2021.08.02.
【原田ゼミ】3年生の京大竹澤ゼミとのオンライン合同ゼミの報告
はじめに
今坂優志
2021年6月26日、京都大学経済学部の竹澤祐丈ゼミとの合同セミナーを実施した。当ゼミの恒例行事となりつつある竹澤ゼミとの報告会であるが、長引く新型コロナウイルス感染症の影響を受け、今年度も昨年度と同様Zoomでの実施となった。
緊迫した空気が流れるなか昼下がりに開幕した同セミナーであったが、途中議論が白熱したため、予定時間を延長し約4時間半に及ぶ報告会となった。
上のプログラムにもあるように、第一部では、はじめに簡単な自己紹介と開催の趣旨説明のあと、第二部においてまずは我々原田ゼミが報告をさせていただいた。
原田ゼミの発表
今坂優志
我々は19世紀前半のドイツ経済思想についての報告をさせていただいた。このテーマは昨年の7期生結成以来、いくつもの授業を通して学習してきた内容であり、今回執筆した共同論文はこれまでの学習の集大成とも言える。
ゼミ生のそれぞれがドイツ観念論、ドイツ古典派、ドイツ・ロマン主義、フリードリヒ・リスト、初期マルクスに分けて彼らの多様な経済思想を説明し、それとともにそこに隠された現代的意義の説明を行った。
自律した個人による社会形成のために人は経済的にも安定していないといけないとして、それを攪乱する外国貿易をやめる必要があることを説いたドイツ観念論(フィヒテ)は、現代のグローバル化が生計を脅かす事態への警鐘をすでに鳴らしていたと言える。ドイツ古典派の社会的・客観的な使用価値論は、コロナ禍状況で生命・生活とそのための財の供給を重視すべき今日、見直すべきところがあるのではないか。ドイツ・ロマン主義の世代間倫理は、現代社会が持続可能な社会を目指していこうとするうえで、貴重な示唆となるであろう。フリードリヒ・リストの保護貿易による後発国の産業化と拡張主義の思想は、現代中国の拡張政策に似たものがあるのではないか。先進国のアメリカが保護貿易までして中国を対立するのは、リストの列強間の争い・均衡という構図に対応するのではないか。派遣労働者や非正規雇用が増えるなかで、雇い主が労働者を搾取しているのではないかと思われる今日、マルクスの「疎外」論は先見の明があった。以上のような意味で、それぞれの現代的な意義があるのではないだろうかと我々は考えた。
約40分にわたる発表を終え、質疑応答の時間には数々の質問やご指摘を頂いた。しかしながら納得していただける回答をできたのはほんの一部であり、ゼミ長である私は自らの勉強不足を痛感することとなった。特にそれぞれの分野の繋がりや現代的意義の再考は今後のゼミ活動におけるひとつの課題である。同セミナーで浮き彫りとなった問題を糧に今後のゼミ活動に取り組んでいきたいと思う。そうした課題を発見できたという点においても同セミナーの意義は大きかったと思う。
竹澤ゼミの発表
李依妮
竹澤ゼミの方々は、「情報氾濫の時代において古典とどう向き合うか」というテーマで、内田義彦の『読書と社会科学』や加藤周一の『読書術』の内容にもとづいて発表された。発表では、「新しい本や学説がどんどん」出て、インタネットで「新しいたくさんの情報に簡単にアクセス可能」になる時代を生きる私たちは、いかに古典で「概念装置」を獲得し必要な情報を素早くつかみ取るかについて述べられた。
さて、はじめに陸君彦さんは第一章「情報氾濫の時代なのになぜ古典を読むの?」と第二章「概念装置とは何か?」についての発表をされた。そこでは、古典を読むことを通じて「概念装置」を入手することが重要視された。というのは、「氾濫する情報は、自分を押し流すだけで、自分の情報になってこない」ため、私たち一人ひとりは「概念装置」を媒介として、「情報を見る眼の構造を変え、情報の受けとり方、何がそもそも有益な情報か、有益なるものの考え方、求め方を——生き方をも含めて——変え」なければならない。 では、「概念装置」とはいかなるものだろうか。それは「先人たちのモノの見方=社会認識の手段であり、それを伝える手段」であると解釈され、「過去の思想家たちが当時の社会問題を浮き上がらせるために作った社会認識の手段たる」このような概念装置は、「現代の私たちの社会を捉えるにも有用」である。
ついで、千葉更紗さんと山崎翔太さんは第三章「概念装置の身につけ方」と第四章「古典を読もう!」についての報告をされた。
そこで、古典を深読みすること、古典を個性的に読むこと、および自分の読みを他人と意見交換することが強調された。その三つのことをしっかりすれば、私たち誰でも自分なりの「概念装置」を手に入れることができると考えられる。
そして、ゆっくり繰り返して古典を読んで概念装置を獲得する私たちは、ものの見方を変え、情報に流されることなく社会を捉えられると考えられる。ただし、その場合大事なのは「焦って何冊もの本を読み漁るのではなく、一冊の古典を人生の中で何度も読むこと」である。
このような竹澤ゼミのみなさんの発表内容はたいへん面白く示唆に富むので、発表後の質疑応答の際に、両ゼミの皆さんのあいだに議論が盛り上がり、原田ゼミ一同も、これから原田ゼミで古典を読みながら、自分独自の概念装置を作り上げようと思った。