はじめに (これまでの経緯)

[ 編集者:人権教育研究室       2018年6月14日 更新 ]

このたびこれまでの「同和問題資料」と「同和人権問題資料」(1985年改定)の内容を拡大充実し、「人権問題資料集」として学生諸君に配布することになりました。ここでこの冊子の配布に至るまでの経過を簡単に説明し、「人権問題資料集」(2009年4月にWeb掲載)を有意義に利用していただきたいと思います。
一九七一年十一月三〇日に学内のある教室において、一教員の発言に端を発して起こった差別発言事件は本学が同和問題を教育上の重要課題として取り組むことを始める契機となりました。
これまでの本学の教育への姿勢に関する厳しい反省に基づいて、一九七三年度から、いくつかの部落解放教育の企画を準備するとともに「部落問題」に関する総合コースを開設しました。この開設の年に用意されたのが「部落問題資料」でした。しかしながら、その最初の資料集(1973年)に収められたのは、「内閣同和対策審議会答申」(1965年)、「同和対策事業特別措置法」(1969年)の二つの資料にすぎませんでした。
一九七五年九月九日大学の最高決議機関である大学評議会は「同和教育の基本方針」を決定しました。その内容は次のようなものです。

同和教育の基本方針

はじめに
『同和対策審議会答申』において、同和問題は「人類普遍の原理である人間の自由と平等に関する問題であり、日本国憲法によって保障された基本的人権にかかわる問題である。したがって……その早急な解決こそ国の責務であり、同時に国民的課題である」と明記されている。事実、現在のわが国社会において、いわれなき偏見と差別によって多くのひとびとがその基本的人権さえ奪われている部落差別の問題は、同じ社会に生きるすべての国民にとって無関心であることを許されないきわめて重要な社会問題であり、部落差別の完全解消こそ緊急を要する国民的課題とされていることの意味が、国民ひとりひとりによって明確に理解されなければならない。その意味において、部落差別の問題との関わりのなかで、研究・教育の府としての大学が果たすべき社会的・教育的責任はまことに重大なものがあるといわねばならない。
しかるに、まことに残念なことながら、本学においては、最近にいたっても、なお差別発言や差別落書が見られたように、同和問題に対する無関心やあやまった認識が一掃されたとはいえない状況があり、一方、大学としても、同和問題に対する全学的な取組みという点での立ちおくれの事実など、反省すべき多くの問題があった。
すでに昭和四十七年六月に『部落問題に取組む大学の基本姿勢』(K.G.Today 第十一号)が発表されているが、現在の時点での問題への再認識の上に立って、今後、同和問題への取組みをより組織的、かつ継続的なものとして再出発させるために、ここに『同和教育の基本方針』を全学的なものとして確認したいと思う。

一、 建学の精神と同和問題

関西学院は、その創立以来、神の前における「人間の平等」と「人格の尊厳」を「隣人愛」において尊重するキリスト教精神を教育理念の基本として一貫してきている。したがって、本学は、関西学院大学の全構成員に対し、そのような建学の精神と同和問題との間の深い関わりを認識し、全学的課題としての同和問題に対して、それぞれの場において、より積極的に取組まれることを要請する。

二、大学と同和問題

自由で自主的な研究・教育の場としての大学の性格とその社会的機能からいって、大学が、同和問題、とくに同和教育に取組むとき、その活動がなによりもまず、大学固有の機能である研究・教育活動を通して行われるべきことが要請されている。換言すれば、部落差別完全解消という最終課題との関連において、大学が社会から要請されている最大の使命は、政治的あるいは社会的運動体に期待されるそれではなく、あくまで自主・自律的な研究教育機関としての働きにあることを意味している。したがって、同和問題に対する研究と同和教育の振興、そしてそれを実現する研究・教育体制の組織化と充実こそ、大学に課せられた当面の課題として鋭意推進されなければならない。

三、研究活動と同和問題

日本社会の歴史的発展の過程において形成されてきた部落差別の実体は、政治的・経済的・社会的・心理的な諸要因が錯綜するきわめて複雑な重層構造をなしている。したがって、同和教育に要請されている「差別を見抜く眼」の確立という重要課題にこたえるためには、現在の細分化された個別専門科学の枠内でのアプローチでは、問題に対する正確な分析と十分な解明は不可能といわねばならない。そのような観点から、同和問題を主題として、学内の関連各分野の研究者を結集した学際的研究が早急に組織化され、なお未着手といわれているこの分野での研究的寄与とともに、その成果の同和教育への展開が必須の条件として要望される。

