「関西学院大学における人権教育についての総括」と「取り組むべき課題と施策」について

[ 編集者:人権教育研究室       2018年6月13日 更新 ]

「関西学院大学における人権教育についての総括」と「取り組むべき課題と施策」について

一、関西学院大学における人権教育についての総括

関西学院における人権問題への具体的な取り組みは、例えば早期から障がい者学生を受け入れるなどの形で実践されてきました。それは主として建学の理念であるキリスト教主義に基づく学院のヒューマニスティックな立場からのものでした。しかしそのような取り組み方は、キリスト教固有の理解からのものとして受けとめられ、全学構成員が等しく共有し取り組むべき問題として考えられにくい状況を招くことにもなりました。また、このような考え方は、急激で多様な時代の変化にすべて対応しうるものではなく、とくに1960年代末からの学園紛争の時期を通じて、その内実がするどく問われる形になりました。本学としてその問いへの解答を真摯に求める中で、関西学院大学におけるキリスト教主義は、全構成員にかかわる課題であることが認識されました。さらに、人権問題への取り組みやその姿勢は、ひろく社会と共有されるべきものであると同時に、本学の建学の理念に基づくべきものであることが求められるようになりました。

とりわけ1971年に一教員による差別発言事件が生じ、このことへの対応を通じて関西学院大学としては、本格的に差別問題に取り組むようになりました。今から30年以上も前のことです。差別は具体的な問題ですから、抽象的、観念的に「差別は良くない」と考えられていたとしても、実際に差別問題が生じてもなお、その観念的な理解に止まっていた本学の体質そのものが問われることになったのです。つまり、本学の構成員である教職員・学生の一人一人が、さらには本学全体が組織として、日本の社会に厳然と存在している部落差別の問題と、そこから生じてくる人権侵害という状況に対して真摯に向き合っていたかという問いかけがなされました。
本学は、この問題に対して最初は主体的に関わるというよりは、問いかけに対し対応を図るという姿勢でしか関わってこなかったことは否めません。しかし、問題を提起した学生との長く、厳しく、真剣な対話や学内外での議論の中で、この問題の解決は本学の社会的責任であり、教学の基本に関わるものであり、本学全体として主体的に取り組むべき課題であることが共通の認識にまで高まってきました。
詳細な経過については省略しますが、本学としてこの問題にどのように取り組むべきか、また差別をなくするための動きに対して本学として何をなすことが出来るかという議論が重ねられました。その結果、この問題を一部の人達の関心に任せるのではなく大学全体が担っていくべきであるという結論に達したのです。そのため、この問題についての議論と方針の策定が、大学の最高決議機関である大学評議会に委ねられました。こうして、1975年9月に大学評議会において『同和教育の基本方針』が決定されることになったのです。

本学は、その後この方針に基づいてさまざまな差別問題に関する全学開講の総合コースを開設し、新入生オリエンテーションにおける講演会等さまざまな企画を提案、実施してきました。その成果は1971年以前とは比較にならないほどのものであったと信じています。現在、私たちは、この問題を真摯に受け止め、具体的な施策にまでこれを昇華させていった当時の教職員・学生の努力と姿勢とを受け継いで新たな展開をしていく責務を負っている自覚を新たにしなければなりません。また、そのためにこの30年の間に大きく変化を遂げてきた社会状況と、日本のみでなく世界各国におけるさまざまな差別問題、その差別問題に共通する人権侵害の状況にも目を止める必要があります。例えば、当初「同和」問題として出発した差別問題は、その後、在日朝鮮人・韓国人への差別問題、障がい者への差別問題、性差別の問題へと広がり、さらには多様化する社会の中で新たに解決すべき課題が提起されてきました。これらの問題は、本学の総合コースの中で取り扱われ、その取り組みは大学教育においてきわめて重要なものとされてきました。

先にも述べたように、差別を許さないということは、観念的な問題ではなく、極めて具体的な問題ですから、社会的な現実の問題をしっかりと受け止め、その解決に向けて誠実に取り組んでいかなければなりません。同時に、状況の変化の中で、新たに認識された差別問題に対しても明確な理解を持つ努力をしなければなりません。このことを本学の課題として本学構成員全体の共通認識にまで高めて欲しいと願っています。そのためには、次のような課題が残されていることを確認し、新たな施策に生かしていかなければならないと考えます。

