今週のSEIWA(2020)

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◎From Seiwa Chapel「Thy Will Be Doneの学校」(2020.5.28)

5月27日は、学校法人聖和大学の創立記念日でした。

もともと3つの別な名前を持った学校が順に合同し、1941年「聖和」Holy Union(聖なる和合)という名前を初めて使うことになりました。

その聖和女子学院の開校式が行われたのが、5月27日でした。

名前ってとても不思議です。たかが記号ですが、存在そのものを表します。自分の名前は、自分自身なのです。学校の名前も同じです。

「聖和」という新しい名前を名乗ることは、今までの愛着ある名前、学校の存り方を手放すことでした。

聖和女子学院がスタートするとき、学生、教職員で六甲山へ遠足にいった写真があるのですが、(特に教員が)なんともぎこちなく写っています。違う生き方、違う文化と物語を持ってきたのですから当然です。いろんな不本意と違和感だらけだっただろうと想像します。それがどうして「聖和」になっていけたのでしょう?

2009年、学校法人関西学院との合併によって、学校法人聖和大学は閉じられました。

その時、聖和の歴史を本に残すことになりました。聖和を表すその本のタイトルは、Thy Will Be Done(神のみ心がなされますように)という祈りの言葉です。

自分の思いだけに固執すると出来ないことがたくさんあります。神さまがわたしに願っていることは何だろう、それを尋ね求めて他者と共に生きる道を「聖和」は、今も教えてくれています。

 

◎From Seiwa Chapel「怒るに遅い人」(2020.5.21)

聖和の源となる3つの学校のうち1つを創立したメアリー・I・ランバスは、関西学院の創立者W・R・ランバスのお母さんです。

このランバスファミリー、「不平を言う術(すべ)を知らぬ人たち」と呼ばれていました。

不満や怒りを口する仕方すらわからなかった人たち!驚きです。めったにお目にかかれません。

こちらは、旧約聖書に登場するヨナと神さまの会話です。

死にたいくらい怒っている原因は、ヨナの頭上に木陰をつくっていた「とうごまの木」が急に枯れてしまったから、でした。神さま相手に、こんなにブーブー言えるのはある意味すごいですが、こんな人は聖書の中に限らず、そこら中に見ることができます。

他人を探すまでもなく、わたし自身が最近とみに怒りっぽい気がします。さっきも本当に些細なことに腹を立てている自分を見つけました。次から次へと当然起きてくる「自分の思い通りにならない」ことに、いちいち、すぐに憤っている…。

今日のタイトル「怒るに遅い人」は、「人はすべて…怒るにおそくあるべきである」(ヤコブ 1:19口語訳)という聖書の勧めです。

「怒ることを知らない人たち」が創ったこの学園につながる私たちは、プンプン、イライラが蔓延する社会の中で、「怒らない人」は無理だとしても、せめて「怒るに少し遅い人」になりたいものですね。


 

◎From Seiwa Chapel「失敗だらけの人生も」(2020.5.14)

聖書には、イエス・キリスト以外にも、たくさんの人が登場するのですが、その人たちの共通点をあげるとしたら、

それは、「失敗する」ということではないかと思います。

この言葉は、後に偉大な使徒(イエスに従い、その教えを伝える人)となったパウロという人が、生涯一の大失敗をしたときに、間違いに気づいて思わずつぶやいた一言です。

「あぁ、神さま、いったいどうしたらいいんですか」―と。

お手上げのこの気持ち、よくわかります。わたしも失敗だらけの人生を歩いてきました。

スマホやパソコンの操作が上手くいかない!といったミスから、恥ずかしくて身の置きどころがない「しまった!」というのもあれば、今思い出しても「取り返しがつかない」とうめきたくなることまで、大小さまざまな失敗のオンパレード。

しかも、「わたしたちは皆、度々過ちを犯す」(ヤコブ3:3)、分かっていても失敗を繰り返します。言わなきゃよかった、やらなきゃよかった…くよくよするばかりです。

ところが聖書は、そもそも「失敗するのが人間」だと、前提にしているようなのです。

そして、「わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない」(コリントⅡ4:8、9)というのです。

それでも、それでも、生きていける!そんな神さまの不思議な力につながれて、それでも、それでも、生きていこうか!

