2021.07.27.
2020東京オリンピック開会式に思うこと

2020東京オリンピック開会式に思うこと
松岡  克尚  人間福祉学部教授   手話言語研究センター長

 いよいよ東京オリンピックが始まりました(パラリンピックは8月24日開始)。コロナ禍の下、大会の開催について様々な意見がありますが、アスリートの活躍にはこころからのエールを届けることができればと思います。  
 さて、恐らく皆さまもそうではないかと思いますが、開会式をテレビで視聴していて気になるところがありました。 テレビでは「手話の存在」が全く見られなかったことです。
聞けば、事前に、全日本ろうあ連盟からの要請があり、開会式会場のモニターには手話通訳のワイプがついていたとのことです。したがって、全く手話のことが無視されたわけではなさそうです。しかし、そもそも無観客での実施になったのであれば、なおさらテレビで視聴するであろう、サイナーのために手話通訳をテレビ上でも放映すべきではなかったかと思います。確かに、字幕がついていたのである程度はカバーできたかもしれません。ただ字幕だと、日本手話を母語とするサイナーの方には、リアルタイムで会場の熱気の中に入っていけません。
 そもそも今回の東京オリンピックのテーマの1つには「多様性と調和」があります。実際に選手入場の際に、国旗を掲げる選手はジェンダー上の偏りがないように工夫されていました。そのことは評価できるものであると思います。 ただ「多様性」をいうのであれば、テレビの上とは言え、手話の存在を見え無くしてしまっていたのは、ただ残念ですし、遺憾としか言いようがありません。
 台湾、韓国やカナダなどのテレビ中継では手話通訳がちゃんと「見えていた」そうです。他国・地域ができて、なぜそもそも開催国ができないものなのでしょうか。
 コロナ禍の下でスタートした東京オリンピックですが、聴者としてもろう者と共に楽しむ機会が奪われた感があり、オリンピックの意義に水を差されてしまったのは残念です。
 せめて閉会式、そして東京パラリンピックでは、テレビで「手話が見える」ことを期待する次第です。