2018.12.20.
2018年度講話会を開催しました

12月9日(日)関東講話会 開会の挨拶

12月9日(日)関東講話会 開会の挨拶

去る12月9日(日)に東京国際フォーラムで、12月12日(水)に関西学院大学西宮上ケ原キャンパス図書館ホールで、2018年度講話会を開催しました。
東京では約50名近くの方にお越しいただき、関学では平日の午後にもかかわらず、約30名のご参加を得ることができました。

まず第一部では、ギャロデット大学ソーシャルワーク学科学科長の高山亨太先生から、「ろう者学(Deaf Studies)と文化的対処能力(Cultural Competence) - ろう者を医学的視点ではなく言語文化的視点から捉えるということ -」というテーマで講演をいただきました。

ギャロデット大学ソーシャルワーク学科学科長 高山亨太先生

ギャロデット大学ソーシャルワーク学科学科長 高山亨太先生

ろう者を理解するときに、必ずついて回るのが、「耳が聞こえない」ことから来る「医学的視点」です。これによりマジョリティ集団の聴者から、「欠損者」「障害者」というスティグマ(烙印)を押され抑圧されてしまうことがあります。これは、高山先生が引用された、Holcomb先生提唱の例をお借りすると、「コップに水が半分“しか”入っていない」という見方です。
一方で、手話という言語を持ち、独自の文化や価値観を持つ「言語的文化的視点」も可能です。これは、「コップに水が“半分も”入っている」という見方です。ろう者と聴者はお互いが「違う言語と文化を持った人たちだ」という対等の立場に立てたら、先のスティグマ問題を解消出来る可能性が見えてきます。異なる視点に立つと、その物事の全く違う面が見えてきたりします。医学的視点だけに囚われるのではなく、その他の視点、つまり文化的なとらえ方も身につけると私たちの視野は大きく広がっていきます。この点は、ソーシャルワーカーなど支援に携わる立場の人にとっては欠かせないスキルになります。これが、講演のメインテーマともなる「カルチュラル・コンピテンス(文化的対応能力)」ということになります。

ろう文化と聴文化の説明をされる高山先生

ろう文化と聴文化の説明をされる高山先生

「カルチュラル・コンピテンス」とは、高山先生のスライドをお借りすると、「異文化間の支援場面において効果的に対応できる能力(全米ソーシャルワーカー協会)」と定義されています。これは誰もが身に着けることができるスキルですが、そのためにはまず自分のことをよく分析することが大事だと言います。例えば、マジョリティ集団である聴者は、おそらく「聴者とは?」という疑問を持つ機会があまりなかったでしょう。しかし、マイノリティ集団のろう者を知るためには、まず自分自身が聴者であることをしっかり見つめなければなりません。色眼鏡を外し、よく分析をする。そして理解ができたら続いてろう者のコミュニティ、行動、価値観、言語を理解し、その違いを踏まえて対応していく。これが「カルチュラル・コンピテンス」であり、ソーシャルワーカーとしてに求められる能力であると高山先生は述べられました。

カルチュラル・コンピテンスについて分かりやすくお話しいただきました。

カルチュラル・コンピテンスについて分かりやすくお話しいただきました。

そのカルチュラル・コンピテンスを身に着けるための一つの手段として、続いて出てきたキーワードが、「Deaf studies(ろう者学)」でした。アメリカには黒人学や女性学といった学問があるのですが、それと同様にろう者学、という学問が存在します。日本ではまだあまり馴染みのない言葉ですが、欧米ではすでに1980年代から存在している学問だそうです。ろう者学に関する様々な理論があるなかで、ご講演の中では「Audism(オーディズム:聴能至上主義)」に特化してお話をされました。このオーディズムというのは、「聞こえることが優れていることを前提とした差別や抑圧」のことを指します。カルチュラル・コンピテンスを身に着けていくことで、文化的多様性の尊重をもたらし、植民支配に例えられるような関係(優劣、支配・被支配)からの脱却につながっていくのではないか、ということでした。

最後に、Yosso(2005)という黒人学専門の研究者が掲げた理論をろう者学に応用し、「Deaf Community Cultural Wealth(ろうコミュニティの文化的資源)」のモデルを提示されました。これは、ろうコミュニティの先人から受け継いできたもので、①言語(バイリンガルによって得られる知的・社会的スキル) ②人とのつながり(ろうコミュニティのネットワーク) ③帰属意識(ろうコミュニティに所属し、それによって得られる文化的知識) ④切り抜ける力(差別に対抗するために社会制度を活用するスキル) ⑤向上心(ろう者として将来への希望) ⑥レジリエンス(差別にめげない気持ちと行動力) の6つの文化的資源が存在します。これらがろうコミュニティ内で培われれば、オーディズムという、聴覚優位の考え方も打破できる、ということをおっしゃって講演の締めくくりとされました。

高山先生(左)、モデレーターの原順子先生(中央)、松岡研究員(右)

高山先生(左)、モデレーターの原順子先生(中央)、松岡研究員(右)

続いて第二部の対談には四天王寺大学人文社会学部人間福祉学科教授の原順子先生をモデレータとしてお迎えし、高山先生と当センターの松岡研究員との間で質疑応答と意見交換が行われました。

まず、松岡研究員が「ろう文化やろうコミュニティに属するのは誰なのでしょうか」という質問を投げかけられ、高山先生からは、1980年にBaker & Cokely が提唱した「ろうコミュニティのメンバーになり得る4つの要素」が紹介されました。それによると、1)聴力的側面(聴こえない、聴こえにくいこと)、2)政治的側面(ろうあ運動や、手話サークルのメンバー、ろう者のクライアントを持つ専門家など)、3)社会的側面(CODAなど)、4)言語的側面(手話を使用するということ)に分けられ、このどれかに属する者はすべてろうコミュニティのメンバーであるという考えです。ろう文化・ろうコミュニティのメンバーシップについては様々な考え方があること、4)の立場に従えば、この講話会にお集まりいただきました手話通訳の方も含めて、皆様は全員、立派なろう文化・ろうコミュニティのメンバーであると言えるでしょう。

