「われら関学経済人」 木村 愼作 さん

[ 編集者:経済学部・経済学研究科       2014年4月1日   更新  ]

~関学経済学部生からのメッセージ~「われら関学経済人」

木村 愼作さん (1973年卒)

      
      【卒業年月】 1973年3月
      【名前】 木村 愼作 (キムラ シンサク)
      【年齢】 60歳
      【出身高校名】 奈良女子大学文学部附属高校
      【研究演習名】 橋本 徹 教授
      【勤務先】 大阪府庁 大阪府副知事
      
      ※ 本ページの内容は2010年12月現在のものです。

これまでどんな仕事をされてきましたか?

 約二年前から、大阪府の副知事を務めています。
 それまでは、関西電力の社員でした。関西電力に35年半勤め、ご縁があって公務員(特別職)になりました。電力会社では、営業、品質管理、秘書、広報、関係事業管理などさまざまな分野の仕事を経験しました。
 その中で、会社員生活の三分の一は、他の組織へ出向し社外で仕事を行いました。公益法人の立ち上げ、通信会社の営業管理等に携わるとともに、マーケティング事業会社(関電子会社)を設立し、三年間、社長として自ら経営しました。
 その後、第三セクターの事業再生に携わり、この活動の終結と同時に会社を退職し、(なつかしいゼミの先生と同じ読みの)橋下徹知事のご要請で現職に就きました。

経済学部ではどんな学生でしたか?

 もう40年も前のことで、あまり記憶は確かではありませんが・・・とても真面目な学生だったと思います。酒もタバコもやりましたが、授業にはきちんと出ていました。卒業時に席次が発表されましたが、学部でギリギリ一桁に入っていました。
 なぜそんなに真面目だったのか・・・こんなことを書くのはいかがなものかと思うのですが、正直に申し上げるとそれは「劣等感」の裏返しだったのではないかと思います。実は、関学は志望校ではありませんでした。受験の年、昭和44年は、全国的に大学紛争の火が燃え盛っていました。関学も全学封鎖が続き、そんな中での入試を経験したくて受験しました。しかし、志望校には見事に、というかまったく歯が立たず惨敗でした。あまりの惨敗に、体調を崩し、何ヶ月かを無為に過ごしました。そんな中、夏ごろに関学から、ぼちぼち授業を始めるとの通知がありました。
 そして・・・「ま、いたしかたないか」というかんじで、通学を始めたのです。まさに「劣等感」に包まれた日々の中で、たぶん「せめて知識だけは身につけておこう」との思いから、一生懸命勉強しました。

今の経済学部生にメッセージをお願いします!

 もしかしたら、皆さんの中にも、「劣等感」に包まれた日々を過ごしている人がいるかもしれませんね。それをバネにして勉学に勤しみなさいなどと、わかったようなことを言うつもりはありません。
 でも、社会に出てみると、どこの大学を出ているかなどというのはそれほど大きな意味はありません。もし、逆に、関学卒業生であることで、何か有利なことがあるとの期待感をお持ちなら、申し訳ありませんが、そんな気持ちは捨てることです。たいした優位性はありません。
 実力をつけることです。静かな学舎と、豊富な書籍、レベルの高い先生と友達。環境は十分です。あとは自分で実力、特に思考力を磨くことです。ただただ知識をインプットするのではなく、「考える」そして「疑う」ことが大切です。インプットとしては、この時代、英語力は不可欠です。授業だけでは身につきませんから、少しぐらいコストをかけても、社会に出るまでになんとかすることです。

これから経済学部を目指す高校生にメッセージをお願いします!

 還暦のジイサンのメッセージなど、高校生のみなさんには、うっとうしいばかりでしょうが・・・。
 いろいろと書いてきましたが、関学の経済学部を目指すという選択は正しいと思います。今は、自信を持ってお勧めします。高校生のときから、将来の自分の姿を決めてしまうのは難しいですね。いろんな可能性を担保した大学生活であるべきだと思います。もちろん、医者や弁護士といった特別な資格を求めるなら別ですが、社会に出るための基礎トレーニングの場として、関学の経済学部はかなりいいところだったと思います。
 そして、何よりも、これから関西が再生するためには、関西の大学でしっかりと学び、関西で職を持つ人が増えて欲しいと願います。早稲田や慶応でもいいでしょうが、ぜひ関西に住み、関西で学んでください。このままでは、関西は沈没です。ぜひ、関西の将来の為に関学経済学部で学び、関西の為にしっかりと働いてください。