2025.04.07.
【久保ゼミ】9期生 ゼミ合宿 in 養父

【1日目】

10時にトヨタレンタカー西宮北口店に集合し、2台の車で養父市へ出発。一度SAで休憩を取りつつも12時過ぎごろに養父市の道の駅ようか但馬蔵に到着しました。そこではみんなで昼食。但馬牛など名産品を使ったメニューもあり早速養父市を感じることができました。昼食後は宿泊場所近くのスーパーへ買い出し。材料を買い、宿泊場所である但馬長寿の郷宿泊棟「夢」のロッジへ無事到着しました。荷ほどき後、夕飯前に近くの温泉に向かい、移動の疲労を癒しました。そして夕飯は定番であるカレーで、献立はポークとシーフードの2種。みんなで協力し、おいしく作ることができました。また、久保先生がホタルイカでおしゃれなサラダをつくってくださいました...!しかしカレーは1日分のはずが作りすぎ、お代わりをしたのが何人もいたにも関わらず、2日目の分までできてしまいました。

【2日目午前~市役所取材~】

2日目の午前、養父市役所へ訪問しました。市役所に到着した際、ちょうど自動運転のバスの試運転の場に遭遇し、さっそく改革の一つを見ることができました。そして市役所の一室に通され、午後から行事がある中貴重なお時間をいただき、担当者の方々に養父市の改革についてのレクチャーと質疑応答をしていただきました!

養父市は兵庫県北部の但馬地域のほぼ中央に位置し、平成16年(2004年)4月に八鹿町、養父町、大屋町、関宮町の4町が合併して誕生。令和6年(2024年)時点で人口は21275人、但馬牛や朝倉山椒、蛇紋岩米などの特産品を持つ国家戦略特区です。課題として「人口の減少」と「少子高齢化」、それによる「農業の担い手不足」と「耕作放棄地の増加」を挙げられ、国家戦略特区として中山間地域の農業改革のため様々な規制改革を行っているそうです。規制改革メニューとしては主に
① 農業委員会と市の事務分担による手続きの緩和
② 農業生産法人の設立要件の緩和
③ 企業の農地取得の特例
④ 農業への信用保証制度の適用
⑤ 農用地区域内に農家レストランを設置
⑥ 古民家への旅館業法の適用除外
⑦ 高年齢者等の雇用の安定に関する法律の特例
⑧ 特定非営利活動法人(NPO法人)の設立手続きの迅速化
⑨ 過疎地域等での自家用自動車の活用拡大
⑩ テレビ電話による遠隔服用指導

と10個あり成果も見られるそうです。そして、レクチャーの後、ゼミ生からの質問に答えていただきました。


〈参加企業と地元農家の関係は?〉
もちろん市役所もいきなり企業が参入することに少なからず反発、抵抗感が生まれることは予測していたため地元農家に何度も説明会を開き、また企業へは放棄される農地を優先的に譲渡する、ということで理解を得る努力を惜しまなかったそうです。また、この質問に続き、「企業参入によって農地不適正になったような問題が起こったことはあったか」という質問がありましたが、企業が目的を達成できず撤退したことはあったが農地不適正になるような問題は起こっていないそうです。


〈農あるライフスタイルとは?〉
養父市は規制改革と同時に「農あるライフスタイル」をスローガンとしている。だが、実際に農あるライフスタイルとはどういったライフスタイルなのか?この質問に対し職員の方々は、例えば移住者への移住先の土地、家屋の提案の際、農地が付属している空き家を紹介する、という例を挙げていただきました。移住者が農家であれば比較的すばやく農業をはじめることができ、農家でなくてもちょっとした家庭菜園をはじめる、というライフスタイルを提案。これが「農あるライフスタイル」であり、また耕作放棄地を減らすことにも貢献しているそうです。


〈国家戦略特区は失敗か成功かどちらだと思いますか?〉
まだ失敗か成功かは判断ができない。いち早く国家戦略特区に志願し、認定を受けたことで中山間地域の農業の改革を目指して試行錯誤しているが、成果が出たものがあっても未だ道半ばであり、判断を出すにはまだ早い、と答えていただきました。