 

◎上ケ原キャンパスフィールドワーク(2020.5.11)

本日は、当初の予定では1年生全員での上ケ原キャンパスフィールドワークの日でした。

残念ながら延期となってしまいましたが、どこかのタイミングで行けるようにしたいと思います。

写真は昨年度のものですが、上ケ原キャンパスと言えば時計台と中央芝生!

全員での記念撮影もいい思い出です。


 

◎From Seiwa Chapel「Keep Silence も大切に」(2020.5.7)

日本赤十字社は今、コロナウイルスがもたらす3つの感染を防ごう!と呼びかけています。その3つとは、「病気・不安・差別」です。

その真ん中にいる「不安」の感染について、聖書の中でとっても不安だった人たちの記事から考えてみましょう。

この王様の名前はアハズ、民はユダという小さな国の人々でした。

新アッシリア帝国(紀元前700年代)とそれに対抗する諸国同盟の板挟みにあって、どちらについても、もう片方から攻められ、国を滅ぼされるだろうという危機に直面していました。

アハズ王とみんなの心は、葉っぱや枝が暴風にあおられて今にもちぎれそうにざわめくようだったと言います。

どうなるのだろう、どうしたらいいのだろう、自分たちの力が到底及ばない出来事におじけづき、情報に翻弄され、心配と恐怖に陥って、いろいろ策を練ってみるもののうまくいきません。

ずっと緊張状態を強いられて、いたずらに動きまわるユダの国の人々の姿は、なんだか今の自分のようです。

そこで神さま(主)は、イザヤという預言者(神の言葉を預かり人々に伝える人)に語ります。

「落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない。」ジタバタするのをちょっと止めて、深呼吸してみましょう。

「だいじょうぶ、そのままでダイジョウブ」神さまの語りかけに耳を澄ませたいと思います。

3つの感染症「病気そのもの・不安と恐れ・嫌悪/差別/偏見」について、ぜひ日赤サイトをお読み下さい。

「新型コロナウイルスの3つの顔を知ろう!~負のスパイラルを断ち切るために~」http://www.jrc.or.jp/activity/saigai/news/200326_006124.html


 

◎From Seiwa Chapel「4月のプレゼント」(2020.4.30)

4月の最後の日を迎えました。怒涛(どとう)(激しく打ち寄せ荒れ狂う大波)の中での1カ月だったと振り返ります。

今月、わたしたちそれぞれに届けられた「贈り物」は何だったのでしょう。

わたし、実は4月生まれで、今年は緊急事態宣言が出されたさなかにお誕生日がやってきました。

こんな時なのに覚えてくださる人たちがいて(「おめでとう」メールをくれた保2の学生までいて)、こんな歳なのに有形無形のプレゼントに囲まれ、とても幸せなお誕生日でした。

「あなたが大事だよ」というメッセージは、元気や生きる力を与えてくれます。

会議も授業もオンライン…がもたらすしんどさや苦しさは想像以上のものですが、あらためて、聖和キャンパスでの日々、学生、教職員、あなたがいてくれることのかけがえのなさを感じます。

忘れていた大切なもの、真実なことを求めなさい、気づきなさいというプレゼントなのかもしれません。

PCの中に、「4月のプレゼント」と題された17年!も前の学校礼拝でのお話原稿をみつけました。

そこには、こんなことが…「昨年から、子どもたちがお小遣いでプレゼントを買ってくれるようになりました。可笑しかったのは下の子です。

前日の夜から、ひっきりなしにどれだけ迷ったか言い続け、『喜んでくれるかなぁ、早くあげたい』、最後には『179円だったんだ。200円出して21円お釣りもらった』と。

9歳の子どもが1ヶ月300円のお小遣いから179円を使い、『プレゼントする』ことを喜んでいるのです」。

イエスさまのことばとして、ずっと受け継がれた今日の聖書を思い出しました。

 

