外国人住宅(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

外国人住宅

外国人住宅

外国人住宅

関西学院創立時の原田の森キャンパスはもちろん、上ケ原キャンパスに移転後も関西学院には宣教師のための住宅が整えられた。
原田の森キャンパスにおける草創期の住宅は写真で確認できるのみであるが、やがて大正初期にW.K.マシューズ(1912)、C.J.L.ベーツ(1912)、H.F.ウッズウォース(1914)などの住宅がW.M.ヴォーリズの設計により建てられた。
現存する設計図によると、およそ40~50坪(約132~165㎡)の建坪をもち、総2階建て、地下と屋根裏部分をもち、1階には玄関ホール、居間、食堂、台所、書斎、パーラー(応接室)、2階は寝室、サンルームをもつ木造アメリカ・コロニアルスタイルであり、上ケ原移転直前には宣教師館は14棟を数えた。

 1929年に上ケ原キャンパスに移転後も、同様に宣教師館10棟がキャンパス北辺、仁川寄りの位置に建築された。
ただし、その所有は当初は関西学院ではなく、派遣母体となるミッション・ボードの所有、管理下におかれていた。
設計は上ケ原キャンパス全体と同じくW.M.ヴォーリズによるスパニッシュ・ミッション・スタイルで、細部にわたるデザインは個々に独自性をもちつつ、基本的に10棟は同じ構造である。
各棟の構造は原田の森キャンパスの大正期の宣教師館と同様で、宣教師家族の居住する洋式部分では、1階部分に、居間、食堂、台所、パーラー、2階には書斎、寝室、浴室、さらに天井裏の収納室などが備えられた。
それに付随して日本人の使用人の居住部分があり、和風の居間、寝室なども設けられた。

 1960年代以後徐々にその所有、管理が学院に移され、呼称も外国人住宅と改められた。
一部は中国吉林大学などからの教員用住居として使われ、また国際センター事務室などにも用いられた。
1号館を学院賓客用ゲストハウス、99年10月の関西学院会館の完成に際し、2号館は「オハラホール」として会議、会合などとして用いられている。
なお、このオハラは商学部などで英語を教えていたMs.オハラ(オハラ・アヤコ・ジョー)の寄付を記念し付けられたものである。
3~6号館を外国人教員用住宅、7~9号館まではその他の用途に供せられ、10号館は講義棟などの建築のために解体・撤去された。

【参照】Ⅰ 307,450;Ⅱ 542