2020.12.14.
【原田ゼミ】3年生の図書館特別閲覧室での授業報告

 原田ゼミ3回生は、11/9と11/16の2回、大学図書館の特別閲覧室でゼミを行い、授業で扱った過去の経済学者たちの著書や、経済学史・思想史上の極めて貴重な書物を身近で閲覧した。

1.シュモラー『根本問題』、ザリーン『経済学史』その他のオリジナル、そしてスミス『国富論』、リカード『原理』、ミュラー『国家術』の初版本

渡部舜

 11/9には、私たちが共同論文「国民経済の総体把握のための経済学構想を求めて――G.シュモラー、W.ゾンバルト、E.ザリーン」で論じてきたグスタフ・シュモラー(1838~1917年)、ヴェルナー・ゾンバルト(1863~1941年)、エトガー・ザリーン(1892~1974年)の著書のオリジナルを閲覧した。さらに、なんと関学図書館所蔵の貴重書のなかでも超貴重なアダム・スミスの『国富論』の初版その他を見ることができたことは、誇りに思う。通常は絶対にありえない初版本の本物を見る機会であった。
 シュモラー『法および国民経済の根本問題』(1875年)は、下の写真左にある戸田武雄の翻訳(1939年)を京大との合同ゼミのための共同論文で使ったが、そのオリジナルが写真右である。生々しいのは、赤い線で消された鳥のスタンプだ。ハーケンクロイツの付いたキール大学図書館の旧蔵書印である。ナチス時代にはこんなところまで影響があったことが窺える。

 

 ザリーン『経済学史』(初版、1923年)については、私たちが共同論文で使ったのは高島善哉による翻訳(ザーリン『国民経済学史』1935年)であり、それは原書第2版(1929年)を底本にしているが、関学図書館は、写真のように原書の初版から第5版(1967年)までのすべてを有している。

 共同論文で述べたように、ザリーンはそこで過去の経済学を、文化・社会・思想などを包摂した総合的な広義の経済学と、分析的な狭義の経済学との2系列に分類して、自分が前者の立場だとしている。彼によれば、総合的な要素の多いアダム・スミスの『国富論』が出されたあと、ドイツのアダム・ミュラーの『国家術の諸要素』(1809年)も広義の経済学であったが、イギリス人デイヴィド・リカード(1772~1823年)の『経済学と課税の原理』(1817年)は狭義の経済学であった。これらの初版本を閲覧した。以下、スミス、ミュラー、リカードの主著の初版本を示しておく。
 スミス『国富論』初版(1776年)の本物は、なんと関学図書館には2つ(それぞれ上下巻)あるのである。タイトルページが次の2枚の写真であるが、ひとつめは上の写真、つまり無傷のタイトルページのもので、下部をよく見ると、出版年がローマ数字で “MDCCLXXVI” と書かれているのが分かる。もうひとつの方が、下の、タイトルを拡大した写真で、その左上には毛筆での河上肇(1879~1946年)のサインがあり、彼の旧蔵書であることが分かる。河上は戦時中にマルクス経済学を研究し、治安維持法で獄中に入った京大経済学部の教授であった。

 ミュラー『国家術の諸要素』の初版(1809年)。ひげ文字で読みづらいが、”Die Elemente der Staatskunst”と綴られている。宗教や歴史を含んだ典型的な広義の経済学である。原田教授がミュラーを研究していることは言うまでもない。

 リカード『経済学と課税の原理』初版(1817年)が下である。これをどう日本語に訳すかだが、 “OF”がどこまでかかっているのか、 つまり“POLITICAL ECONOMY”までか “POLITICAL ECONOMY, AND TAXATION”までか、について未だ論争中のようだ。前者だとすると「経済学の原理、および課税」ということになる。ちなみにリカードといえば、経済学部の久保真教授が研究されている。

 その他、共同論文で扱ったゾンバルト『経済生活の秩序』の初版(1925年)と第2版(1927年)も閲覧したが、これは報告のみにとどめておこう。以上のように、今回のゼミで、私たちは、もう一生拝めないであろう非常に貴重な図書をふんだんに見る機会を得ることができた。原文を閲覧することで当時の時代状況や背景、経済学の捉え方を知り、実物でもって、リカードの狭義の経済学やアダム・ミュラーの広義の経済学を確認できた。関西学院大学図書館にこれほどの書物が所蔵されていることは、自慢でき、誇りにすることができると思う。
 スミス『国富論』を真ん中に、上にミュラー『国家術の諸要素』、下にリカード『原理』、という3つの初版本を前にした集合写真でもって、この私の報告を閉じたい。

