久留島武彦(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

久留島武彦

くるしまたけひこ

1874.6.19~1960.6.27

久留島武彦

久留島武彦

児童文学者。
大分県森町に生まれる。
慶應義塾出身の鎌田栄吉が校長を務めていた大分県立中学校へ1887年に入学。
その年大分県師範学校校長兼学務課長に転じた鎌田は翌年同中学校英語教師としてS.H.ウェンライトを招聘した。
英語教師と同時に開拓伝道に従事していた宣教師ウェンライトに連れられて、中学校を中途退学して草創期の関西学院に移った。
学院の初期神学生や多くの普通学部生徒は勉学と同時に伝道にも熱心で、すでに大分で受洗していた久留島も、土・日の両日には赤インキで十字を描いた小提灯を腰にはさみ、三宮神社前の夜店のかたわらで路傍伝道に立った。
その体験が、生涯を通じて社会の大道に立つ生活の礎をつくったという。
関西学院普通学部を卒業して後、童話作家として名を成した。
はじめ尾上新兵衛の名で『少年世界』(1895年創刊)に児童読み物を執筆、のちに巖谷小波に師事してお伽噺と口演童話で活躍し、口演童話の開拓者として知られた。
1906年にお伽倶楽部を起こし、また東京青山に早蕨幼稚園を経営、ボーイスカウトの結成にも活躍した。
著書に『久留島武彦童話選集』(1950)、『童話術講話』(1973)などがある。

【参照】Ⅰ 122,164【文献】『関西学院七十年史』1959;勢家肇『童話の先覚者―日本のアンデルセン―久留島武彦・年譜』1986;後藤惣一著『久留島武彦』(『大分県先哲叢書』)2004