2023.07.18.
ろう者の手話は速い!? 〜手話学習のヒント〜

ろう者の手話は速い!? 〜手話学習のヒント〜
下谷奈津子 特別任期制助教 手話言語研究センター主任研究員

 手話を学習中の方々や、手話通訳として活動している方々と話していると、「日本手話のネイティブろう者(以下、ろう者)の手話は速くて読み取れない」という悩みをよく聞きます。聴者にも早口で話す人もいれば、ゆっくり話す人がいるように、ろう者にも早口(早手早顔?)で話す人、ゆっくり話す人、色々いらっしゃると思うのですが、興味深いのは、皆さん「◯◯さんの手話は速い」ではなく、「ろう者の手話は速い」とおっしゃることです。つまり、個々の話すスピードではない何か別のものがありそうですね。そしてそれはズバリ、各言語が持っている「音韻ルール」ではないかと思うのです。
 昔、留学でアメリカへ行ったばかりの頃、ファーストフード店で店員さんに“What kind of drink would you like?(飲み物は何にしますか?)” と聞かれました。私の耳には「ワッカインダヴデュリンウッヂューライッ?」のような音が入ってくるだけで、何を聞かれているのか理解できませんでした。そこで、「もう少しゆっくり話してください」とお願いすると、店員さんはゆっくりとリピートしてくれたのですが、私の耳に入ってきたのは、やはり、「ワッカインダヴデュリンウッヂューライッ?」でした。「なんていじわるな店員さんだ、全然分からないではないか」、とそのときは思ったのですが、それがいじわるでもなんでもなかったのだと気付いたのは、かなり年月を経てからのことでした。

 言語には音韻ルール(音のルール)というものがあります。発話時に前後の音が影響し合い、くっついたり消えたりすることで音に変化が生まれるのです。そのほうが発音しやすい、つまり「エコ」と言ったところでしょうか。英語の場合、前の単語が子音で終わり、次の単語が子音で始まる場合、通常前の単語の最後の子音は発音されません。また、前の単語の最後の子音と次の単語の最初の母音がくっついて1つの音のようになったりします。
日本語にも同様の現象があります。「ほん(本)」と「たな(棚)」がくっつくと「ほんだな(X ほんたな)」、「せんたく(洗濯)」と「き(機)」がくっつくと「せんたっき(X せんたくき)」と、前後の音が影響し合って音が変化しますね。日本語の母語話者は無意識に日本語の音韻ルールに従っていて、たとえ「洗濯機」をゆっくり言ってと言われたとしても、決して「せんたくき」とはならないでしょう。なので、先ほどのファーストフードの店員さんも、いくらゆっくり話してと言われたところで、「ワッカインダヴデュリンウッヂューライッ?」という音韻ルールは壊れなかったわけです。あの時の店員さん、ごめんなさい。

 手話にももちろん音韻ルールがあります。例えば/お父さん/という手話。まず、人さし指を頬にあて、次に立てた親指を上に動かして表現します。辞書にはそのようなイラストが描かれてありますし、私も最初に手話サークルでそう教わりました。しかし、ろう者の手話表現を見ると、頬に触れるときにすでに親指が出ています。後から親指をよいしょと出すのではなく、最初から出しておいた方が楽なのでしょうね。

また、/ろう学校/という手話は、パーにした利き手を耳元→口元にあて(/ろう/)、その後パーにした両手を前に軽く2回動かす表現(/学校/)からできている複合語ですが、これを/ろう学校/と続けて表すと、耳元にあてた手は口元へはいかず、そのまま前へ動きます。

 動きが減ると楽に”発音”できるのでしょう。手話も「エコ」が働いているのですね。そして、この音韻ルールによる「エコ」が、ろう者の手話が速く見える原因の一つなのではないかと思うのです。「ろう者の手話は速くて読み取れない」から、「速いけど見えてきたかも」になれば、手話の音韻ルール制覇!かもしれません。