2.ルター訳『聖書』、宗教改革三大文書のオリジナル、そしてジョン・ロックの『統治二論』、『知性論』、『キリスト教の合理性』の初版本

小笠原彩華

 11/16のゼミでも前回に続いて貴重図書を閲覧する機会を得ることができた。今回はマルティン・ルター(1483~1546年)とジョン・ロック(1630~77年)の著作のオリジナルを見た。
 ルターの著作は昨年度に「ルターと宗教改革コレクション」として収蔵されたものがほとんどであるが、しかもコレクションのお披露目の講演会がコロナ禍で流れたから、私たちがなんと一番最初に見ることになった。下の写真は、関西学院130年歴史のなかで初めて収蔵された本物のルター訳『聖書』を囲んでの記念写真。コロナ禍のため、逆に光栄な役回りが私たちに来たが、撮影はマスク姿になってしまった。

 このルター訳『新約聖書』(1530年)は、ルターの『聖書』翻訳作業の歩みのなかで言えば、彼が最初に『新約聖書』のみを訳し出版するのが1522年で、それからそのヴァージョンアップと、『旧約聖書』の翻訳作業とを進めて、1534年になって初めて『旧約・新約聖書』を出すことになるので、『新約』単独版としてはかなり練られたものだと考えられる。その挿絵には、ルターの有名な肖像画を描いたドイツ・ルネサンスの画家ルーカス・クラナハ(1472~1553年)によるものが含まれている。

ルター訳『新約聖書』(1530年)のタイトルページ
“Dae Newe Testament Mar Luthers, Wittemberg. M.D.XXX.”
(出版年の“M.D.XXX”はローマ数字で「1530」)

 この『新約聖書』で、「ヨハネによる福音書」の冒頭を詳しく見てみた。そこには有名な章句「最初に言葉がある。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。」がある。「最初に言葉があった」は、人々は何よりもまず福音書そのものを読んで信仰すべきであり、そのために誰もが読めるように――ラテン語やギリシャ語ではなく――『聖書』を庶民の言葉(ドイツ語)に訳さなければならない!と力説して自ら訳したルターの思想からして、彼にとって重みがあったにちがいない。ドイツ語で “I”が飾り文字となって“Im anfang war das wort”と記されているのが分かる。“anfang”が「最初」、“wort”が「言葉」である。

「ヨハネによる福音書」の冒頭

 ルターの『キリスト教界の改善について――ドイツ国民のキリスト教貴族に宛てて』(初版、1520年)、『教会のバビロン捕囚について』(初版第2刷、1520年)、『キリスト者の自由について』(初版、1520年)というルターの宗教改革三大文書のオリジナルも閲覧した。以下、タイトルページである。このうち最初の『キリスト教界の改善について』以外は、2019年度の「ルターと宗教改革コレクション」で収蔵された。

『キリスト教界の改善について――ドイツ国民のキリスト教貴族に宛てて』(初版、1520年)

『教会のバビロン捕囚について』(初版第2刷、1520年)

『キリスト者の自由について』(初版、1520年)

 

 いずれも1520年刊の恐るべきオリジナル本であるが、それに加えて、1520年にルターが教皇庁からの破門勧告書を破り捨てて公然と抗議した――学生とも盛り上がった――ときに書いた『嫌悪すべき反キリスト教的勅書に抗して』(初版、1520年)も閲覧した。宗教改革は1517年とされているが、それはルターが「95か条の論題」を貼り出して改革を開始したときであって、闘いは続き、今からちょうど200年前の年にこれらが出されたことは、感慨深い。その他、自由意志をめぐってエラスムスと論争した『奴隷意志について』(初版、1525年)も見た。
 さて、10月にオンラインで行ったわれた京大の竹澤ゼミとの合同ゼミにおいて、先方からジョン・ロックについて「ロック『キリスト教の合理性』及び『人間知性論』における「理性」と「信仰」について」というテーマの発表があったが、この11/16の図書館特別閲覧室のゼミで、竹澤ゼミがそこで使っていたロックの作品のオリジナルを実際に見ることができ、非常にうれしかった。おもに表紙を詳しく見たのであるが、なかには出版年がローマ数字で書かれているものもあって解読に少し苦戦もしたが、それも古い図書ならではの貴重な経験となった。
 ロック『統治二論』(初版、1690年)は、初版を実際に見ることができた。一般的には『統治二論』と訳されているが、実際のタイトルは “TWO TREATISES OF Government: […] The latter is an ESSAY CONCERNING THE TRUE Original, Extent, and End OF Civil Government.” となっている。ひげ文字にも慣れていないため、タイトルひとつ読むのも大変だった。

『統治二論』(1690年)

 ロック『人間知性論』(初版、1690年)、『キリスト教の合理性』(初版、1695年)は、以下のとおり。

『人間知性論』(初版、1690年)

『キリスト教の合理性』(初版、1695年)

まとめ

小笠原彩華(ゼミ長)

 貴重図書を2回の授業にわたって閲覧することができ、今後の研究に向けて、あらためてモチベーションを高める良いきっかけなった。読むことは難しいが、オリジナルを見て感じられる歴史を体感することができた。
 貴重図書を準備してくださった特別閲覧室の井戸田史子さん、ならびにプロジェクターなどの設定をしてくださった経済学部資料準備室の斧田真理子さんと宮本公郎さんに、心からのお礼を申し上げたい。