全共闘(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

全共闘

 全共闘(全学共闘会議)とは、1960年代後半の大学紛争に際し、全国の諸大学に結成された学生組織をいう。
関西学院大学では68年11月に行われた全学執行委員会委員長の選挙で選ばれた委員長のもとに全共闘が結成された。
それ以前の学生の諸活動は、各学部自治会や公認団体からなる全学執行委員会が中心となって運営されていた。
全国的に学生運動が活発になった60年代後半になると、左翼系のさまざまな政治思想を背景にもつセクトが諸大学の全共闘を通じて学生活動の主導権を握るようになった。

 関西学院大学でもさまざまなセクトが全共闘を構成し、第5別館などを拠点に、学費値上げなどを発端とする一連の闘争の中で主導的な役割を果たした。
例えば、校舎等建物のバリケード封鎖、学院・大学の指導者に対する大衆団交の要求と実施などは、すべて全共闘の指導のもとで実行された。
しかし、大学紛争が泥沼化するにつれ、一般学生をはじめとして自らに反対する人々を角材や火炎瓶で襲撃したり、時計台前のヒマラヤ杉を切り倒すなど過激な行動をとるようになったため、一般学生と全共闘との距離は次第に大きくなり孤立化の様相を強め、最終的には社会的にも支持を失うこととなった。
関西学院大学では、1969年6月に関西学院発祥の地、神戸の王子公園陸上競技場で開催された改革結集大会で約300名の全共闘学生が会場に乱入したが、これを機に学生・教職員からの非難が大きくなり、全共闘は解体に追い込まれた。

【参照】Ⅱ 347,371【文献】『関学闘争の記録』1969