寿岳文章(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

寿岳文章

じゅがくぶんしょう

1900.3.21~1992.1.16

寿岳文章

寿岳文章

文学部教授、英文学者。
兵庫県明石の真言宗住職の息子として生まれる。
1919年、関西学院高等学部文科に入学。
23年、卒業後母校で英語等を教えつつ、24年、京都帝国大学文学部で英文学、特にW.ブレイクを研究。
卒業後、柳宗悦と共同で月刊誌『ブレイクとホイットマン』を刊行。
32年、関西学院の専門部文学部講師として出講、34年から旧制大学法文学部講師として英文学を講じる。
早くから日本民芸運動に深い理解を示し積極的に参与していたが、特に37年より妻しづ(岩橋武夫の妹)とともに数年にわたり全国の紙漉村調査旅行を行い、和紙の研究を通して民芸運動に貢献。

 戦後の1948年の新制大学発足に伴い、文学部英文学科教授となり、英文学史、英文学講読を担当。
49年、関西学院創立60周年に際して、親交のあった高名な英国の詩人E.ブランデンに作詞を依頼し、新校歌“A Song for Kwansei”が披露される。
51年、京都大学より文学博士の学位を受ける。
52年、学生たちから留任を求める署名活動が行われたが、関西学院大学文学部を辞し、甲南大学へ移る。
晩年は、特にダンテの『神曲』の地獄篇、煉獄篇、天国篇の翻訳(1974~77)に尽力、その翻訳で読売文学賞、日本翻訳文化賞を受賞。
著書に『寿岳文章・しづ著作集』全6巻(1970)、『寿岳文章書物論集成』(1989)などがある。

【参照】Ⅰ 365,488