 

(一) キリスト教主義教育を建学の理念としている関西学院は、日常的に人権や人間の平等を教えているはずであるからと、構成員全員が安心してしまっていないでしょうか。聖書のメッセージは、私たちにとって課題であり、永遠の祈りであり、人間の具体的な関係の中で実現していくべきものであるのですから、建学の精神を担っている一人一人の構成員がその実現のために協力してこそ具体化するのではないでしょうか。そうでなければ、建学の理念や人権尊重、ひいてはあらゆる生き物の生命の大切さを尊重するということは、空虚な美辞麗句に終わってしまうと考えられます。

(二)「同和」問題に取り組んだ当初と比べて、深刻な差別問題、さらには人権問題への意識が再び風化してきたのではないだろうかという心配があります。つまり、「差別を見抜く目を養う」という目標を掲げて出発し、さまざまな教育上の施策が施されたにもかかわらず、いつの間にか差別問題や人権問題は特定の熱心な大学の構成員だけが担う問題になってしまっていないでしょうか。

(三)当初から、人権問題は「大学構成員全員(教員・職員・学生)で担うもの」という基本姿勢があり、専門を異にする立場から意見を出し合い、学際的に研究するとともに、それぞれの領域で差別問題を問うという方策が採られていましたが、現状はこの基本姿勢が守られているでしょうか。

(四)大学教職員は学生に対して一定の権力を持った存在であるという厳しい自己認識がなければなりません。学生に対してはもちろん、教員間、職員間、教員と職員の関係においても構造的には権力を持った存在であり、そこからセクシュアル・ハラスメント、アカデミック・ハラスメント等の問題が生じてくることを忘れては、この問題を自分の課題として重く受け止めることはできません。

(五)さまざまな差別の問題に取り組む中で、それら差別問題の解決に必要な「人権」の確立、さらにはその「人権」と時には対立し、矛盾するあらゆる生き物の「生命」を大切にするという新たな考え方をいかに研究し、その研究成果を教育に反映させられるかという課題も生じてきています。
以上のような総括をして、当面取り組むべき課題と施策を以下の通り提案したいと思います。

二、取り組むべき課題と施策

21世紀は人権の世紀であるといわれ、国際的にも国内的にも人権を取り巻く状況は変化しつつあります。1995年に始まった「人権教育のための国連10年」のプログラムも2004年に終わり、その成果と反省を踏まえて「人権教育のための世界プログラム」がスタートいたしました。そのような時に、人権問題に取り組む大学の基本姿勢を新たに見直すことには重大な意義があるのではないでしょうか。
大学は、これまで積み重ねてきた人権教育に関する成果を評価し、反省すべき点は真摯に反省して、新たな状況における人権教育の基本方針を定めなければなりません。しかし、そのための準備がまだ不十分であることを自覚し、まずは本学が今取り組むべき課題と施策を以下のように提起します。

(一)1971年に問題が生じた時に問われたことを風化させることなく、大学として明確で、責任ある認識を持つよう常に努力を怠らないように研鑽を積み重ねることが大事です。このことは、ややもすると惰性に陥りがちな大学の認識の甘さを、常に反省しつつこの問題に取り組むことを意味しています。

(二) 具体的な差別の現状に学びつつ、それを克服する姿勢を養うことを目的とします。これは大学における人権教育が観念的なものだけにならないために、また大学のスクール・モットーであるMastery for serviceを実質化するために求められる基本的な姿勢であると認識します。さらにはこれまで「同和」問題を始めとする様々な差別を見抜き、その解決に努力してきた過去の成果に学びつつ、新たな問題に対処する姿勢もそこから学び取ることが可能であるからです。

(三)そのためには世界の差別問題、人権問題、つまり、時代の変化に伴い複雑化する国際的、社会的問題に関わるさまざまな問題を積極的に研究し、教育に還元し、その解決のために必要な実行力を養うことが必要となります。さらにはあらゆる生き物の生命の問題にも敏感になり、新たな問題に対応できる感性と知性とを養うことが必要となります。

