2014.03.29.
【栗田ゼミ】2013夏 9期生 農村フィールド調査 @ケニア(ケニア滞在を振り返って & これからの自分)

~ケニア滞在を振り返って & これからの自分~

ケニアの滞在を通して、K3のメンバーが感じたこと・思ったことは全く違います。ただ、キアンバー村で出会った人々やマゴソスクールの子供たちとの交流、果てはゼミ生同士でお酒を飲みながら話した何気ない一瞬一瞬まで、なにもかもが、自分たちにとってかけがえのない経験であったことは紛れもない事実だと思います。

そんなケニアでの経験を振り返って、これから先どう歩んでいこうと決意したか、思いを綴ってもらいました。

佐藤 亮さん

佐藤亮さん

「目の前にいる人たちのために、自分は何ができるのか?」を問い続けようと決意したケニア滞在でした。

これまでアジアの途上国で旅をしたりボランティア活動に参加してきましたが、貧困の中にある人たちと対峙したときに、心のどこかで「自分にできることは限られている」と決め付けていました。それはただ、そこにある現実を直視することを避けて、自分の未熟さを知ることを恐れていたからなのかもしれません。

ケニアでは、農村調査を通して、キアンバーで暮らす方々の「今」を知りました。農村世帯の慢性的貧困、と口では言うものの、実際に住居環境を見て、所得や教育経験を知り、世帯の抱える問題を聞いたときに、ゼミの学習のため、論文作成のためのデータ収集のため、とはいえ、改めて自分の目の前にいる人たちの現状をどうにもできない自分がいることに気づかされました。否応なく現実を直視せざるをえなかったからです。

「国際協力・貢献」「海外ボランティア」という言葉を発するのはとても簡単な一方で、そこに暮らす人たちの現状を改善することはもちろん、その人たちと対等な関係で理解し合うためには、具体的なことは言えないものの、思いを尽くして、様々な壁や溝を取り払い続けなければならないんだと思います。これから先、どのような形で途上国に関わるかは分かりませんが、自分が出会ってきた人たち、関わってくださった人たちに正直でありたいし、「自分は何ができるのか?」を問い続けることで、微力ながらでも誰かの幸せに寄り添えられるような人でありたいと思います。

大西 直斗さん

大西直斗さん

自分の中で変化したことは、世界で起こる事柄に敏感になったことです。以前はニュースや新聞などで、遠い国で起こっているテロや事故などの報道を見たり聞いたりしても、どこか他人事のようにそれらを受け止めていました。しかし、ケニアでのフィールドワークを通して、現地で現実を見ることによって私の考え方が変わりました。「息子を学校に行けるだけの奨学金を援助してもらえないか」これは私が調査の途中、ある農家の家を訪ねたときに言われた言葉です。私は何も言い返すことができませんでした。このような深刻なことをこんなにもストレートに言われたことがなかったからです。お金が足りず、学校に行けない人はなにもアフリカにしかいないわけではありません。きっと日本でも同じような問題を抱えた人が多くいると思います。この農家で起きたことはほんの一つの例です。ケニアの調査後では、あらゆる事柄に対して「問題意識」・「当事者意識」を持つようになったと感じます。

吉見 敦子さん

吉見敦子さん

「自分を決めつけないこと」を心がけるようになりました。私は、ケニア実習で多くの人に出会いました。ケニアでの調査や、宿舎、支援団体の方、全ての出会いが新鮮でした。実習中は、目の前で起きていること、目の前に見えているものをどこか自分のものとして受け入れることができないでいました。その理由は「自分は無力、何もできない」と決めつけ、諦めていたからだと後になって分かりました。しかし、そのような考えで自分に制限を設けたこと、一歩未知の世界に踏み込もうとしなかった自分に後悔しています。なぜなら、実習中に自発的に興奮や幸福は生まれなかったですし、実習から帰ってきても自分に自信を持てないからです。実習前までの「根拠なく自信を持とうとしていた自分」ともまた違う感覚を味わったことも事実です。今後は、自分のことを知らないのに、やっていないのに鼻から自分を矮小化しないということ。また、他人から本質を評価されても、惑わされず、恐れないようにしようと思います。

吉田 美咲さん

吉田美咲さん

「お金がなくてこの子を中学校に行かせてあげることができない。私たちはこの子に何をしてあげたらいい?」実習中に訪れた農村で、娘を紹介され、母親に言われた言葉です。私はこの言葉に何も答えることができませんでした。私はこの言葉に、自分が論文執筆のことばかりに目が向き、ケニアの現状、そこに住む人々に対する視点がなかったことに気付かされました。

現在ケニアは中等教育の授業料が無償化されており(その他諸経費は有料)、無償化前に比べ、貧しい家庭の子供が中学校に行きやすくなったということは事前の準備の段階で知っていました。しかし、それでもなお、授業料以外にかかる経費を用意することができず、中学校に行くことができない子どもたちがいることももちろん知っていました。にもかかわらず、私はその母親に言われて初めて、それが現実であること、そしてそれに対して何もできない、言えない自分に気づかされたように思いました。

私はこの体験を通し、自分が分かっているような気になって自然と見過ごしてきたことが多くあることに気付かされ、もっと目の前にあることを落ち着いて、もっと広い視野を持って感じ、考えることができる人間になりたいと思いました。