2015.08.04.
「われら関学経済人」 村上 一平 さん

【卒業年月】  1967年3月
【名  前】  村上 一平 (ムラカミ イッペイ)
【年  齢】  70歳
【出身高校名】関西学院高等部
【基礎演習名】 加藤秀次郎 ゼミ
【研究演習名】小寺武四郎 ゼミ
【勤務先】  (株)日清製粉グループ本社 特別顧問

※ 本ページの内容は2015年8月現在のものです。

これまでどんな仕事をしてきましたか?

1967年に日清製粉(株)(現日清製粉グループ本社)に入社以来一貫して本社の経理、財務業務に従事。1995年取締役就任以後企画部門も担当。その間、資金調達、資金運用、決算、税務、短期・中期経営計画、広報、M&A等の実務、取り纏めを担当。

経済学部ではどんな学生でしたか?また、どんなことを学びましたか?

小寺教授は学問に向かう姿勢として常々ゼミ生に対し、自らの主義主張や思想によって学問の幅を狭めることがないようにと教えられました。主義や思想は学問の対象であるが、学問は主義、思想ではないと説かれました。経済学という社会科学を学ぶ学生に科学であるための論理性、普遍性の大切さを教えられたと理解しています。このことは後に社会人となり、経理・財務、企画等を担当することになった時、様々な提案書、企画書作成に際し、折に触れて思い出され、その結果、視点を広げ、提案等の幅を広げることが出来たのではないかと考えています。  しかし一方で中学部以来グリークラブに所属していたことから学生生活の大部分はグリークラブ中心で、成績は「そこそこ」であったものの、「経済学部の学生」としてはやや悔いの残る学生生活であったと言わざるを得ません。与えられた場所において本来やるべきことは何か?という問いを社会人になってから遅ればせながらではありますが、自らに問いつつ業務に従事してきたのは逆説的ではありますが経済学部での学びの成果であるのかも知れません。

今の経済学部生にメッセージをお願いします!

何をするにしても自らの頭で考えることが大切です。考えの深さや幅は気にすることはありません。それこそ自ら考える「くせ」を付ければ自ずと付いてくるものです。このくせを付けない限り、他人の意見を評論できても自らの意見を構成することはできません。その結果、付和雷同型人生を送ることになります。長い人生の間には自らの意見に沿わない場合でも従わざるを得ないことはしばしばあります。しかしそれが自分で考えた意見であれば忘れることはなく、何時かその立場に立った時、実現することが出来ます。やや言い過ぎかもしれませんが、その時になって忘れてしまっているようであればそれは大した意見ではなかったのです。

これから経済学部を目指す高校生にメッセージをお願いします!

高校時代に、どの学部で何を学ぶのかを明確にすることは、ある意味“酷”かもしれません。私の場合は、在学中に段々とやりたいことが見えてきたので、いわば走りながら考えたパターンです。就職してからも、様々なニュースに翻弄されましたが、そこで取材を深めていったことで、より明確なビジョンを持てるようになったと思います。経済学は、人間の営みそのものですから、何にでも応用が可能なのが強みだと思います。私の卒業論文は「航空宇宙産業」=いわゆる「軍需産業」についての研究ですが、これは中学や高校時代に、核戦争の危険性について、いつもおぼろげながら考えていたことに由来しています。それを経済学的にみれば、どうなるのか・・・軍需産業は国と密接な関係がある産業ゆえに、国の予算として研究開発にお金をかけることができます。しかし、時として費用対効果が無視され「非合理性」が見て取れます。アメリカの場合は、軍需産業のロビー活動も活発で、政治と経済が深く関っています。例えば、アメリカが「イラクは大量破壊兵器を所持している(実際はなかった)」と強調するとき、その背後には一体なにがあるのか・・・危機をあおることで、誰が利益を得るのか?放送や新聞のニュースの裏や行間を読むには、やはり経済学的な考え方が必要になってきます。普段から疑問に思っていること・・・経済学はそのヒントをくれるかもしれませんね。