以上、ゼミ生からの質問及びそれに対する回答でした。ゼミ生一同、勉強の機会をいただくと同時に担当職員の方々に丁寧に対応していただいたことに深く感謝しました。

【2日目午後 ~Amnak取材~】

午後は市役所から場所を変え、法人企業であるAmnakの本社に足を運び、取材をしました。 株式会社Amnakは、養父市が国家戦略特区に指定された2014年に、いち早く農業参入を行った企業であり、現在も養父の土地で、お米をはじめとした様々な農産物の生産を行っています。今回はAmnakの代表取締役である藤田彰さんに取材をし、現代農業のリアルを、様々な視点から語っていただきました。


〈企業の農業参入と地域住民の軋轢〉
国家戦略特区に指定された養父市にて、実際に企業が農業参入することに対して、地域住民はどう思っているのでしょうか?この質問に対し、市役所から得た回答では、やはり一定数の住民は良く思っていないのが実情でした。それもそのはず、最近まで、村社会というローカルなコミュニティで家族経営的に営んできた農地に、いきなり外部の人間が○○ヘクタールもの農地を買い占めていることに、不信感を抱かないはずがありません。こういった村参入における厳しい課題がある中で、Amnakの藤田さんは、村に馴染んでゆく為の施策として、その地域の重鎮(お偉いさん)を一旦、自社の代表取締役に任命したのです。村の中で影響力のある人間が、株式会社Amnakという看板の下に従事しているとなれば、自然とAmnakに対する不信感は解消されるし、同時に、地域住民の不平・不満の受け皿的な役割も担う事で、会社自体が徐々に村へ浸透していく事を可能にしたのです。これは地域住民の心理を逆手に取った、非常にクレバーな手法です。話を伺う中で、藤田さん自身のビジネスマンとしての才や、決して綺麗事を語るのではなく、お金儲けの為だという潔い語り口が、とても魅力的であり、どんどん話に吸い込まれていきました。


〈外国人雇用の挑戦と不安〉
私達がAmnak本社の方にお邪魔してから、程なくして、4名の従業員の方が作業を終えて、本社の方に戻ってきて、私達に快く挨拶をしてくださりました。彼らは、特定技能1号を保有する外国人雇用者であり、ミャンマーから日本へ移り住み、Amnakで仕事をしています。特定技能1号とは、特定産業分野に属する相当程度の知識又は経験を必要とする技能を要する業務に従事する、外国人向けの在留資格であり、熟練度が上がると、特定技能2号に昇格し、完全正規雇用者としての資格を得ます。ではなぜ、日本人ではなく、外国人雇用なのでしょうか。この点についても、現代農業ならではのリアルなお話を伺うことができました。なぜ日本の農業市場において、日本人ではなく外国人を雇用するのか――その背景には、いくつかの現実的な事情がありました。
まず、日本人を雇用しても、すぐに辞めてしまうケースが非常に多いのが現状です。その理由としてはさまざまなことが考えられますが、その一つに働き方の多様化があります。 現代では、Uberのドライバーやタイミーなど、働き方の選択肢が数多く存在します。その中で、わざわざ体力を使い、天候に左右される農業という職を選ぶ人はかなり少ないのです。

Amnak社の代表・藤田さんも、「自分の指導力が足りないのか、あるいは他の理由なのか分からないが、今まで雇った日本人はすぐに辞めてしまった」と語っています。一方で、ミャンマー人のような外国人労働者に目を向けると、事情は異なります。ミャンマーの経済状況は決して良好とは言えず、日本で稼いだお金は祖国では約9.5倍の価値を持つとされています。このような背景から、日本での出稼ぎはミャンマー人にとって非常に魅力的な選択肢となるのです。その結果として、ミャンマー人労働者は収入に対する満足度が高く、それが仕事の継続率の高さにも繋がっていると言えます。農業の現場では、このような安定した人材の確保が大きな課題となっており、外国人労働者の存在は非常に貴重なのです。勿論、外国人を雇用するにあたり、様々な葛藤はあったと藤田さんは語ります。まず大きなハードルとなったのは、経費の問題です。外国人を雇用する際には、生活環境を整えるための社宅の用意、各種手続きなど、初期費用だけでもおよそ200万円が必要であったといいます。さらに言語の壁という課題もあります。藤田さんは、ミャンマー人の方とのコミュニケーションにおいて、簡単な意思伝達は対話形式で、複雑な内容になると翻訳アプリを介して行っていました。このような状況下で教育を行っていくのにかなりの労力を要したのは、容易に想像できます。しかし、そうした課題を抱えながらも、藤田さんは、今のところ外国人を雇用したことには満足していると語っていました。コストや手間、言語の問題を差し引いても、それ以上に安定した労働力の確保が、継続的な農業経営において大きなプラスとなっているのです。


