2014.04.02.
「われら関学経済人」 福永 芳子 さん

【卒業年月】 1989年3月
【名前】福永 芳子 (フクナガ ヨシコ)
【出身高校名】大阪教育大学附属高校池田校舎
【研究演習名】井上 琢智 教授
【勤務先】 Oil Lift Technology Inc.

※ 本ページの内容は2012年7月現在のものです。

これまでどんな仕事をしてきましたか?

卒業後からずっと会計関連業務に携わってきました。日本での会計事務所勤務後、アメリカ・コロラド州にてカルチャー・インターンシップとして半年間活動し、とりあえず使えるようになった英語と会計職経験を持って香港の日系企業に就職。香港事務所と中国工場の経理システム立上げ、監査法人対応、内部統制、原価管理システム改善、予算管理等々に携わり、非常に多くのことを学びました。充実した香港での暮らしでしたが、かねてから北米上陸の夢があり、1996年にカナダへ移住しました。広いカナダで仕事も住む場所も全て一からという不安だらけの状況をくぐり抜け、仕事の縁が与えられたアルバータ州カルガリーに住んでいます。現在勤める会社では、経理財務・管理会計から人事、総務までの業務を一括担当しています。離れた場所にある別の生産拠点に向かうため、まるで空に向かって一直線に延びるような大平原のハイウェイを車で走る時、カナダで仕事しているんだなぁ、ということを実感します。

経済学部ではどんな学生でしたか?また、どんなことを学びましたか?

経済学部にまだ女子学生が少なかった時代です。同じ学年の女子学生は22名だけ。1年生から4年生までを通して、多くの講義クラスで紅一点になることが多く、男子学生に囲まれて非常に居心地良く過ごしました。男性社会の中にあっても伸び伸びと生きていく基盤は、この時作られたような気がします。 現在は仕事でもプライベートでも英語を使っていますが、在学中は英語どころか外国に全く興味がありませんでした。教養課程での英語経済書講読では、その内容を理解する以前に英語が理解できず四苦八苦した記憶があります。一方、数学は好きで会計にも興味があったため、商学部で講義されていた会計学基礎や監査論も選んで受講しました。3・4年生でのゼミでは、厳しいながらも優しさと柔軟な考え方に溢れる井上琢智教授のご指導のもと、経済学史のみに留まらない広範囲における自由な議論や研究を通して、多角的視点や論理的思考を身に付けることができました。

今の経済学部生にメッセージをお願いします!

将来自分が何をしたいのかが今わからなくても、心配することはありません。たとえ、それがわかっていたとしても、更に先の将来どんな変化が起こるかわかりません。だから、変化に対応できる柔軟性と多少のリスクをとってでも何かに挑戦する精神を持ってください。勉強でも仕事でも、やりたくないこともやってみれば何か発見があるかもしれません。 経済学は実社会に密着しています。学部の教室で学んでいる時にはピンと来なかったことでも、仕事をする中で或いは家計を切り盛りする中で、実体験として繋がってきます。ゼミでの自由な議論や研究は、実社会に対する広い視野や論理的思考、分析力を養ってくれます。卒業して社会に出て、そして国外へ出て私自身強く感じています。関学卒業生で良かった、経済学部で良かった、と。経済学部で学べることに誇りを持ってください。たくさんの先輩方が世界中で活躍しておられます。皆さんも、そんな先輩方にどんどん続いていってください。

これから経済学部を目指す高校生にメッセージをお願いします!

夏休みにお手伝いをしてお小遣いをもらったら、その労働の対価としてのお金をどのように遣いますか?欲しかったゲームソフトを買って、残りは貯金して・・・など、考えると思います。一つ売ったらその5%が自分の収入になるアルバイトをやっていたとしたら、限られた時間内に一つでも多く売るにはどうしたらよいか、を考えますよね。それが企業という単位になっても同じです。売上で得たお金をどのように遣うか、生産性や売上を効率よく上げるにはどうしたらよいか等を考えて行動し、その結果を得ます。そのような個人や企業が集まって国となり、複数国が集まるとアジアだとか欧州になり、そして世界になります。身近な経済活動から世界経済まで視点を小さくしたり大きくしたりすることで、経済学部では幅広い視野を養うことができます。あと蛇足ですが、母国語である日本語を大切にしてください。私は海外で生活して初めて日本語の大切さと素晴らしさに気付きました。母国語がしっかりしていれば、外国語もコミュニケーション手段として有効に活用できると思います。