(四)上記のことを現実にするためには足元の人権問題にしっかり目をとめ、自分の問題として学ぶ姿勢を養わなければなりません。人権教育は決して他人の問題、誰かが担えばよいというような問題ではなく、私たち一人一人がよりよく生きていくために不可欠の問題であるとの認識を常に養う努力を積み重ねていきたいと考えます。これは、人権教育が大学構成員全体で担う問題であるという従来の本学の姿勢を再確認することです。

(五)差別問題や人権問題をめぐる教育は、研究機関としての大学の主体的な判断でなされるべきものであると理解しています。大学が持っている学問研究と教育の自由は何ものによっても侵されるべきではありません。特に、極めて重要なこの課題についての教育を推進するにあたっては、大学の主体的な研究、教育活動としてこれを位置付けたいと考えています。

以上の課題を実現するために、大学は次のような施策に向けて努力することが望まれます。

A 人権に関する大学内の組織を有機的なものとして効率化する必要があります。例えば、学長室、人権教育研究室さらには人権教育に関わる部課間の連携を密にし、問題を共有しつつも、それぞれの役割を明確にして具体的な活動をしやすくする工夫が必要となります。

B 大学における主体的な人権研究をより強化する必要があります。本学の特長を生かし、学際的な研究を進めるために、人権に関わるさまざまな研究を進めている人材を発掘し、研究を活性化するために、従来の共同研究の再編を含んだ新しい取り組みを始める必要があります。

C これまでも実施されてきた講演会を活性化し、全体に還元する工夫をする必要があります。近年、優れた講師の講演会を計画実施しても、出席者が限られてきています。大学の基本姿勢を具体的に理解し、私たちを取り巻いている状況を正しく把握するためにも、多様な講演会を継続し、問題意識を全体のものとするよう工夫する必要があります。

D 人権教育科目の効果的な運営と、新たな課題に対応できる体制の構築を進めていくために、人権関連の問題を専門に扱う科目として従来から開講されていた総合コースの科目を独立させて、2009年度からは「人権教育科目」という名称で開講することになりました。この変更にともない、 従来の運営委員のあり方について様々な意見を取り入れることによって科目内容の充実をはかり、各学部と協力のもと運営委員のあり方の検討も継続して行いたいと思います。

E 関西学院大学では、2007年4月から毎年2名(以内)、日本に合法的に居住する難民を学生として受け入れています。2009年度に入学することが決定している学生2名を含めると、ミャンマー(ビルマ)、ベトナム、北朝鮮からの難民、合計6名の学生を受け入れることになります。本制度による入学者数は、毎年2名と活動としては小さなものではありますが、このささやかな活動が、国内の多くの大学に広がっていくこと、また、自治体や企業、さまざまな領域において可能な難民支援への端緒となることを願っています。

F 各学部における人権教育への取り組みの強化も考慮しなければなりません。もちろん、これは各学部の主体的判断で行われるものですが、大学全体の方針を理解していただき、学部、研究科における教育の中で生かして欲しいと願っています。また、独立大学院や専門職大学院における取り組みについても、その推進のために協力体制を作ることが重要となります。
G 大学、学院全体としての人権のための研修を実施します。これは、2003年度から新しく就任された教職員のために実施していますが、今後は定期的に全教職員を対象とした研修の機会を計画することも考えられます。Cで触れた講演会との関係も考慮しながら進める必要があります。

H 障がいを持つ学生への総合的な支援体制の整備が求められています。例えば、障がいの種類も程度も多様であることが認識されてきており、支援のあり方もこれに対応できるものでなければなりません。そのような状況に対応するために、2011年より総合支援センターを設置し、さらに支援体制を拡充させていきます。

I これまでのセクシュアル・ハラスメント対策を見直し、アカデミック・ハラスメントの防止とその対策を包含するキャンパス・ハラスメントに関する規定を策定し、2006年4月よりその対策を開始いたしました。さらに教職員と学生が協力しつつ、人権を尊重する教育・研究環境を築いていかなければなりません。

J 人権教育研究室が吉岡記念館に移転したことに伴い、これまでに収集した資料や書籍等を有効に活用し、学生・教職員が差別問題、人権問題に深い理解を持つことが出来るよう、なお一層、人的、財政的に整備すべきであると思われます。 以上