四、大学における同和教育

大学教育の場において展開される同和教育においては、他の、社会教育・家庭教育あるいは学校教育の場合に比較して、問題へのアプローチをより科学的、より総合的なものとなしうるであろう。しかし、このようにして獲得されるより深く、より正確な「差別を見抜く眼」は、そのまま「差別を許さぬ心」の陶冶という同和教育のいまひとつの課題と表裏一体のものとしてとらえねばならない。すなわち、同和教育によって部落差別の実態に学び、差別の不条理性・不合理性を徹底的に認識することを通して、われわれの意識の奥深くに眠る差別意識を克服するという意識変革が求められているといえよう。したがって、同和教育は、すべての人にその人間としての意味を問いただす、秀れた意味での人間教育の機会であり、差別からの解放を志向する人間形成の場として推進することこそ肝要であろう。

五、関連する問題

部落差別の問題の本質的・客観的把握のためには、人間社会が生み出してきたさまざまの差別的事象をも直視し、差別構造を全体的な視野からとらえる努力が不可欠である。そしてそのように考えるとき、単に同和問題のみならず、在日朝鮮人問題や身体障害者問題等に関してもわれわれの社会が生み出し、また直面している差別的事象として、同和問題と同様の、大きな関心と積極的な取組みが必要と考えられる。
この基本方針は本学にとってきわめて重要な基本理念です。以後本学はこの基本理念に基づいて、同和教育上の諸問題に関する教育の検討をおこなってきました。また基本的な理念についてはもう一つの大切なものがあります。本学は、一九七三年に点字による入学試験を実施して視覚障害の学生を受け入れて以来、ひろく身体に障害をもつ学生を受け入れ、その教育のあり方の検討を続けてきました。一九七五年九月二九日、学長の諮問機関である身体障害者問題委員会から、その取り組みの基本姿勢を示す答申「身体障害者問題に対する基本理念」が提出されています。その内容は次の通りです。

身体障害者問題に対する基本理念

一、人はすべて教育を受ける権利を有し、その能力に応ずる教育を受ける機会を、等しく与えられなければならない。

二、本学はキリスト教主義をもって建学の精神としている。これを身体障害者問題という具体的現実の中で問い直し、具体化していかなければならない。

三、学生は自ら学習する権利とともに正当な教育サービスを受ける権利を有する。身体上の障害の故にこの学生としての権利を享受することが損なわれることがあってはならない。

以上の三点を基本理念とし、身体障害者問題に取り組むべきであろう。
ただし、教育環境、教育条件等、本学における現状の改善に当っては、我々の陥る健全者本位の態度を厳しく戒める一方、理想を求める余りに、言葉の上だけに終って実りのない結果になることのないよう、堅実な態度をもって臨むことが肝要である。
大学は経験を積み重ねるなかでこの資料集に収集する必要のある資料を追加してきました。また同和問題のみならず他の人権問題に関する総合コースも次第に増してきました。一九七七年からは総合コース「在日朝鮮人問題」、一九八六年からは総合コース「男性社会と女性」、さらに一九八八年からは総合コース「身体障害者問題」が開設されるにいたりました。それぞれの課題についての基本資料が必要であることはいうまでもありませんが、またそれらの課題を相互的に、そしてより包括的に把えていくための国際条約の資料も必要になってきました。さらにこれらの資料は総合コースの学習資料として必要であるというだけでなく、本学の全学生が従来よりも一層広い視野をもち、現在および今後の人権問題に関してさらにすすんで学びかつ考えていくためにも必要であると考えます。
また、一九八四年二月に同和教育委員会から答申され、三月に大学評議会で承認された「本学における同和教育の総括と今後取り組むべき課題」には、今後の重要課題として「昭和五三年以来、すでに本学では上記のような考え方に基づいて、大学執行部がその責任において、人権問題としての視点から、同和問題以外に〈在日朝鮮人問題〉、〈障害者問題〉を取り上げてきたことは諸啓発活動の記録に明らかなことであり、各学部においても同様である。今後は人権問題、人権教育としての統合的視点の一層の強化された体制づくり、施策の推進が必要であろう」(二八頁)と提言されています。これを受けて一九八五年には「同和・人権問題資料」として、新たに発刊しましたが、このたび「人権問題資料集」と表題を再度改め、必要な資料を大幅に加え、利用者の便宜のため目次を統一編集しました。利用度の高い資料集になることを期待しています。学生諸君がこれを充分活用され、「差別を許さぬ心」「差別を見抜く目」を培われることを切望します。

一九八八年四月
関西学院大学