〈JAにお世話になると自身の足腰が弱る〉
Amnak代表・藤田さんにお話を伺う中で、特に印象的だったのは、JA(農協)との関係をあえて持たないというスタンスです。その理由について藤田さんは、「大きな団体に頼ることで得られるサポートは確かに大きいが、それに依存してしまうと、自身の“足腰”が弱り、経営者としての力が鈍ってしまう」と語りました。つまり、あえて自立した道を選ぶことで、自分自身の経営力を磨き続けてきたというのです。また、近年注目されているスマートアグリ(無人農業機器)の導入についても見解を伺いましたが、「中山間地域ではスマートアグリの活用は難しい」と藤田さんは話します。地形的制約から、効率的に機械を使うことができず、最終的には人の手による農業が欠かせないというのが、養父市の現実です。
以上が取材の内容でした。取材を通じて感じたのは、「自分の手でAmnakを育ててきた」という藤田さんの強い誇りと信念でした。率直な言葉で語られる現代農業のリアルは、とても刺激的で、充実した時間となりました。

【3日目 丹波篠山観光】

〈丹波篠山城大書院〉
ゼミ合宿3日目、私達は丹波篠山を訪れ、歴史と文化に触れる一日を過ごしました。最初に篠山城大書院を訪れました。この大書院は1944年に焼失し、2000年に木造で復元されました。篠山城は、徳川家康が大名の財力を削ぐために築城を命じ、築城の名手・藤堂高虎が手がけたことで知られています。大書院に入ると、城全体のジオラマが展示されており、城の構造や配置を詳しく学ぶことができました。特に興味深かったのは、城の周囲に設けられた「犬走り」と呼ばれる狭い通路です。この犬走りは、建物の外壁周りに設けられる細い通路で、もともとは日本の城の敷地内で塀の外側にある垣までの狭いスペースを指し、犬が走れる程度の狭い幅にしたことが名前の由来とされています。しかし、篠山城の犬走りは、例外的に幅が広い作りになっています。これは、当時の徳川家康が大阪城の豊臣氏を意識して、わずか三か月という短期間で築城した為、犬走りを工事の資材を置くための場所として、やむを得ず広く設けたという説があります。

奥の畳の部屋には、市民から寄付された手作りの甲冑が展示されており、地域の歴史や文化への深い愛情を感じました。また、大書院の中央には「闇り(くらがり)の間」と呼ばれる、四方を襖で囲まれた独特な部屋がありました。調べてみると、この部屋は切腹の際に使用された場所であることが分かり、当時の武士の厳格な規律や覚悟を垣間見ることができました。


〈篠山市歴史美術館〉
篠山城を後にし、次に丹波篠山市立歴史美術館を訪れました。この美術館は、1891年に篠山地方裁判所として建てられ、1981年まで使用されていた日本最古級の木造裁判所を改装したものです。 館内には、城下町丹波篠山に伝わる刀剣や馬具、漆芸品、絵画などの美術品が展示されていました。また、日本六古窯の一つである丹波焼も展示されており、その歴史と特徴を学ぶことができました。
さらに、明治時代の裁判所としての姿を残す旧法廷が保存されており、実際の裁判官や検察官、被告人などの役割を体験できました。模擬裁判体験をゼミ生同士で行い、当時の法廷の雰囲気を肌で感じることができ、非常に興味深い体験となりました。


最後に、トヨタレンタカーに西宮北口店で解散し、2泊3日の合宿を締めくくりました。 養父市訪問では、農業特区としてのこれからの農業の在り方、現代農業の最前線を学ぶことが出来ました。また、丹波篠山城大書院や歴史美術館訪問を通じて、丹波篠山の歴史と文化を深く学ぶことができ、大変有意義な時間を過ごすことができました。