学生レポート_山本 奈央さん

[ 編集者:経済学部・経済学研究科       2014年4月18日   更新  ]
学生リポート

第4回 卒業を迎える4年生から_2014年2月12日

山本奈央さん

山本奈央さん_左から二番目

  【卒業年月】 2014年3月
  【名前】 山本 奈央 (ヤマモト ナオ)
  【出身高校名】 兵庫県立小野高等学校
  【研究演習名】 村田 治 教授
  【就職・進学先】ABC 朝日放送

「チャレンジからの出会い」-山本 奈央

国立政治大学(台湾)にて

国立政治大学(台湾)にて(中央が山本さん)

関西学院大学経済学部4年生の山本奈央です。私の大学生活は「やりたい!」と思ったことにとことん挑戦した4年間でした。大学の授業やテニスサークル、台湾への交換留学、ゼミ活動、アルバイト、話し方の教室と毎日が十分すぎるぐらい充実していました。その理由として、サークルの仲間や友人、先輩、先生など、出会った「人」の影響が大きいと感じています。

私の大学生活の原点はテニスサークルの活動です。「やるなら本気でやりたい!」と思い、上ヶ原テニスクラブに入部し、テニスに打ち込みました。テニス未経験の私に、オフの時も真剣に教えてくれる先輩や仲間がいて、切磋琢磨できる部員に出会いました。本気になれる環境が上ヶ原テニスクラブがあったからこそ、他のことにも手を抜かずに取り組むことができました。

テニスも少しずつ上達し、サークル内の役職を決めるという時期に、新たに挑戦したいことに出会いました。台湾への交換留学です。入学以降、第2言語(選択必修外国語)で中国語を学び始めたことがきっかけで、そのおもしろさに魅了され、もっと学びを深めたいと考えるようになりました。また、私は常々何か強みになるものがほしいと考えていたので、好きな中国語を使う留学がしたいと強く思うようになっていました。一方で、これから幹部としてサークルをまとめていく立場になるのに、私だけ休部して日本を離れていいのかという葛藤など、色々な思いもあり悩みました。先輩や同級生のメンバーにも相談して挑戦したい思いを伝えました。みんなの後押しもあって、台湾への交換留学を決心することができ、1年間(2年生秋から3年生夏にかけて)濃密な経験をすることができました。留学前は、「你好(ニーハオ)」程度の中国語しか話せなかったため、台湾での1年間は「日本語を使わない」という目標を決め、中国語の能力向上と中国語を使う機会を増やすために、人との交流を大切にしました。例えば、台湾でもテニスサークルに所属したことで、台湾の大学生が今話題としていることや生の中国語にも触れることができました。また、言語交換やMandarin Tutoring、アルバイトなど、中国語に触れる機会を増やすために始めたことで、中国語のスキルアップ以上に「人とのつながり」を増やすことができました。これは留学に行って良かったと思える一番のことです。経済学に関する授業では、自分の言いたいことが伝えられず、意見を求められても答えに詰まり、悩んだ時期がありました。そんな時も友人が相談に乗ってくれ、先生が分かるまで付きっきりで教えてくれました。多くの人の優しさに触れ、人の巡り合わせに感謝感謝の1年間でした。たくさんの人との出会いがあったからこそ、何事も続けてやることができたと思います。

山本 奈央さん

卒業後は、放送局への就職が決まっています。幼い頃から大好きだったテレビの仕事に携わることができ、本当に嬉しく、早く働きたい気持ちでいっぱいです。就職活動では約60社に落ち、内定をいただくまでの道のりは長く、諦めそうになったこともありました。それでも、サークルや留学、そして日々の生活で培った粘り強さで頑張り抜くことができたと思います。何よりも、数えきれないほどの「人」の支えがあって今の私があり、改めてこれまで出会った人みんなに「ありがとう」の気持ちを伝えたいです。

私の大学生活は、周りの人に恵まれた4年間でした。そしてチャレンジしたことや出会いを通して「点と点はつながる」ということにも気づきました。「今やっていることって、意味あるんかな…」と半信半疑でやっていることもありましたが、ある時ふと経験と経験が1本の線につながることに気づく瞬間がありました。「あの時の経験は、この時の為のものだったのか!」と。だからこそ、全てのことに意味があると考えるようになり、目標を持つことと迷ったら挑戦してみることが大切だと感じています。今後、さらに多くの人との出会いや様々な経験を通じて1つ1つの“点”が結ばれ“線”となり、それらが“面”になる日が来ると信じています。4月から社会人になります。これからもチャレンジすること、「百尺竿頭に一歩を進む(そこで満足せず、さらに一歩進めること)」を肝に銘じて、何事も全力で取り組んでいきます。