学生レポート_山崎 裕貴さん

[ 編集者:経済学部・経済学研究科       2014年4月18日   更新  ]
学生リポート

第6回 卒業を迎える4年生から_2014年2月25日

山崎 裕貴さん

  【卒業年月】 2014年3月
  【名前】 山崎 裕貴  (ヤマサキ ヒロキ)
  【出身高校名】 関西学院高等部
  【研究演習名】 豊原 法彦 教授
  【就職・進学先】Honda 本田技研工業株式会社

「関学での野球人生」-山崎 裕貴

大学野球のリーグ戦にて

私は体育会の硬式野球部に所属し、大学生活はとにかく野球に打ち込んだ4年間だったと言えます。大学入学が決まった後、高校3年生の2月から、野球部の練習に参加させてもらうようになり、4年生では主将を務めさせていただき、たくさんの経験をすることができました。

まず、大学野球のリーグ戦の説明をしておきます。春と秋にリーグ戦があります。春のリーグ戦で優勝すれば、そのまま全国大会に出場できますが、秋はリーグ戦で優勝し、さらに関西の他の5リーグ優勝チームと戦い、2つの全国の切符を争うシステムになっています。チームは、リーグ戦優勝を常に目標として練習してきましたが、何十年もの間リーグ戦優勝からは遠ざかっている状況でした。

私は2年生になる頃から試合で使ってもらえるようになり、3年生の秋にはチームは17年振りにリーグ戦で優勝。個人的にもレギュラーとして試合に出場し続け、ベストナインも受賞することができました。ただ、全国の舞台にはあと一歩のところで立つことができませんでした。

全てがうまくいっていたわけではありません。2年生の時、自分の打った打球(自打球)が左ふくらはぎに当たり、1ヶ月間まともに歩けない生活になり、さらに約1ヶ月間のリハビリも経験しました。その間、ライバル達が上達していく姿、どうしようもできない自分への葛藤や悔しさに、もどかしさを感じました。一方で、周りの方の支えに感謝することの大切さを感じることができる経験にもなりました。この怪我で1番思ったことは、“野球ができることってとても幸せなことなんだ”と改めて感じることができたことです。振り返ってみると、今では良い2ヶ月間だったのかなと思います。

4年生となり、主将となりました。運が良いのか悪いのか、17年振りのリーグ優勝した後の代だったため、プレッシャーはありました。昨年の優勝チームとしてみられ、また、“昨年は強かったのに今年はアカン”とは絶対に思われたくはありませんでした。主将になると、野球以外でも、体育会の公式行事に参加させて頂いたり、OBの方たちの前でお話をさせて頂いたりするなど、なかなかできない経験もでき、主将としては成長できる機会に恵まれました。そんな中、向かえた春のリーグ戦は、チームとしては満足のいく結果を残すことができず、甘さが出てしまったリーグ戦となってしまいました。以降、チームは150人の大所帯で、野球は団体スポーツということを改めて意識するように努めました。最後の秋のリーグ戦に向けて、チームで合わせるべき所は合わし、個人個人の役割、そして、人として当たり前の行動や姿勢をとる。このようなことを大切にやってきました。

私自信のモットーは“自信を持ってプレーする”ということです。自分に自信を持ってプレーしていない人に誰が期待をしてくれるのか?自分に自信をつけるために練習をするのです。そのためには準備が必要です。練習はもちろん、体のコンディショニングやルーティーンをつくるなど、良いと思ったことは全て実行し、これをしたから大丈夫って思えるように試合前は準備をするようにしてきました。

最後の秋のリーグ戦では、2季連続となる優勝をすることができました。優勝できた一番の要因は、ベンチ入りすることができず、試合に出られなかった部員達がスタンドで声を枯らすぐらいの大きな声で、選手に応援を送ってくれたからだと思います。以前にはなかったことでした。普段の練習から、ベンチ枠25人に入りたいという思いでみんなが競っています。そのライバル同士が、試合当日は全力で後押しをしてくれました。その姿が私は本当に嬉しかったです。その後押し、たくさんの方の支えがあって、秋のリーグ戦は優勝することができたと改めて思っています。


昨年は敗れた関西の壁も突破し、大学野球の甲子園でもある神宮大会に、創部初となる出場を果たすことができました。全国の舞台では惜しくも、一回戦で延長の末敗れてしまいましたが、最高の場所で私たちの野球をすることができ、感謝の気持ちを形にできたことと関学野球部の歴史を刻むことが出来て本当によかったと思います。

私の一番の思い出はリーグ戦優勝、神宮球場で試合したことやハワイで野球をしたことはもちろんですが、それよりも祝勝会をしたり、みんなで飲みに行って野球のことを語ったり、練習終わりに部室で談笑したこと、そんな日々がとても楽しかったです。

後輩達には次の目標として、全国の舞台で勝つことを目標にして、関学野球部に新たな歴史を刻んでほしいと思います。また、当たり前のことを当たり前にすることの難しさを知り、当たり前の日々を大切にしてほしいです。

最後に、私は大学卒業後、社会人野球のHONDAで野球を続けます。社会人野球をしたくてもできない人がたくさんいる中で、私はまだ野球ができます。まだ、夢を追いかけることができます。そんな幸せを噛み締めながら精一杯やりきりたいと思います。現在、すでに練習に参加していますが、自分の力の無さを痛感しており、毎日刺激をもらいながら練習しています。関学の校章でもある新月の意味のように、新月から満月になるように絶えず向上心をもって日々成長していきたいと思っています。