2022.04.07.
ことばの普遍性と多様性について

ことばの普遍性と多様性について
今西 祐介 総合政策学部教授 手話言語研究センター研究員

 ドラえもんのひみつ道具「ほんやくコンニャク」は本当に便利なアイテムである。自分の話す言語をどんな言語にも翻訳してくれるし、相手の話す言語が何語であっても理解できる。さらに、ウィキペディアによると、ほんやくコンニャクは、地球人のことばだけにとどまらず、動物、宇宙人、ロボットのことばなどにも対応可能だそうだ。言語を研究するものとしては、こんな夢みたいな道具があれば、地球上の言語の多様性が保たれていくのではないかとついつい考えてしまう。自分や親の言語を捨てなくてもすむ人が増えるかもしれない。まさに多様性と調和である。多様性と調和は東京五輪・パラリンピックの基本コンセプトの一つとして掲げられた理念でもある。ドラえもんの先見の明には感服してしまう。

 ここでは立ち入らないが、経済・社会的に力のある言語(多くの場合、マジョリティーの言語)を話すことを強いられ、個人のアイデンティティーの根幹となる言語を捨てざるを得ない話者は世界中にたくさんいるのである。これらの話者の言語は少数言語と呼ばれ、多くの場合消滅の危機に瀕している。日本においては、手話言語では日本手話や、音声言語ではアイヌ語や琉球諸語などがこのような状況にあると言われている。

 個人や集団のアイデンティティーを守ることは言語の多様性を維持すべき理由の一つであることは論を俟たないが、ここでは別の視点から多様性について考えてみたい。それは、言語の普遍性を解明するためにも言語の多様性は必要だということである。言語学も他の学問分野と同様、サイエンス(=科学)であるので、言語間の違いだけでなく、言語の多様性の中に潜む規則性や普遍性を明らかにしようとしてきた学問である。私が専門とする生成文法理論においても、ノーム・チョムスキー(Noam Chomsky)が1950年代に当該理論を提唱して以来言語の普遍性の解明が目標の一つとされてきた。生成文法理論の重要な発見の一つに、言語は単語を一列に並べただけの線形順序ではなく階層構造によって規定されるということを明らかにしたことが挙げられる。草創期の研究対象は英語が大半を占めていたが(日本語の研究も含まれていた)、次第に様々な言語が研究されるようになる。

 1970〜80年頃になると、日本語やワルピリ語(オーストラリア先住民族の言語)などのように語順が比較的自由な言語は英語やヨーロッパの言語と同様の構造は持たないとする見方が台頭する。しかし、その後のさらなる研究の結果、これらの言語も他の言語と同様の構造を持つことが示された。理論が発展するにつれて、手話言語を含め少数言語の研究も盛んになり、世界の言語は同じ原理や規則の下で機能しているという仮説の妥当性が高まってきたのである。最近では、世界の著名な言語学者たちが、生成文法理論の研究手法がなければ明らかにされなかったであろう言語の普遍的特性を総括しようとアテネに集まり、本格的な議論が行われた。Peter Svenonius教授(トロムソ大学)は自身のウェブサイトにおいて、この会合で議論された普遍的特性をリストとしてまとめている。
(https://blogg.uit.no/psv000/2016/08/30/significant-mid-level-results-of-generative-linguistics/)
なお、2019年には、Roberta D’Alessandro 教授(ユトレヒト大学)がこのリストを基に学術論文を出版し、生成文法理論のこれまでの発見について詳細に論じている 。人であれば還暦を過ぎた辺りの生成文法理論のこれまでの貢献が見て取れて大変興味深い。

 以上から分かることは、言語の多様性と普遍性は決して相容れないものではないということである。一つでも多くの言語の研究がなされることで普遍性の理解は深まるはずである。これまでの言語研究の歴史はこのことを物語っている。そうであるならば、ことばの本質、延いては人間の本質を理解するためにも言語の多様性は維持されるべきである。言語はひとたび消滅してしまうと、復元することは非常に困難である。ある推計によると、世界の約1/3の言語は文字を持たないと言われ、これらの言語が消えてしまうと、復元は一層困難を極める。世界中で多くの言語学者が少数言語の記述と研究に取り組むのもこのためである。手話言語も少数言語であることを考えると、その研究は急務である。音声言語と手話言語は使用するモダリティが異なるものの、両者ともに自然言語であることに変わりはない。これらを比較研究することで言語の普遍性に関する理解がますます深化するであろう。ここ数十年の言語研究はそれを証明している。

 最後に余談ではあるが、またまたウィキペディアによると、ほんやくコンニャクの味にも多様性があるそうだ。味噌味、青のり風味などなど。ただ、味付きは高いのでめったに買えないそうだ。

1 D’Alessandro, Roberta. (2019) The achievements of Generative Syntax: a time chart and some reflections. Catalan Journal of Linguistics Special Issue: pp. 7-26.