2014.12.10.
【栗田ゼミ】2014夏 農村フィールド調査 inマダガスカル(論文作成)

Thesis Writing and Document Analysis

 帰国後、いよいよ論文作成です。データの入力を完成させ、分析では先生に助言をいただきながら論文を作成していきました。各班それぞれ、苦戦した点は違いますが、マダガスカルの現状を伝えたい、出会った人の貧困が少しでも改善できる政策を提言したいそんな思いで、学校が開いている時間は、ほぼずっと談話室にこもり、また土日は家で集まりながら論文として仕上げていきました。同じ目標に向かって、全力で駆け抜けチームとしてのまとまりや人と協力して一つのものを作り上げることの喜びを実感しました。

座間 慶彦

「僕がマダガスカルで関わった人達のためにできること。」
マダガスカルに行く前、僕はいわゆる“ダメな学生”でした。というのも数学が苦手な上、国際協力を行う自分の団体の活動と比較し、勉強することに積極的になれずにいました。自分の団体では、関わる人の課題の解決の為に行動するのに比べ、ゼミで行う研究では関わる人達に調査をすることしか出来ない。そんな葛藤が僕の中にありました。ですが、調査を経て僕の心境に変化がありました。現地の現状を見た僕達だからこそできることがあるはず。だからこそ、「末端の農村の人達に届く政策を論文で提言したい!」この思いから、僕は逃げていた勉強にも本気で取り組みました。だからこそ、僕達の提言がどんな形であれマダガスカルの人達へ届くことを願っています。

座間慶彦くん

杉本 直樹

私たちは、Migration(労働移動)に関する分析を行いました。準備する時点で、とらえどころのない、しかも日本で生活していて接点のない労働移動というテーマに苦戦します。
 データ収集の後、帰国後に本格的に論文執筆を行います。収集したデータを、STATA(分析ツール)を用いて分析を行いますが、なかなか思うような結果を得ることができず、ひたすら分析のみを行うばかりでした。しかも、ただいたずらに過ぎていく時間と迫ってくる論文提出期日。分析が終わったと思えば、気づけば論文提出2日前。分析さえ終えると後はスムーズに進むと思えば、次には分析結果を踏まえた政策提言の作成。頭の堅いとの前評判を裏切らない私たちの案の出てこなさは非常に異常でした。
ひとつ、論文執筆を行っていて、気づいたことがあります。それは、出国前の準備段階まで遡ります。準備段階では、夜通し論文を読み続ける日々でした。そんな中で、先人の執筆した論文は、本当に途上国の人たちに役立っているのか、実は研究者個人の学的欲求を満たすために論文というものを用いているのではないだろうか、と感じるばかりでした。そして、私たちは論文を書く際には、絶対に現地の人たちの役に立つ論文を執筆しようと心に決めたのです。しかし、いざ論文を執筆してみると、文章に自分たちの気持ちを表現することが難しいのです。というのも、論文とはエッセイになってしまってはいけないからです。あくまで、学術的に書くことを前提として求められます。今は、私たちの論文が現地の人たちの役に立つことを願ってやみません。

杉本直樹さん

梶 晃樹

小論文を1人で書くことは今までにあっても、3万字の経済論文を6人で書くことは初めてで右も左もわからないところから始まりました。6人いれば書きたい内容もバラバラです。健康班の考え方の軸をしっかり共有し、マダガスカルの現状を調べることが好きな人や分析が得意な人、文章を書くことが得意な人など、それぞれの得意を活かし初めての共同論文を書き上げました。論文を書くことで得た経験と、チームリーダーとしての経験に共通していたことは、全力でぶつかって折られてもまた全力でぶつかりにいくことの大切さを学んだこと。何もわからない分、色んなことを試して何度も失敗してその度また考え、行動に移すと少しずつ全体像が見えてくる、そのちょっとの達成感を知りました。ちょっとの達成感をこれからも得るために考動していきたいと思います。

梶晃樹さん

廣瀬 美穂

私の所属していたAgriculture班では、「計量分析がずば抜けてできる」という人がいませんでした。なので、過酷なマダガスカルでの農村調査を終え、無事帰国した後も休まる日はありませんでした。分析をしようにもデータセットからうまく行かず、ただただ時間だけが過ぎていく日々でした。やっとデータセットが終わっても分析がうまくいくわけでもなく。分析を行っては、またデータセット…その繰り返しでした。それでも諦めず、時には他の班や先生に助けてもらいながらも、メンバー同士が力を合わせ、そうする内に、だんだん形になっていくのを、身をもって実感しました。
その当時は分析がなかなか進まないことに焦りや不安しか感じていませんでした。しかし、今から考えると、私たちの班に、その類のことを得意とする人がいなかったからこそ、逆に自分がしなければ、という責任感も生まれ、最後までやり遂げることができたのだと思っています。

廣瀬美穂さん