2025.04.02.
言語の多様性について考える
言語の多様性について考える
今西祐介 総合政策学部教授 手話言語研究センター副長
前回の コラム において希少言語や言語の多様性について触れましたが、昨今の国内外の動向を踏まえてもう少しこれらのテーマについて考えてみたいと思います。北海道札幌聾学校に関する札幌地方裁判所の昨年5月の判決を受けて本センターは教員有志一同で 見解 を示しました。手話言語を含めた日本国内の希少言語について改めて考えさせられる出来事でした。
米国では去る3月1日に、ドナルド・トランプ大統領が英語を唯一の公用語とする 大統領令 に署名をしました。連邦政府レベルで英語が公用語に指定されるのは米国史上初めてのことになります。この大統領令はビル・クリントン大統領(当時)が2000年に署名した大統領令( Executive Order 13166 、EO13166)を覆す内容となっています。EO13166は、各連邦政府機関に対して、英語能力が限られている人(Limited English Proficiency, LEP)の連邦サービスに関する言語アクセスの改善を義務付けました。その結果、LEPに対する言語支援が提供されてきましたが、3月1日の大統領令はこれらの根拠となっていたEO13166を無効にするものでした。ホワイトハウスの文書によると、今回の大統領令により各連邦政府機関が英語以外を用いた言語支援の変更や廃止を求められているわけではなく、どの程度の言語支援を提供するかは各機関に委ねられているとのことです。ホワイトハウスは、英語を公用語化することにより国民の間で共通の価値観が強まり、より結束力があり、かつ効率的な社会が形成されると主張しています。その他、コミュニケーションの効率化や(移民に対する)経済的効果なども公用語化の理由として挙げられています。
今回の動きを受けて、アメリカ言語学会(The Linguistic Society of America, LSA)は大統領令に対する 反対声明 を出しました。声明は、言語学におけるこれまでの研究成果に基づき、上記のホワイトハウスの主張に対する反論を行っています。また、言語の多様性に関しても鋭い指摘をしています。英語が米国のマジョリティー言語であることは事実である一方、米国が単一言語国家であるというのは幻想に過ぎず、実際住民の5人に1人が(家庭内で)英語以外の言語を話していることを示す調査結果を紹介しています。顕著な例として、ニューヨーク市では800の言語の話者が共存していることが挙げられています。このような米国の言語的多様性の背景には、先住民の言語や世界各地からの移民の言語が国内で継承されてきたことがあります。さらに、LSAの声明では、アメリカ手話についても言及されています。アメリカ手話は約50万人に使用され、英語とは別言語であることから、今回の大統領令がろう教育などにもたらす影響を強く懸念する旨が述べられています。
3月1日の大統領令が即座にLEPにとって不利になるような言語政策につながる可能性は低いかもしれませんが、私が個人的に懸念することは英語以外の言語、特にマイノリティ言語およびその話者に対する影響です。毎日新聞は3月27日の 記事 において、「公用語の指定によって、英語を話さない人々に対する差別を助長する恐れがあるとの指摘もあります」と述べています。これまでの世界の歴史を見れば、政治・経済的に優勢な言語が存在する国や地域では多くの場合他の言語が劣勢言語として抑圧され、それらの言語の話者数が減少してきた事実があります。その結果、抑圧された言語は消滅の一途をたどる可能性が高いことを歴史は示しています。また、英語公用語化という試みは、ホワイトハウスが主張するような結束力のある社会を実現することができるのでしょうか?残念ながら、人類の歴史を見る限り、この点に関しても楽観視できないかもしれません。むしろ、多言語国家において公用語を1つに限定しようとする動きが社会の分断、時に犠牲者を生んだ事例はバングラデシュ・ダッカでの悲劇(1952年)など枚挙にいとまがありません。ダッカの事件はユネスコの国際母語デー(International Mother Language Day)の制定につながりました。言語が個人や集団・社会のアイデンティティーの根幹を成していることを考えると、言語の統一が多くの場合社会の安定につながらないことはごく自然なことかもしれません。というのも、自分の言語が公用語から除外されることは話者自身の存在の否定につながりかねないからです。
最後に、私が研究している奄美語喜界島方言の母語話者から聞いた素敵なメッセージを紹介したいと思います。それは、「言語は祖先からのプレゼント」というものです。世界のどの言語も先人から受け継がれてきたプレゼントであるので、各言語とその話者が築いてきた文化に敬意を払いながら言語の多様性を保つことが社会に安定をもたらすと人類の歴史は教えてくれているように思います。言語の多様性と結束力のある社会は決して相容れないものではないはずです。今一度、日本における言語の多様性について思いを馳せてみてはいかがでしょうか。