訪問し各企業に一体なにが必要なのかを考えることです。インドネシアの政府の方々、現地の大学生や大学の教授、在メダン日本国領事館の方、 栗田先生など様々な方々の協力があって、私たちは中小企業の成長には地場産業の独自性が欠かせないこと、大学などの研究機関との連携が必要だということをPRESENTATION TOWARDS 2015 ASEAN ECONOMIC COMMUNITY( ASEAN経済会議)で提言することができました。
また、現地の大学生と一緒に、インドネシアの文化に触れるために観光でトバ湖を訪れたり、様々な現地の料理食べたり、現地特有の交通機関で移動したりしました。
このプログラムを通して、北スマトラ大学の学生と仲良くなり涙を浮かべ別れた経験は一生忘れられないものとなりました。

髙濱 翔平さんのレポート

髙濵写真

地元の様々な工場を見ることが業務でした。なかでもキャッサバチップスの工場が面白かったです。近くの農村の特に女性を雇用して、皮むきから製造まで手作りで作っています。地元にあるキャッサバと人手をうまく使っています。 
製造を始めた当初、地元でキャッサバチップスは受け入れられなかったそうです。そもそもキャッサバを作りはするもののあまり食べないらしいです。そこで、マレーシアや台湾など海外に目を向けることで成功しました。今では4か国に輸出しています。日本にもいつか進出してくるのでしょうか?
キャッサバチップスが日本に来るためにはやはり日本企業とのつながりが不可欠でしょう。メダンには日本から技術を学び続けているリサイクル工場や総合商社と提携しているコーヒー工場があります。そういった工場の規模はけた違いで英語が話せる人も多いです。キャッサバチップスの工場の良さは地元の資源を生かすところにあります。しかし、これから大きくなるにつれてこの良さがあせていくことは避けられないはずです。村と工場が同時に成長できるような仕組みは作れないでしょうか?
キャッサバチップスは様々な種類・味付けがあり飽きません。メダンに来た際はぜひ食べてほしいです。

川村 真由さんのレポート

今回、印象に残ったことは「困難な状況でやり遂げることとまわりの人のあたたかさ」です。元々、滞在する場所はすごく快適なところで家政婦さんもつくかもしれないと聞いていましたが、実際は現地の大学生と同じ寮のようなところで一人一部屋与えられ、初日から停電したり水が使えなかったり(使えたとしても水のみ)とネット環境が整っていなかったりと大変でした。そして一緒に住んでいた学生たちはとても親切でしたが自分たちの英語力と差があったためコミュニケーションをはかることが難しく、これから先の2週間を同じプログラムで過ごすことに不安がありました。最後には、見学した企業と途上国の中小企業についての発表をASEAN ECONOMIC COMMUNITY 2015 という大きな場でするというプログラムでした。ネット環境の整っていない寮ではこの発表の準備はとても困難で、大学の先生や学生たちに協力してもらったりして何とか準備をし、無事終えることができました。はじめは不安がいっぱいで帰りたいと思っていましたが、日々を過ごしていくうちに学生たちとも仲良くなり、水のシャワーにも愛着がわき、最終日には帰りたくないと思っていました。しかも学生たちは私たちのために英語や日本語を勉強してくれてとても感動したのを覚えています。他のゼミ生とは少し違ったかたちでのスタディーツアーでしたが、たくさんの人たちと出会い、あたたかさにふれ、自分にとって大切な経験になったと思います。

川島写真

中島 謙太さんのレポート

インドネシア在中の日本領事館の濱田さんとの出会いが私にとって大きな出来事でした。日本とインドネシアの国交を深めるために、60歳をこえても全力をささげている濱田さんの背中はとても大きく感じました。また、自分の仕事をだれよりも楽しそうに語り、普段は優しいけれど日本語をする学生に対しては厳しく接する、そんな濱田さんのような大人に自分もなりたいと強く感じるようになりました。私の人生のお手本となるような人に出会えたインターンシップでした。

中島写真

松尾 美由貴さんのレポート

メダンでの生活は時間通りに物事が進むわけではなく、日本では当たり前の5分前集合が通用しなかったり、いきなり予定が変わったり、臨機応変に対応することが求められる日々でした。「現地の生活スタイルに慣れること」この点でメダン滞在はある意味私にとって挑戦だったように思います。というのも、きっちり計画を立てて物事を進めたい私にとってこのような生活が初めは苦痛で仕方なかったからです。しかし2週間の滞在を終え、どこかで割り切っている自分がいました。これはメダンで過ごした日々の中で出会った現地の人々の温かさや親切さに触れたが故の変化であると感じています。
また、日本語を学ぶ現地学生との貴重な出会いもありました。日本の文化が好きで、日本に行きたくて、必死に日本語を勉強する彼らのひたむきな姿勢にとても感動したのを今でもはっきりと覚えています。帰国後も彼らと日本語でメールのやりとりをしています。

松尾写真