阪神・淡路大震災(関西学院事典)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
関西学院事典

阪神・淡路大震災

 1995年1月17日午前5時46分、淡路島から神戸の直下の活断層群が1,000年以上も蓄積した膨大なひずみエネルギーを一気に爆発させ、観測史上初といわれる震度7の激震が兵庫県南部を直撃した。
兵庫、大阪、京都の2府1県で、死者6,434人、行方不明3人、負傷者43,792人、全半壊家屋249,180棟、一部損壊家屋390,506棟(消防庁2006年5月確定)、焼損面積約65haという甚大な被害が発生した。

 この阪神・淡路大震災により、関西学院の在学生15名、理事1名、現・元教職員7名が倒壊した家屋や土砂崩れの下敷きとなって生命を奪われた。
さらに、同窓会の調査により判明しただけで約40名の卒業生が逝去した。
また関西学院は、物的にも被害総額10億3,000万円という手痛い打撃を受けた。
建物の倒壊こそ免れたものの、理学部本館(現、全学共用棟)の出火、中学部会館と心理学研究館ハミル館の半壊、壁面の剥落や亀裂、屋根瓦の脱落とズレ、窓ガラスの破砕をはじめ建物内部の什器備品、実験機器、書架、書類棚等の倒壊が相次いだ。
これら損傷した施設・設備の復旧費は総額で約3億7,000万円に上った。

 学院にとっても悲劇的な大震災の経験の中で、関西学院ボランティア委員会が結成され、2,500名以上の学生が参加し、地域の避難所を中心にボランティア活動を展開したことは、学院の建学の理念を具現するものとして希望のしるしとなる出来事であった。

 また、この阪神・淡路大震災の社会的、経済的影響を明らかにするため、1995年度に学長指定共同研究が立ち上げられ、その成果は長岡豊編『震災復興の歩み―産業と都市の再生―』(1998)、黒田展之・津金澤聰廣編著『震災の社会学―阪神・淡路大震災と民衆意識―』(1999)、安保則夫編『震災・神戸の社会学―被災地へのまなざし―』(1999)として公刊された。

【参照】Ⅱ 572【文献】宗教活動委員会編『風に想う』1995;『阪神・淡路大震災関西学院報告書』1996;『あの日、あの年―関西学院中学部 阪神・淡路大震災の記録』1998