日本メソヂスト教会(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

日本メソヂスト教会

 日本メソヂスト教会は、1907年5月、東京の青山学院に招集された合同総会において、カナダのメソヂスト教会日本年会と、アメリカのメソヂスト監督教会日本年会および南部年会(美以教会)、そして南メソヂスト監督教会日本年会(南美以教会)の3派4年会の合同により誕生した。
この合同の背景には、06年7月に、ニューヨーク州バッファロー市で開催された3派合同に関する全権委員協議会において日本メソヂスト教会の成立が正式に決議されたという経緯があり、翌年の東京での合同総会はこの決議を受けてのことであった。
日本にあるメソヂスト諸教会が一致合同するための願書を作成した1883年から数えれば、その合同が成立するまでに25年の歳月を要したことになる。
日本基督一致教会や日本組合基督教会などは、本国教会と組織的に分離独立していたのでその成立も早かったのに対し、日本メソヂスト教会は本国教会と組織的に非分離の関係にあったため、合同に至るまでに長い歳月を要したと言える。

 3派合同により日本メソヂスト教会が成立したが、本国の教会は合同していなかったため、日本メソヂスト教会と宣教師との関係は基本的に変わってはいない。
また日本メソヂスト教会全体が、東部年会と西部年会に区分されている。
関西学院は、西部年会の神戸部会に所属することになり、そのことは学院における教職者の新たな教会的所属を意味するものであった。
日本メソヂスト教会は、1941年に日本基督教団が成立して合同するまで34年間、社会と教会に大きく貢献しその歴史を刻んでいる。

【参照】Ⅰ 231