海軍地下壕(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

海軍地下壕

海軍地下壕

海軍地下壕

1943年11月、海軍省は海軍予備学生の教育の場として校舎などの徴用の申し出を行い、それに対して関西学院は、旧制中学部校舎(現、中学部グラウンド)、大学予科校舎(現、高中部本部棟)およびその付属建物、寄宿舎、教授食堂、学生会館など13棟と3万坪(約9万9,000㎡)の校地を44年2月から貸与することになった。
ここに44年3月15日、西宮海軍航空隊(当初は三重海軍航空隊西宮分遣隊)320名が入隊した。
グラウンドが練兵場となり、通信講堂が急造された。
さらに、45年1月からは中央講堂、高等商業学校講堂、法文学部校舎(現、文学部校舎)、教授研究館を川西航空機に貸与した。
1945年度の報告によれば、この貸与に対する復旧費現金として95,000円と相当多量の高価物資を代償で関西学院に与えられた。

 貸与されたグラウンド(現、G号館南側)の地下には訓練生によって掘られた海軍地下壕があり、電話付きで、司令室や秘密文書庫として利用されたという。
この地下壕は、1988年の高等部校舎新築工事に際して発見され、飾られていた海軍の紋章とともに現状保存されている。
なお、G号館建設(2008年竣工)に際しても、この地下壕を保存する声があがり、戦争遺跡として保存されることとなったが、安全上の問題から公開されていない。

【参照】Ⅰ 598-603;Ⅱ 12-13【文献】『海軍飛行予科練習生』1983;小池猪一編『関西学院中高部』1987;「読売新聞」夕刊1988.5.27