K.G.

エンハンサーの進化が“生命の発生の速さ”を調節する -げっ歯類が特異的に獲得した転写調節領域が初期発生を加速。“ヒト発生の特性”の解明への応用が期待-

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関西学院大学(兵庫県西宮市、学長:森康俊) 生命環境学部生命医科学科の松原和純助教*、関由行教授、理工学研究科博士課程前期課程の弘田正樹さん*、梶原賢太郎さん*らの研究グループは、ゲノム編集技術を用いたシス制御領域(同一分子上の遺伝子発現を調節するDNAの領域)の改変実験により、げっ歯類においては、げっ歯類が特異的に獲得したエンハンサー(特定の遺伝子の転写の可能性を高めるDNAの領域)が挿入されており、それが多能性を制御する転写因子ネットワークの崩壊を早め、結果としてげっ歯類の初期発生速度を加速させた可能性を明らかにしました。

ヒト初期発生の理解を深めるために、長年マウスが主要なモデル生物として用いられてきました。しかし近年、マウスは他の哺乳類と比較して、初期胚の形態や発生速度などにおいて独自の進化を遂げている可能性が指摘されています。このたびの研究により、マウスが他の哺乳類と異なる発生速度を示す一因が、エンハンサーの種特異的進化にあることが示唆されました。本成果は、ヒトとマウスの初期発生の違い(種差)に対する理解を深め、これまでのモデルマウスによる研究では捉えきれなかった“ヒト発生の特性”を解明するための基盤技術となることが期待されます。

本研究成果は、発生生物学分野の専門誌「Development」に20251219日付で掲載されました。

*所属は研究当時

ポイント
  • 多能性制御因子Prdm14のエンハンサー領域を種間比較した結果、げっ歯類では有羊膜類で高度に保存されてきた「古い」エンハンサーを失い、その近傍に新たな「げっ歯類特異的」なエンハンサーが獲得されていたことを明らかにしました。
  • げっ歯類特異的エンハンサー領域を破壊すると、動物の発生初期段階に作られる胚性幹細胞(ES細胞)のPrdm14の発現量が大幅に減少し、「未分化性維持活性」、「DNA脱メチル化誘導活性」が著しく低下することを見出しました。
  • さらに、エンハンサー領域の欠損により、「ナイーブ」から「フォーマティブ」への多能性移行が抑制され、初期発生の速度の進行が遅延することを明らかにしました。
  • これらの結果から、エンハンサー領域の進化的な喪失と獲得が、マウスとヒトにみられる初期発生速度や胚構造の“種差”を生み出す要因の1つであることを示しました。
研究の背景と経緯

生物の発生は、卵と精子が授精することで始まり、受精卵は体のすべての細胞へと分化できる、「多能性細胞」を生み出します。出現直後の多能性細胞は、適切なタイミングに分化を開始するために、分化シグナルに反応できない、「ナイーブ(Naïve)」な多能性状態にあります。その後、子宮に着床し、母体からの栄養供給に必要な胎盤が成熟するタイミングで、多能性細胞は「フォーマティブ(Formative)」と呼ばれる多能性状態へと移行し、分化への反応性を獲得します。

しかし、この「ナイーブ」から「フォーマティブ」への移行速度には大きな“種差”があります。ヒトではこの移行に約10日を要するのに対し、マウスではわずか約3日で移行が完了します。また、ほ乳類、爬虫類では多能性細胞が単層のシート状に配置されているのに対して、マウスでは円筒状に配置されるなど、初期胚の構造そのものにも特徴的な違いが見られます(図1)。こうしたマウス特有の多能性移行速度や初期胚構造を生み出す分子メカニズムには、未解明な点が多く残されていました。このような背景から研究チームは、マウスとヒトでの双方で多能性の維持に必須である一方、初期発生における発現パターンが大きく異なる転写因子PRDM14に着目し、両者の“種差”を生み出す分子基盤の解明に取り組んできました。

図1.マウス、ヒトの多能性移行速度と初期胚構造の種差
研究成果

研究チームはまず、ヒトとマウスのPRDM14遺伝子領域に存在するエンハンサー領域を、公開ChIP-seqデータを用いて同定し、配列の種間比較を行いました。その結果、次の3点が明らかになりました。

1.  ヒトPRDM14遺伝子領域には、有羊膜類全般で広く保存された2つの“古い”エンハンサー (cEn1cEn2)が存在する。cEn1には多能性細胞のマスター転写因子であるOCT4の認識配列があり、cEn2にはシグナル応答性の転写因子の認識配列が含まれる。
2.  マウスPrdm14遺伝子領域には、cEn1は存在するが、cEn2が失われている。その一方で、cEn2の近傍にげっ歯類特異的な新しいエンハンサー領域の挿入が確認された。
3.  マウスPrdm14遺伝子領域には、さらに複数のげっ歯類特異的エンハンサーが存在し、合計3つの新規エンハンサーが進化的に獲得されたことが判明した。

続いて、これらげっ歯類特異的エンハンサーをゲノム編集技術で破壊したところ、次の2点が明らかになりました。

1.  げっ歯類特異的エンハンサーは、ES細胞のPrdm14の発現、未分化性維持、そしてゲノム全体の低メチル化状態の確立に不可欠である。
2.  これらエンハンサーの喪失は、マウス特有の“迅速な多能性移行”を著しく遅延させる。

これらの発見から、種特異的なエンハンサーの獲得が、発生速度や初期胚構造といった『種らしさ』を生み出す原動力になったことが示されました。本研究は、マウスとヒトの初期発生メカニズムの違いを理解する上で重要な知見となり、今後のヒト化マウス胚モデルの設計にもつながる基盤研究として期待できます。

図2.げっ歯類特異的エンハンサー破壊による初期発生速度の遅延
今後の展開

今回の研究成果は、次の2点の研究展開に繋がる基盤研究として期待されます。

1.  ヒト、マウス始原生殖細胞形成機構の種差の解明
PRDM14は、卵・精子のもとになる始原生殖細胞(PGC)の形成において異なる機能をもつことが知られており、こうした“種特異的役割”の分子基盤、進化的獲得経緯の解明を推進します。

2.  エンハンサー破壊のin vivo検証とヒト化マウスモデルの構築
本研究で同定したげっ歯類特異的エンハンサーを、マウス胚のゲノムで直接破壊し、初期発生速度や胚構造に与える影響を解析します。また、ヒト型エンハンサーへの置換実験などを通じて、“ヒト化マウスモデル”の開発を試み、ヒト初期発生の理解をさらに深めることが可能となります。

研究助成

本研究は、科学研究費補助金(18H02422)の支援により行われました。

論文情報

タイトル:Lineage-specific enhancer insertions regulate Prdm14 to drive the rapid transition from naïve to formative pluripotency in rodents
(系統特異的なエンハンサー挿入がPrdm14の発現を調整し、げっ歯類におけるナイーブからフォーマティブ多能性への迅速な移行を駆動する)

著者:Kazumi Matsubara, Masaki Hirota, Kentaro Kajiwara, Hinako Senga, Shunsuke Matsui, Miyu Marutani and Yoshiyuki Seki *
*責任著者

掲載誌:Development

DOI10.1242/dev.204886

URLhttps://journals.biologists.com/dev/article-abstract/152/24/dev204886/370114/Lineage-specific-enhancer-insertions-regulate