ろうコミュニティのメンバーや、ろう文化について改めて考える貴重な機会を得ました。

ろうコミュニティのメンバーや、ろう文化について改めて考える貴重な機会を得ました。

次に、「コミュニティ」や「文化」の捉え方について議論が交わされました。コインに表と裏があるように、ろう文化があれば、聴文化があり、西洋文化があれば東洋文化が対になり、ディスエイブリズム(できないこと)文化があれば、エイブリズム(できること)文化が設定できます。大切なことは、こうしたとらえ方が、二項対立に陥りがちで、かつ対立する双方を単純視してしまいがちです。例えば西洋文化を持った人は対を見て「東洋文化を持っている人」と一括りにとらえがちですが、同じ東洋でもトルコ文化と日本文化には大きな違いがあるように、聴者側から見ている「ろう文化」も決して一括りにはできず、そこには多様性が存在することを知ることが大切であるという話がありました。コミュニティの中の多様性を認める視点は、「ろう文化」の中に生じがちな同化圧力への対抗論理にもなり得ます。また逆に言えば、ろう者から見ての「聴文化」も十把一絡げに扱えないという話にもつながっていきます。ろう文化・ろうコミュニティ論につきまといがちな、単純な二項対立をどう克服するかが問われてきます。

カルチュラル・コンピテンスについて更に掘り下げたディスカッションがおこなわれました。

カルチュラル・コンピテンスについて更に掘り下げたディスカッションがおこなわれました。

そして、講話会のメインテーマともなっている「カルチュラル・コンピテンス」について、高山先生の講演内容をさらに深く掘り下げるためのディスカッションが進められました。
ソーシャルワーカーは、ご想像通りほとんどが聴者です。「ろう文化」を知り、それに対するカルチュラル・コンピテンスを身に着けることは確かに大切ですが、一方で、身に着けたことにより、逆にろう者を「植民地支配」することに繋がる危険性もあるそうです。つまり、本国と植民地の関係に例えられる​ような、聴文化のソーシャルワーカー(本国)がろう文化のクライエント(植民地)を支援するという役割の固定化が生じるというものです。ソーシャルワーカーはそのことを自覚し、必要に応じてろうのソーシャルワーカーにゆだねるなど、適宜対応することも含めて、カルチュラル・コンピテンスと言えるのではないか、という話が松岡研究員からありました。
そして、高山先生からは、その逆もあるという指摘がありました。例えば、人工内耳に対して反対意見を持つのろうのソーシャルワーカーがいたとします。ある日、人工内耳を考えている、ろう児を持つ聴者の親をカウンセリングすることになったとした時に、もし自分の考えを押し通してしまうような関係が続くようであれば、ろう者が聴者にクレームをつける、あるいはコントロールするという意味で逆の植民地化現象が生じてしまい、そこには真の意味でのカルチュラル・コンピテンスは存在しない、というお話でした。

各コミュニティがカルチュラル・コンピテンスを身に着けるには

各コミュニティがカルチュラル・コンピテンスを身に着けるには

続いて、松岡研究員より、日本のソーシャルワーカーがカルチュラル・コンピテンスを身に着けていくには、何が必要だと思うか、という問いが出されました。高山先生の見解では、決して相手の文化や宗教の違いを知るだけでは足りず、また、経験の有無もそんなに関係ない。クライアントにその場でどう反応するか、どう対応するか。そこが大事である、ということでした。
そして、「いくらソーシャルワーカーがカルチュラル・コンピテンスを身に着けたとしても、地域社会がカルチュラル・コンピテンスを身に着けていないと、実践の成果を得るのは難しいのではないか」という問題提起がありました。確かに、専門家からまずは個々へ、そして個々が帰属する地域へ、文化へと浸透していかなければ、本当の意味でそのコミュニティが「カルチュラル・コンピテンスを身に着けた」とは言えないでしょう。

最後に、松岡研究員から、地域がカルチュラル・コンピテンスを身につけとすれば、それはどのような地域社会が考えられるかというオープンクエスチョンがありました。1つは、違う文化が存在していることは認め、それを尊重するが、他文化とは関わらないし、相手を知ろうも思わないという地域社会。もう1つは、ちょうど国際的なスポーツチームのように、異なる民族、人種、宗教、文化を持った人たちが自分たちの文化を大事にしつつ絶えず相互依存しあい、時には対立、葛藤を抱えながらも、相互尊重しあうような地域社会。どちらが望ましいのか?受け入れ、同化、共生、排除・・・・。日本でも障害者と言われる人たちだけでなく、今後外国人労働者や移民の人たちをどんどん受け入れる側になっていくことは目に見えています。その時に、ろう文化も含めた真の文化的多様性を実現できるためのカルチュラル・コンピテンスが問われるのかもしれません。

ご登壇くださった高山先生、原先生、松岡研究員、ありがとうございました。
また、手話通訳および要約筆記を担当くださった皆様、長時間にわたる素晴らしい情報提供サービスにこころより感謝いたします。
何よりも長時間のプログラムに最後まで耳を傾けてくださった参加者の皆様にお礼を申し上げます。ありがとうございました。

なお、講話会の内容は報告書としてまとめ、後日全文をHPにアップいたしますので、どうぞお楽しみに。

2018年度、手話言語研究センターの事業は残るところ、あと1つです。
近々案内を掲載いたしますので、そちらもお見逃しなく。