スケート部(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

スケート部

 1920年に登山部が結成され、22年に山岳部と改称した。
冬になるとスキーやスケートに興じ、やがてスキークラブ、スケートクラブの独立へと向かう。
23年12月23日、山岳部スケート倶楽部発会式を六甲山頂で行い、馬淵得三郎教授を部長、A.C.ブラッドレー教授を指導者としてスケート部が発足した。
31年大阪の朝日ビル屋上リンク開設を機に関西学院スケート倶楽部となった。
32年には関西スケート連盟に加盟し、同志社大学との間で定期戦が始められた。

 1947年、スケート部からアイスホッケー部が分離。
50年、早稲田大学との定期戦が始められるが中断したままとなっている。
現在行われている定期戦は、同関戦、関関戦、フィギュア部門の4大学(慶應、立教、同志社、関西学院)定期戦である。

 創部以来、片山敏一(フィギュア部門、1936年ドイツ・ガルミッシュ・パルテンキルヘン15位)、上野(現姓平松)純子(フィギュア部門、60年アメリカ・スコーバレー17位、64年オーストリア・インスブルック22位)、山下(現姓大西)一美(フィギュア部門、68年フランス・グルノーブル15位、72年札幌10位)の3名のオリンピック選手を輩出している。
また、村上弘(フィギュア部門)が日本学生氷上競技選手権大会個人優勝。
スピード部門では、岩島直己、矢部雅一が日本記録を出している。

 現在のスケート部にはフィギュア部門とスピード部門がある。
卒業生は上ケ原スケート倶楽部に所属し、毎年総会を開催し、現役を援助する。
活動内容を卒業生に知らせる部誌『空の翼』を年1回発行している。