◎From Seiwa Chapel「たった一人の夜」(2020.4.27)

夜、それも疲れ切っているのに眠れなかったりすると、家の中には誰かがいても、自分が「たった一人」でここにいる、

とても小さな存在だと感じることがあります。

心配や後悔、出来そうにないことなど、マイナス思考が押し寄せ、無力感でいっぱいになってしまいます。

そんなときわたしは、羊を数えたり、呼吸に意識を集中して、なんとか眠ろうとするのですが、羊より不安の方が増えだして、ますます眠れなくなります。

あんまりな時は、あきらめて起き出し、夜空を眺めたり、お水を飲んだり…。でも、何をしても駄目なときはあるものです。

苦しい想いがぐるぐると自分の中だけで回ってしまうと、どうすることもできません。

そんなときの最後の手段は、深夜にとても迷惑ですが、「誰かに気持ちを聞いて(読んで)もらう」か「誰かの声を聞く」こと。

上の聖書のことばは、ヤコブという若者が、ひとりぼっちの旅の途中、夜になって仕方なく道端で石を枕に(できる⁇)眠っていたとき、夢で聞いた神さまの語りかけです。

実はヤコブ、大事件を起こして兄から命を狙わることになり、家から逃げだしてきたというワケありの状態でした。

そんなダメダメな野宿の夜に、夢の中で神さまはヤコブの傍らに立って、「わたしは共にいる」と言ってくださったのです。

人は皆、つきつめれば「たった一人」。

けれども、そんな夜にも一緒にいてくれる誰かの存在を感じて、わたしたちは「たった一人でも大丈夫」だと思うことができるのです。


 

◎From Seiwa Chapel「希望はつづく、どこまでも」(2020.4.23)

今日4月23日は、聖和短期大学イースター礼拝、お天気が良ければ聖和の森でエッグハンティングをする予定でした。

最近は日本でも春になると、パステルカラーの卵やお花、可愛いウサギやHappy Easter!の文字を目にしますが、

イースターってなんでしょう?

イースターは、キリスト教の三大祝祭のひとつで、イエスさまが十字架の死の三日後によみがえられたことを記念する復活祭です。

「復活」は、キリスト教の中でもいちばんわかりにくいことですが、キリスト教がいちばん大切にしている素晴らしいメッセージでもあります。

ところで、今日の聖書「希望はわたしたちを失望させない!」は、私の名前「のぞみ」の基になったことばです。

神さまがくださる希望という名前で生きるように…と。

イエスさまの死に直面した人たちは、「もうダメだ」「何もかもおしまいだ」と絶望していました。

けれども、イエスさまはよみがえって、死はThe end.ではないということを、どんな行き詰まりにも必ず新しい始まりがあることを、

希望は決して失望に終わらないことを、わたしたちに示してくださったのです。

こんな時だからこそ、うつむいているみんなに届けます。

“Happy Easter! イースターの希望があなたにありますように!”



◎From Seiwa Chapel「光の種として生きる」(2020.4.20)

キャンパスの礼拝堂(チャペル)で学校礼拝ができない間、From Seiwa Chapelと題して、

短期大学宗教主事よりメッセージと聖書のことばをお送りします。


聖和短大の学歌「新しき歌」には、「この国にいしずえ深く、光の種は蒔かれたり」という歌詞があります。

聖和は歴史の中で光の種として、この国に建てられた学校だという意味です。

そしてその目的は、「となりびとに手をさしのべ、幼き者の友として、神の畠(はたけ)を耕すために」と歌われています。

そんな聖和の学生、卒業生はみんな、小さな「光の種」です。

それぞれの置かれた場所で、光の届かない暗がりで、冷たい視線や言葉が飛びかう時に、小さな光をともしましょう。

「だいじょうぶ」「わかるよその気持ち」「大好きだよ」そんなひとことも、あなたの優しい笑顔も、「光」になります。

イエスさまもこんな風に、わたしたちを励ましてくださっています。さぁ、光の種として生きましょう。